2021年9月「 賛 美 」
御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本満子
詩篇118:1「主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。」
皆さんは、最近歌をうたっていらっしゃいますか?とお尋ねすると、多分多くの方々は、このコロナ禍のなかで、人との対話も充分できないのに歌なんて・・・と言われる方もいらっしゃるかも知れませんね。およそ一年半あまり、世界中の人々が、どんなにコロナウィルスに悩まされ、振り廻されてきたことでしょう。旅行も、外食も、ショッピングも、その他楽しい事柄が制限されるような環境の中で、多くの方々の心は、疲れ果てているのではないでしょうか。そのような時だからこそ、私は皆様に歌うことをお薦めしたいのです。旧約聖書の詩篇という所には、沢山の神様に捧げる歌、即ち祈りが記されています。神様に捧げる歌、讃美です。
この讃美を歌った人々は、みな恵まれた人、幸せな人、また嬉しい時、楽しい時に神様に感謝の歌を歌ったのでしょうか、否、違うのです。多くの歌は、悲しみの涙を流しながら、苦しみの中にもだえながら、神様への心の叫びを祈りとして、讃美としてささげたのです。
私たちは多くの場合、困難や苦しみの中にある時は、歌うことを忘れて、嘆いたり、呟いたり、落ち込んでしまいがちです。けれども詩篇の作者たちは、そういう時にこそ神様の御名を呼び求め、助けを求めて祈ったのです。何故?「主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」:1からです。また、:5「わたしが悩みのなかから主を呼ぶと、主は答えて、わたしを広い所に置かれた」とあります。主なる神様は、私たちの叫ぶ声、涙を流しながら祈る声を聞いて下さる方、そして、私たちを安らかな所に導いて下さる方なのです。
この詩篇118篇は、イエス・キリスト様が十字架にかかられる前夜、弟子たちと最後の晩餐を取った後に「彼らは、さんびを歌った後、オリブ山へ出かけて行った。」とマタイ26:30に記されています。この時イエス様と弟子たちが歌った讃美歌が、この詩篇だと言われているのです。
イエス・キリスト様はその後、ご自分の身に何が起こるかを知っておられました。罪のない身でありながら、強盗のように捕らえられ(マタイ26:55)裁判を受け、十字架刑に処せられるということを知っておられたのです。人の子としてのイエス様は、どんなに苦しかったことでしょう。
オリブ山のゲッセマネの園という所に行かれたイエス様は「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである」マタイ26:38と心境を語っておられます。そして父なる神様に、「苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた」ルカ22:44と記されています。どんなに苦しかったことでしょう。けれども、そのような心の葛藤の中にあっても、弟子たちと讃美を歌われたのです。
この様にイエス・キリスト様は、苦しみの中でも神への讃美をささげることの模範を私たちに示して下さったのです。「主ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練の中にある者たちを助けることができるのである。」へブル2:18そうです、私たちが苦しみの中にいても、悩みの中にあっても讃美をする時、「主はわが力、わが歌であって、わが救いと」詩篇118:14なって下さるのです。