Mikage Shinai Christ Church

イエスとの出会い

御影神愛キリスト教会 壮年部 田中 収蔵

 

私は独身の時、4回、世帯を持ってから8回、合計12回転居しました。63歳でリタイヤしたあと、今まで18年間、毎年6ヶ月海外に滞在する「渡り鳥生活」を続けています。

さて、半世紀以上前、正確には63年前の1952年、東京に本社のある専門商社に入社しました。来年、創業350年を迎える老舗ですが、経営方針は新しく派閥も学閥もなく、実力実績次第で、昇進の道が開かれていました。私は36歳で課長、41歳で部長になりました。入社以来、大阪、名古屋、東京と転勤を重ねましたが、「怖いもの知らず」で常に仕事に向かい、ときには会社のルールを逸脱することもありましたが、「結果オーライ」で実績を上げていきました。仕事以外は麻雀が唯一の趣味で、商社マンは勝負勘が必要と勝手な理屈をつけ、麻雀で深夜帰宅することもしばしばでした。3人の娘たちの相手は家内に押し付け、その上、夫婦の会話も少なく、家内は不満でいっぱいだったと思います。長女が自宅近くの高槻聖書バプテスト教会の日曜学校に行くようになったことに伴い、家内も礼拝出席するようになり、やがて、救いの決心から、洗礼を受けました。このころ家内から教会に再三にわたって誘われましたが、その都度、断っていました。1874年、部長昇進の直後、「第一次石油ショック」が起こり、当時石油危機商品を取り扱っていた私は、過去5年間の利益がふっとぶほどの損失を被りましたが、地位を失うことを恐れ、会社には正確な報告をせず、ひそかに自分の力で解決しようとしました。大きな損失をかくしたまま、以前にもまして、麻雀に夢中になっていました。

心の痛む毎日が続いていましたが、ある日曜日、家内に引っ張られて、はじめて教会にいくことになったのは、仕事の失敗に悩んでいたためでしょうか。宗教無縁の私には、牧師の説教は馬耳東風でしたが、なぜかアメリカ人牧師の挙動がおもしろく、なんとなく礼拝に出席するようになりました。イエスを信じるようになったのは、6ヶ月ほど後のことです。牧師夫妻や教会の方々の奉仕の姿を見て、少しずつ聖書の言葉が理解できるようになり、聖書の示す罪を認め、救いの決心をしました。

翌年、牧師のすすめで、麻雀をやめることが出来、会社への隠しごともすべて申告しました。懲戒免職を覚悟していましたが、処分は思っていたより軽く、昇給ストップとボーナスカットですみました。

このようにして心の刺が除かれ、晴れやかな気持ちで洗礼を受けました。その後も意欲的に仕事に向かい、会社もさらに責任の思いポジションを与えてくれました。58歳で定年を向かましたが、引き続き神戸に本社のある関連会社の代表者として5年間、経営を任されました。今から思えば、牧師のすすめで、失敗を申告していなければ、さらに大きな失敗を重ね、再起不能になったと思います。私は、所謂、会社人間で、業績をあげることが人生最大の目的と考えていましたが、イエスと出会ってからは人生の意義と目的は、神から与えられるもので、仕事はひとつの手段にすぎないことがわかりました。

その後、神戸への通勤の問題で、大阪市内に転居し、日本キリスト教団北大阪教会に転会しました。1997年、関連会社を退職した機会に、かねてから家内が計画していた「渡り鳥生活」を始めることになりました。南半球のニュージーランドでの長期滞在を9年間、体験しました。2007年、神戸市灘区に転居しましたが、縁あって御影神愛キリスト教会に転会させていただき、現在に至っております。「渡り鳥生活」は1年間休止していましたが、現在は東南アジア、主にマレーシアに毎年5、6ヶ月間、長期滞在を続けています。ニュージーランドでもマレーシアでもできる限り、現地の教会の礼拝に出席するようにしていますが、牧師や教会の方々がとても親切にしてくださいます。教会は異国での長期滞在のオアシスです。まさにクリスチャンの特権です。マレーシアの長期滞在ビザがあと2年で切れますので、それを機会に「渡り鳥生活」に終止符を打ちたいと思っています。

最後に、私の好きな聖書の言葉を紹介します。

「すべて重荷を負うて苦労している者はわたしのもとに来なさい。あなたを休ませてあげよう。」