Mikage Shinai Christ Church

「恵み」

御影神愛キリスト教会 名誉牧師  杉本満子

 「主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。」 詩篇118:1
先日私は、ある教会の礼拝に出席しました。そのとき歌われた賛美歌の中に「恵み」という讃美がありました。その歌詞をここに紹介しましょう。


 「全てが恵み、全てが恵み、限りない恵み、当たり前の事など一つもない、すべてが主の恵み」という短い簡単な讃美でした。私には初めての讃美でしたので、皆さんが歌われる声を聞きながら、当たり前のことなど一つもないのだ、私たちは日々主の見守りと、恵みの中に生かされているのだと、改めて心に深く思わされたのです。


 私たちは一日一日をごく当たり前のように過ごしているのではないでしょうか。何事もないことが当たり前、平穏無事であることが当たり前、だから毎日の生活を特別なことのように考えることなく、感謝することもなく、何となく普通に生活しているのではないでしょうか。けれども最近の世界の状況を見る時、自然災害が頻繁に起こっている事を知るのです。地震・豪雨・火山噴火・疫病等々、それらの災害は何時私たちの身に及ぶかを知りません。

また、私は大丈夫という保証もありません。現在は新型コロナウイルスによる疫病のために世界中が悩まされていますね。それが発生してから二年以上も経っているのに適切な治療法もなく、毎日感染者の数に一喜一憂しているような状態ではないでしょうか。


 近年、科学の発展は著しい、医学もまた著しく発展をとげ、まもなく多くの癌も征服出来るだろうなどと言われていますね。その勢いで人類は、宇宙をも征服させることを夢み、挑んでいます。けれども、コロナという小さなウイルスの攻撃に世界は、為すべき術を知らず、多くの人々が恐れと苦しみの中に日々を過ごしていることを知るのです。また、それがいつ我が身に襲ってくるかもわかりません。私たちの穏やかな毎日の生活は決して当たり前の事ではないのです。

聖書の使徒17:28に「われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである」という御言葉があります。私たち人間は、誰一人自分で生まれようとして生まれてきた人はいないのです。そして自分の力で頑張って命を保ち、日々の生活を保っている人もいないのです。私たちすべての人は、神様から命をいただき、神様の見守りの中に日々の生活を送っているのです。これを「恵み」というのです。「恵み」とは、受ける資格のない者に与えられることを言うのです。


 では神様は、なぜ私たちに恵みを与えて下さるのでしょうか。イザヤ書46:4に「わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う」という御言葉があります。人類は、神様によって創造された存在なのです。だから神様は、ご自分が造られた人類をこよなく愛して、恵みの中に生きるようにして下さっているのです。けれども多くの人々は、自分は神様によって造られ、生かされていることを信じようともせず、自分の力、能力によって生き、世界は征服できると考えているのです。


昔人々が、天にまで届く高い塔を建てたということが、創世記11章に記されています。それは、自分たちの力、能力、技術を誇って、自分たちの名を有名にするためでした。けれども神様は、それを乱されたのです。彼らの計画は失敗に終わりました。科学が進み、医学が進み、その他様々な分野で人の文化が進んでいくことは素晴らしいことでしょう。しかし、人は神様の恵みの中に生かされていることを忘れる時、傲慢になり、人の力を誇るようになるのです。ここでもう一度考えましょう。

あなたは自分の力で生まれてきたのですか、自分の力で生きているのですか、そうではない。神様から命をいただき、神様の恵みの中で生かされているのです。この神様が与えて下さる恵みを忘れてはいけません。毎日何事もなく、平穏無事に生活できる恵みを感謝しようではありませんか。 当たり前のことなど一つもないのです。「全てが恵み、すべてが主の恵み」なのです。 神様に日々感謝を捧げましょう。