満ち足りた人生
御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古 慎二
皆さんは、何かについて「こだわり」を持っておられるでしょうか。一言で「こだわり」と言っても、いろいろな意味があると思います。辞書で意味を調べてみますと「些細な点にまで気を配る。思い入れをする。」とあり、例文には「材料にこだわったパン」と書かれていました。これはどちらかというと良い意味で使われていると思います。また他には「些細なことにとらわれる。」という意味もあり、例文には「形式にこだわる」と書かれていました。これは、ちょっと悪い意味も含まれているのではかと思います。言ってみれば、「~は、こうでなければならない。」と何か縛られたような、こだわりが強すぎて不自由になってしまっているような、そんな印象を受けるところがあります。
いずれにしても「こだわり」というのには、良い面も悪い面も両方あると思いますが、どうでしょう。自分が「こだわっている」ものが自分の思い通り、願い通りになったら、当然嬉しいし、満足できると思います。しかし、いつでも物事が全て自分の思い通り、願い通りになるとは限りません。むしろ、それは絶対不可能なことでしょう。そうすると、どうでしょう。私たちは、いつでも、どこか、不満を感じながら生きていくことになるのでしょうか。もちろん明らかな不満はなくても、どこか物足りない感じ、何か不足しているような感じ、満足できない思いを持ちながら生きていくことになりはしないかと思うのです。
しかし、私たちは、どんな時にも満足して生きることができる道があるのです。それは、神を信頼する人生です。パウロという人が、神に祈った時、神から一つの答えをもらいました。それは、「「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。というものでした。この時、パウロに一つの強い「こだわり」というか「願い」がありました。それは、「健康になりたい。」というものでした。彼は、ずっと病気を抱えて生きていました。その病気は、「肉体のトゲ」と呼びたくなるほど辛いものでした。そして彼は、癒されるように神に祈りました。しかし、その時の神からの答えは、先ほどの言葉通りだったのです。つまり、彼の病気は癒されることはなく、むしろ、「それで良いのです。」との答えを頂いたのです。きっとパウロは、この答えを聞いた時、理解に苦しんだと思います。「なぜですか。私が健康になった方がもっと神様のために働けるのに。どうしてですか!?」と悩んだのではないかと思います。しかし、やがて彼は、神のみ心を悟っていくのですね。それは、「神の力は弱いところに完全にあらわれる。」ということでした。彼は自分の弱さを感じれば感じるほど、益々、神にお頼りしていきました。そして、神に頼れば頼るほど、神の力が働くことを体験していったのです。
愛する皆さん、もちろん、私たちは自分の思い通り、願い通りの人生を歩めれば満足かもしれません。しかし、自分の願い通りにならないところにも、実は神の深いご計画、恵みがあるということを知る人生というのも素晴らしいものではないでしょうか。むしろ、そこにこそ、人知では到底はかり知ることのできない宝が眠っているのではないかと思うのです。神と出会う時、あなたはその宝を発見することができるのです。そして、どんな状況にあっても満ち足りた人生を歩むことが出来るようになるのです。