Mikage Shinai Christ Church

「災いの中に希望の主」

 

久保 とも子   御影神愛キリスト教会メンバー

1995年1月15日私は主人と生後6カ月の息子を連れて、弟の誕生祝いのため、近所の私の実家を訪れていました。実家は築50年以上経つ古い木造家屋で、父の仕事関係の道具類が積み上げられており、その時にも「地震でもあったら本当に危ないよね」という話もしていました。その日の帰り、人通りもなくしーんと静まり返った道を、大きな明るい月が光々と照らしていました。その時なぜか「この平和な時がいつまで続くのだろう」と私の中に不安が沸き上がってきました。

そして迎えた17日早朝、ゴォードンという音がし、次の瞬間激しい横揺れに見舞われました。家中でガチャガチャとすごい音がして、物が落ちるというより飛んでくるという感じでした。私も主人もとっさに、横に寝かせている息子におおい被さりました。今思うと不思議ですが、地震の起きる一時間位前にベビーベッドに寝かせていた息子が泣いてぐずり出したので、ベッドから私のふとんの横に寝かせていました。もしあのままベッドに寝かせていたら、柵で頭を打ちつけるか、落ちてけがをするかしていたでしょう。

大きな揺れがおさまった後も何度も余震が続き、不安の中「主よー主よー」とその言葉しか出てきませんでした。

辺りが明るくなった頃、ようやく家の中の様子がわかりました。電気のカサはすべて外れ、台所には割れた食器が散乱し、テレビは飛んで落ちてひどい状況でした。庭の生け垣は崩れて倒れ、地中の水道管が壊れて水が噴き出していました。しかし、私達のマンションは倒れませんでした。あの大きな地震で特に多くの被害と犠牲者が出た東灘区で、家族三人が怪我ひとつなく助かったことは、本当に奇跡であったと思います。

安堵したのも束の間、次は実家のことが心配になってきました。「あの古い家ではもうダメかも」と最悪の事態が頭をよぎりました。とにかく主人に様子を見に行ってもらいました。無事を祈りながら待つ時間はとても長いものでした。ようやく主人が戻りましたが、誰か知らない人を連れて入って来ました。よくよく見るとそれは母で、私が見ても判らない程風貌が変わっていました。大きな外傷は無かったものの、全身は土ぼこりで真っ白に、顔は腫れ上がりパンパンになっていたのです。実家は全壊し、母は4時間もの間家の下敷きになっていたそうです。しかし、弟の部屋の天井だけがかろうじて壊れず残っていたので、弟は助かり、弟と近所の人が協力して母を助け出したという事でした。父は、持病の治療の為、朝早くに病院に向かっており無事でした。父の寝ている場所は、特に重い道具類や家具が倒れており、もし家に居たら命はなかったでしょう。神様が一人一人違う状況の中で守って下さった事を本当に感謝しました。

話は横道にそれますが、父は私が信仰を持った時からずっと、教会に行く事を反対し続け、神様の話をしてもすべて否定してきました。この頑固な父が救われるのは不可能ではないかと、10年以上ずっと祈っていたにもかかわらず、私の中には否定的な思いがありました。けれど、この地震で父の命が守られたのは、主のご計画があるのだと、確信することができました。そして地震から4年後、父はイエス様を救い主として受け入れ、病床ではありますが、洗礼を受けることができました。クリスチャンとなって天に召されるまで二週間という短い間でしたが、あの父が病気で苦しい中、私の手を取って祈ってくれるまでになっていました。本当に祈りは聞かれるのです。

話を戻しますが、家族みな命は守られ、家も半壊ではありましたが、小さい子供と病気の父を連れて避難所に行く事もなく、マンションにとどまる事が出来ました。主は、

「試練と同時にそれに耐えられるようにのがれる道も備えて下さる」

(第Ⅰコリント10:13)のです。

しかし、その後の生活は過酷なものでした。電気は1週間程で復旧したものの、ガス、水道のライフラインは絶たれ、トイレ、風呂はつかえず、昨日まで当たり前だった日常生活すべてが取り上げられた状態でした。電車、道路は寸断されており、主人と弟は毎日何時間も歩いて通勤し、私は日に何度も給水車に水を汲みに行ったりと、皆が疲れきっていました。家の再建やこの先どうなるのかという不安が常にありました。そんな時息子の成長が、私達家族の希望となりました。泣き、笑い、たくさん食べ、つかまり立ちし、はじめの一歩を歩きと、すべてが慰めになりました。また、教会の先生方や信徒の皆さんも同じように被災された中、実家のガレキの中から大切な物を取り出して下さったり、必要な物を届けて下さったりと、多くの面で支えて下さいました。そして、何より主がいつもそばにいて下さった事は言うまでもありません。

「主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう」(詩篇91:4)

あれから20年・・・子供の成長と共に神戸の街もここまで復興しました。20年前に守られ、今生かされている事は主のご計画であると受け止め、主から私達に託された使命を全うする者でありたいと願っています。

「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災いを与えようというのではなく、平安をあたえようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである」

(エレミヤ書29:11)