2021年9月「預けられた命」
息子のWが生まれた時の事を、お証しさせて頂きます。
Wは2021年5月9日で10歳になりました。その渉が生まれる前の年の2010年に、私は流産を経験しました。その頃の私はまだ洗礼を受けていなくて、日曜日の礼拝と、教会員のIさんの家での家庭集会に少し参加させて頂いていました。神様の事を少しずつ信じ始め、教会の居心地の良さと教会に集う方々との交わりの時間の楽しさを感じ始めていた矢先に、流産と言う悲しい出来事が自分の身に起きて、とても悲しくて仕方ありませんでした。お腹の中で亡くなった命は、まだまだ細胞と呼ばれるぐらいのとっても小さなものでしたが、私の心に空いた穴や悲しみはとっても大きなものとなってしまいました。
それに加えてその頃の私は、今では想像出来ませんが、パニック障害と言ううつ病の1つとされる精神的な病の中にあり、毎日睡眠導入剤や安定剤等、沢山のお薬を服用し心療内科に通う生活を6年間も続けていた中にありました。なので流産してしまった事も、お薬を飲み続けている自分のせいだと、自分の事を責めていました。そんな状態の中、流産の手術を2010年5月10日に行いました。
その後どれくらい日数が経ったか覚えていませんが、日曜日の礼拝に足を運んだ時、まだ知り合って半年も経たないIさんが、周りを気にする事なく一緒になって泣いて下さいました。その時私は、「教会ってこう言う場所なんだ」、「教会に来る人達はこう言う人達なんだ」と、漠然と神様の愛に触れられた気がしました。
そして博子先生に声をかけて頂き、求道者講座を受け、2010年7月25日に洗礼を受ける事が出来ました。その1ヶ月後、Wがお腹の中に宿った事が分かり、体調も安定して心療内科に通う事も、沢山のお薬を飲む事もなくなり、流産の手術をした翌年2011年5月9日、無事にWが生まれて来てくれました。
後になって、流産の手術をした5月10日と渉が生まれた5月9日が1年越しですが1日違いである事に気付き、神様が全てを整えて下さって、私に「準備が整ったね」「この子をあなたに預けるよ」と、私に委ねて下さったんだと分かりました。
神様は時として、私が思う大切なものを取られ、恐れている事を現実の出来事として与えられます。でもそれは、私が何に執着しどこに弱さがあるかを気付かせて下さる過程に過ぎず、神様のご計画は失望に終わる事がないと言う約束の通り、その先に素晴らしい希望が待っているんだと経験する事が出来ました。流産や精神的な病の中ではなかなか気付く事が出来なかった事も、日々神様に心を合わせ信仰の歩みを進めて行く中で、必ず答えを頂けるんだと言う事も経験し、学ぶ事が出来ました。後は、自分を守る為だけの信仰に留まらず、その素晴らしい恵みを周りに伝え、沢山の魂が起こされる様に神様の御心を務めていく必要があると思わされます。
主に栄光をおかえしし、私のお証しとさせて頂きます。