Mikage Shinai Christ Church

まばたきの詩人

御影神愛キリスト教会 ろう者伝道師 小笠原和枝


水野源三さんは、重度の障害を負いながら4冊の素晴らしい詩集(ポエム)や讃美歌などを残した奇跡の詩人です。1937年、長野県埴科郡坂城町に生まれた水野源三さんは、小学校では算数が良くできる子で、放課後は千曲川で魚を取ったり、裏山をかけ回ったりと元気な少年でした。ところが、小学校で集団赤痢が発生したのです。小学4年生の源三さんは、弟さんと共に赤痢にかかり、弟は治ったのですが、本人は42度の高熱が続き、脳性麻痺で手足の自由とことばを奪われてしまいました。


12歳の頃、一時的に片言を話せる時期がありましたが、口に出ることばは絶望的に「死ぬ、死ぬ」と言うだけでした。そのようなある日、偶然家を訪れたキリスト教の牧師が水野さんのためにと、一冊の聖書を置いていきました。自分ではめくることもできない聖書の1ページ1ページを、お母さんが仕事のパンをこねながら、走ってきてはページをめくったのでした。聖書を読み、牧師の導きで、イエス・キリストの救いを知った水野さんの心に、真実に愛されているという実感が湧き上がってきました。そして「死ぬ」ということばは、いつしか水野さんを優しく生かす神様への感謝へと変わっていったのです。


悩み苦しんでいる人々を、愛して下さる神様がいる!人間の罪を取り除き、神の子とするために、神が人となり、この世に来て下さり、私のために十字架上で死んで下さった!神様、ありがとうございます!


やがて、水野さんは18歳となった頃から心の中の感謝を詩に書き始めました。それはお母さんとの二人三脚でした。お母さんが「あいうえお」の50音表を発音する中で、書きとめ、最後に文章全体を読んでみて、OKなら水野さんが大きくまばたき、うなずいて完成です。心に詩や歌が泉のように湧き、母と子は文字を捜し、作品を次々と生んでいったのです。

水野さんにとって、詩作は神への讃美に他ならなかったのです。周りのごく普通の出来事を詠んでも、自然の美しさに心動かされても、すべて創造主なる神をほめたたえることが生きる目的となりました。その頃に作った詩に「悲しみよ」があります。

素晴らしい詩、讃美などをたくさん書かれ、クリスチャンはもとより多くの方々へ感動を与えられています。水野さんの人生に神様の希望の光が、力強さが、愛があふれています。私たちもまた、新たに生かされてあふれる讃美の喜び、恵み、希望、愛に満たされて歩んでいきましょう。


「患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終わることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」 ローマ人への手紙5章3~5節