与えられた環境
御影神愛キリスト教会 会員 甲斐智教
私は「自分はいま○○歳だから死ぬまでは○○年くらい」 「まだ若いし、そんなすぐに死ぬことはない」「今はする時間がないから、いつか年をとって時間ができたらやろう」と、自分の人生は神様のご計画に従って御旨のままに~と口では言いながら、無意識に人生のレールを敷いて終着駅までの行程を勝手に決めてしまっている生き方を、少なくとも10年以上前まではしてきました。
数年前にとても大切な家族を30代という若さで突然天に送ることになり、今日と同じ明日を迎えられるというのは必然ではなくて奇跡的なことだということを痛感しました。若いから、年だからとかそんなこと関係ないんだと。それから死というものを以前よりずっと身近に感じるようになりました。
今年で東日本大震災からもう4年が経ちますが、発生から2ヵ月後の2011年5月のゴールデンウィークに私と妻の2人で福島県いわき市に支援活動に行きました。同じアッセンブリー教団のいわきアッセンブリー教会を拠点にし、周辺の小中学校や公民館などの避難所に救援物資を届けたり、炊き出しをしたり、いわき市は温泉街なので入浴のできない避難所に温泉を足湯として届けたり。避難所で布団は支給されるが枕がなく、眠れないという話があったので周辺の教会と協力して枕を作って届けたりもしました。バプテストや福音教会など現地の様々なキリスト教会はもちろん関東の教会から来られた海外の方達とも協力し、教団・教派を超えた支援活動になりました。
ただ私たちが行った5月というのは震災からすでに2ヶ月経っていたため、食べる物や着るものという最低限必要なものはある程度揃っているころでした。物資をお届けすることはもちろん大事ですが、それよりもただお話をお聞きするということが最重要活動項目でした。
大抵は、震災の時、何をしていて、誰とどこにいて、直後に~に向かって逃げて、~が助けてくれて、その後は~の避難所にいて、こういった体験談を話されてから、私たちに対してどこから?なぜ来たのか?を聞かれることが多かったように思います。
神戸のキリスト教会から来たということをお話すると、遠方からの訪問、それも同じく震災を経験した土地から来たことにとても感謝され、とてもありきたりな言葉ですが逆に励まされる思いでした。
その活動の中で当時避難所になっていたある小学校で炊き出しをしていたところ、あるご婦人とお話をする機会が与えられました。自分の現在置かれた境遇の大変さや様々な話をされましたが、その中で「とりあえず、まず今日を生きるしかないわな」とポツリと言われたことが今でも忘れられないです。
環境に恵まれることで幸いなこともあるし不幸なこともあると思います。神様が備えて下さっている物であったり時間であったり置かれた環境であったり、いつの間にか恵みに麻痺して、与えられた素晴らしいものに感謝をすることを忘れてしまいます。当然あるものと思っていたものが、取り去られることで初めてその価値に気付かされる、そんなことに改めて気付かされた日々でした。
今日と同じように明日が迎えられる、ただそのことに日々感謝して。