Mikage Shinai Christ Church

世の光

 

柴田 ひかり 御影神愛キリスト教会メンバー

 

私は正直、いつ神様を信じたかと聞かれると困ります。両親がクリスチャンでしたので、物心つく前から教会に通っていました。教会に通うことは私の心の支えとなりました。私は小学校を受験し、小中一貫校に通っていましたがそこでは死ねと言われたり、ネット上でも悪口を言われたりすることが日常でした。というのは、自分でもなぜだか分かりませんが、私は指しゃぶりが小学5年生まで取れず、性格もどちらかといえば引っ込み思案で、子どもの素直な気持ちからすれば「気持ち悪」かったのでしょう。おまけに、仲良くしていた友だちもいじめの対象者だったので、いつも仲良くしていた3人共に辛い思いをしました。中学卒業式で、友人が涙を流しながら「気持ち悪いって言われてた私と仲良くしてくれてありがとう」と言ったことを今でも忘れられません。そんな私でしたが、教会の友達は「死ね、気持ち悪い」などと言いませんでした。

喧嘩は沢山しましたが、喧嘩ができるだけマシでした。死にたいと思ったこともありましたが、教会では自殺は神様が喜ばないと教えられていましたし、日曜日は本当に楽しかったし、生きることを選びました。

私が神様を信じ、洗礼を受けたのは中学1年生のときでした。大きなきっかけがあったわけではありません。教会のキャンプで、「神様を信じたい人」と聞かれたので手をあげたら、別室に連れて行かれ、洗礼を受ける流れになっていました。その時一緒に連れて行かれたのがこの教会の小笠原いずみさんで、二人で「こんなつもりじゃなかった・・」と言ったのを覚えています。それでも、洗礼前に聖書のことなどをさらに学び、神様への信仰は自分でも驚くほど確信的なものに変わりました。そして洗礼を受けてから私は変わったと思います。

学校では相変わらずでした。9年間のいじめ経験からか、私に対する相手の思いを読み取ることや、それを受けても平気なフリをするのが上手になりました。でも、神様を信じてからは本当に平気でした。そして本来持っている明るさを学校でも取り戻していき、ただ縮こまるのではなくて、私が得意なことを思いっきりやってみて、認めてもらおうと前向きになることもできました。そして少しずつですが認めてもらえるようになったと感じています。一時は死にたいとも思いましたが、神様は私を救ってくださって、いつも共におり、支えてくださいました。神様に救われた命なのだから私は人生をかけて神様が共にいてくださる恵みの証をしようと思いました。

高校生の時、私は器械体操部に所属しました。高校生から器械体操をする人はほとんどおらず、部員は皆私より経験のある人たちです。試合に出るレギュラーを決める校内試合がありましたが、私は選ばれないだろうと思っていました。選ばれないから、というわけではありませんが、それならば私の演技は全て神様に捧げようと考えました。体全てを使って神様の証をし、賛美をしようと。そうして臨んだ校内試合で、私はコーチから「ひかりの体操をみんな目指してほしい。」と、本当に嬉しい言葉をいただきました。得点は決して高くありませんでしたが、レギュラーに選ばれ、神様は私にチャンスを与えてくれました。

部活動だけではありません。神様の恵みの証をしようと思うと、苦手な勉強も頑張れました。神様のために、神様がいるから大丈夫、そう思う度に神様はいつも私の道を開いてくださいました。そして今もすばらしい職場に導いてくださり、社会人として頑張ることができています。良いことも悪いことも、全て神様が私にとって一番よいことをしてくださることに感謝します。そして、幼いころから信仰の友として育ち、決して私の存在を否定することのなかった教会の兄弟姉妹たちに感謝します。最後に洗礼を受けると決めた時、いただいた聖書の御言葉を載せます。

 

「あなたがたは世の光である。山の上にある町は隠れることができない。また、あかりをつけてそれを枡の下におくものはいない。むしろ燭台の上において、家の中の全てのものを照させるのである。そのように、あなた方の光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよい行いをみて、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」

                           マタイ5:14~16