Mikage Shinai Christ Church

弱さを誇る

 

御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古慎二

 

皆さんは、誰かから「あなたには何か誇れるものはありますか?」とか「何か自慢できるものはありますか?」と聞かれたら何と答えられるでしょうか。普通、私たちは誇れるもの、自慢できるもの、と言えば自分の能力や持っているものの事を言うのではないかと思います。例えば、ピアノやギターが弾けるとか、英会話が得意とか、テニスやゴルフが上手ですとか、また、職場では~という役職にありますとか、そういう事を考えるのではないかと思います。どちらかというと自分の強みを誇るものではないかと思います。

聖書の登場人物にパウロという人がいるのですが、彼は聖書の中でこんな事を言っています。

「ところが、主が言われた、

『わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる』。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。・・・なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。」

 

皆さん、どうでしょうか。普通、私たちは自分の弱さというのは、あまり人に知られたくない、できれば隠しておきたいと思うものではないでしょうか。でもパウロという人は「誇るとしたら自分の弱さを誇りたい。」というのです。なぜ彼はこんなことを言うのでしょうか。負け惜しみ、強がりで言っているでしょうか。そうではありませんでした。彼は人に誇ろうと思えば誇れる能力を持ち合わせていた人でした。家系的にも申し分のない家柄の人物でした。しかし、彼にとっては、そのようなものはどうでも良かったのです。

では、どうして彼は「自分の弱さを誇る」と言ったのでしょうか。それは、「なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。」と言っているように彼は自分が弱くなればなるほど、自分の弱さに気づけば気づくほど、私は強くされる、という不思議な法則を経験していたからでした。

つまり、彼は自分の能力、自分の持っているものを頼みとして生きるよりも、神と共に生き、神に頼れば頼るほど、神の偉大な力と知恵が与えられ、自分でも考えられないような力と知恵、祝福を味わうことができたのです。そして、それをいつも意識させてくれるのが自分の弱さだったのです。実は彼には肉体的なハンディ、弱さがあったと言われています。彼はそれが癒されるように何度も神に祈ったのですが、応えられませんでした。その代わりに上記の言葉を主(神)から言われたのでした。もし、彼が何の弱さもない人であったなら、高慢になって神に頼ることをやめていたかも知れません。しかし、彼は自分の弱さがあるがゆえに、神に頼ることを忘れないで生きることができました。そして、神に頼れば頼るほど神の偉大な力によって強くされることを経験できたのです。それで彼は「喜んで自分の弱さを誇ろう。」と心から言える人になったのです。

私たちは自分の弱さに気付かされることがあると思います。しかし、それは同時に神の恵みを知るチャンスでもあるのです。パウロのように弱さを誇れる人生を歩みたいものです。