Mikage Shinai Christ Church

愛の神様

 

御影神愛キリスト教会婦人部 メンバー

 

私は祖母と両親がクリスチャンの家庭で育ちました。私の一番古い教会の記憶は、幼い頃のものです。

クリスマスの祝会の準備をする母に連れられて教会へ行った私は、待ってる間に眠くなって、長椅子で寝かされていました。クリスマスのご馳走を楽しみにしていた私が目を覚ましたのは、祝会が終わった後で、すごく残念だったことだけを覚えています。

私の祖母は盲目でした。祖母はいつも部屋の隅でお祈りをしていました。お祈りをしていない時は大きな点字の聖書を指でなぞって読んでいました。途中失明者である祖母は、人の手を借りないと何も出来ない小さな存在でした。でも、その祖母のお祈りによって、両親・姉・私・叔父・従兄弟が救われました。祖母が初めに教会へ導かれ、風邪を引いた祖母の替わりにお話しを聞きに行った母が救われ、そして母を送るために教会へついて行っていた父が救われたと聞いています。私は、目の見えない祖母の手を引いて、須磨区の自宅から、「神愛子どもホーム」の中にあった教会まで通ったりしました。当時の様子が一冊の本に載っています。それは「親と子の家庭礼拝」という本です。私達の教会の名誉牧師の杉本先生が書かれた文章で今から41年前、昭和48年6月に発行されたものです。ここで少し、引用させていただきます。

「私達の教会は、今年もイースターに洗礼式をしました。その中にふたりの姉妹が居ました。この姉妹の話によると、この一家に福音の種がまかれて、15年目に完全なクリスチャン・ホームができたのだそうです。15年前、この家におばあさんが一緒に生活するようになりました。おばあさんは目が見えず、その上、耳も不自由でした。ところが一番暗い生活のはずのおばあさんが、家中で一番明るく楽しい生活をしていたのです。

その理由はイエス様といつも一緒だったからです。おばあさんは、家族全員が救われることを祈り続けていました。だから孫達に話すのも、いつも聖書のお話しで、それ以外はしませんでした。「おばあちゃんは、桃太郎や金太郎のお話知らないの?」と孫達に言われても、ただ聖書のお話しを続けるだけでした。パウロのように、イエス様の事だけをみんなに知らせました。このことが家族全部を、キリストに導くことになったのです。

みんなでどんなに神様に感謝したことでしょう。ハレルヤ。」

クリスチャン三代目の私は、当たり前のように教会に通い、神様を信じ、クリスチャンになりました。でも、「三代目は身上潰す」ということわざのように、生ぬるいクリスチャンだったと思います。そんな私でも、神様はいつも大きな愛で包んで下さっていました。高校生の時、私は教会学校の幼稚科のお手伝いをしていました。

進路を考えるタイミングでクリスチャンの女性が、「恵美ちゃんは子どもが好きそうだから、幼稚園の先生になったらどう?私の行ってる保育科の大学を受けてみない?」と勧めてくれました。子どもが好きな私は一も二もなく、受験を決めました。そして「受験してみるから、勧めてくれた責任を取って合格するように祈ってね。」と厚かましく迫った私のために、その女性は熱心に祈ってくれ、無事合格できました。余談ですが、当時教会学校の幼稚科の生徒の中に、いたずらっ子が居て、よく机の下にもぐって遊んでいました。そのおさなごは、今は私達の教会の牧師になられた、瀬古慎二先生です。

就職を目前にした時は母が、「条件を挙げて祈りなさい。」と助言してくれました。「教会付属でない、キリスト教教育のできる幼稚園」と条件を挙げて祈りました。幼い子ども達に神様の愛を伝えたい。けれど教会付属の幼稚園では、その教会へ通うことになって、ここの教会へ来ることが出来なくなる。そんな想いでした。

果たしてそんな幼稚園があるのか疑問でした。けれどあったんです。神様はちゃんと用意をしてくださってました。あるとき大学の就職指導の先生に呼ばれた私は、ひとつの幼稚園を受けてみないか勧められました。

それは神戸YMCAの付属幼稚園でした。教会付属でない、キリスト教教育をしている幼稚園でした。

大学時代に手話を学び始めました。言葉を指先で紡ぎ表現する言語としての美しさに惹かれました。先ずは市役所で開かれていた手話講座に通い、その後教会の手話教室で手話を習いました。教会で手話通訳をさせて頂くようになり、いつか手話に関する仕事が出来たら良いなぁと思っていました。8年前、私の手話の先生でもあるろう部の男性から、「やってみないか?」と勧められたのが、カルチャーセンターの手話講座でした。それ以来、4つの教室で手話の講師をしています。

聖書の中に、

「あなたがたのうちに働きかけてその願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」      

                    (ピリピ人への手紙2章12-13節)

言う御言葉があります。常に私を愛してくださった神様は、私の内に願いを起こさせ、そして祈りに答えて実現してくださいます。今も生きて働いて下さっている神様の愛を、是非皆様にも受け取って頂きたいと思います。