生きておられる神様
米田多嘉子 御影神愛キリスト教会メンバー
私は大阪生まれの大阪育ちです。2人の弟を持つ3人姉弟の長女として生まれました。父方も母方も商家で、曾祖父母から4代の大家族に加え、住み込みの従業員さんたちも一緒に暮らすというにぎやかな毎日でした。20歳の時、父が43歳で病に倒れ、気付いた時にはすでにガンの末期でした。私は大学も休み、母や周りの人たちとつきっきりで看病しましたが、半年間の闘病の末に亡くなりました。それまで何の不安もなく両親の愛に包まれて生きてきた私にとって初めての大きな試練でした。
大学卒業後は企業に就職しましたが、父という心の拠り所を失ってからの20代はいろんな意味で真剣に自分と向き合い、もがき苦しんだ10年間でした。淋しさを仕事の忙しさでまぎらわせていた時期もあり、過食症気味の時期もありました。人間関係は恵まれており、親身になって話し合える友はいましたが、心の奥底には満たされない思いがずっとありました。そして29歳で結婚してすぐ、主人の転勤で島根県の松江へ行くことになりました。当時は仕事を辞めることも、家族や友人を離れて遠方へ行くことも嫌でたまりませんでした。
松江では2人の子供を授かり、一生懸命に子育てをしていました。私は、キリスト教精神を基とする全国組織の女性団体「友の会」に属していていました。そこでYさんという教会の牧師のお義母様と出会い、彼女から誘いを受けて人生で初めて教会へ行くことになりました。音楽があって、温かく親切な人ばかりの教会は、とても居心地の良い所でした。牧師先生のメッセージも私の心にストンと落ち、初めて行った、その日にイエス様を信じる決心をしました。翌週も翌々週も子供たちを連れて休まず通いました。それから3年を過ぎた頃、洗礼を受けようと決心しましたが、主人に反対されました。しかし家の中で揉め事を起こしたくなかったので「教会へ行くことそのものに反対されている訳ではないのだからまあいいか…。」と、そのままにしておきました。
そんなある日、聖書を読んでいると、そこにはこう書かれていました。
「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく熱くもない。むしろ冷たいか熱いかであってほしい。このように熱くもなく冷たくもなく、なまぬるいのであなたを口から吐き出そう」
聖書は単なる書物ではないと聞いていましたが、本当にこの時の私には、この言葉がまっすぐに迫ってきたのです。居ても立ってもいられなくなり、「神様ごめんなさい。お願いですから私を吐き出さないでください」と心から祈りました。主人の反対も覚悟の上で決心をし直し、1999年に洗礼を受けました。
生来なまぬるい私を神様はご存じでした。そして大きな愛をもって叱って下さったのです。この時の体験は「神の言(ことば)は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂とを見分けることができる」という聖書の言葉どおりでした。
神様は、こんな私を思いがけない愛で包んでくださり、聖書を通していつも語り続けてくださいます。そして神様と出会ってからは、心の奥にあったあの満たされない思いは全く取り除かれました。
たとえどんなに努力をしたとしても、自分のやりたいことや好みだけで生きていたら、神様との出会いはありませんでした。私は泣く泣く行った松江でイエスさまと出会い、変えられました。赦されて、愛されて、生かされていることを知りました。今度は私が、関わるすべての人たちにイエス様の愛をお伝えする役割をいただいているのだと思っています。