Mikage Shinai Christ Church

神の偉大な計画

御影神愛キリスト教会 会員 柴田謙

私はクリスチャンホームに生まれて、子供の頃から教会に通ってていました。神様の存在は頭の中では当たり前、イエス様は絶対にいると思っていました。でもそれは心で神様を感じてるというより、歴史上の人物のような、そういう感覚に近い存在でした。そのまま教会に当たり前のように通っていました。細かいつまづきもあまりなく神様に守られて感謝でした。

それで、中学校の時にキャンプでようやく神様を体と心で感じるという体験をしました。祈りと賛美の中で、神様の臨在を感じることができました。当時の僕にはすごく不思議な体験でした。「あ、これが神様か!」っという感じで、当時ぼくは私立の中学校でまわりは初めての友達ばっかりで、色々な不安もあったのですが、「神様がいるから大丈夫!」っていう気持ちになりました。このとき本当の意味で神様に対する信仰を持ちました。「あ、じぶんは罪許されて救われた存在なんだ」と思い、そして、同時に洗礼を受けようとも思いました。ただ、洗礼受けるのって若干勇気がいるもので、「この程度の信仰で、洗礼なんか受けていいのかな?」とか思ってもいました。とても受けたかったんですが、牧師先生に言いだす勇気が起きなかったんです。丁度、そんなときに、中高生でワーシップの奏楽をやろうという話が出てきたんです。「ワーシップの奏楽は受洗者しか出来ないから、これを機に洗礼受けたら?」っという誘いを牧師夫人の博子先生がしてくださって、「受洗の決心、こんな理由でええんかな?」とか思いつつも、友人のつーちゃんも一緒に受けようって言ってくれたので、牧師先生に「洗礼受けたいです!」って言いに行きました。理由はそんなことですが、今思えば、あの時洗礼受けれたのも神様の計画、本当に洗礼受けててよかったと思えています。

まあ、そんなこんなで、洗礼受けて僕の行いが劇的に変わるとかはなかったんですが、ただ神様の許しと恵みを感じながら、毎日楽しい生活を送れてました。高校の時は本当に毎日楽しくて、神様の恵みを受けながら守られて生活することができました。そして、おととし京大を受けたんですが、見事に落ちてしまいまして、「まあしゃあないかー、後一年頑張るかぁ」みたいな気持ちでいました。教会の人もとても励ましてくださり、「マイナスをプラスに変える神様がいるから大丈夫!」だと思って浪人中の前半は頑張っていました。ただ、あるときに思いもよらない事態がおこりました。人生最大の試練に会うことになります。それは高校時代の同じ部活で同じバンドを組んでた友達が白血病で亡くなってしまいました。ずっとお見舞いとか通いつめて、絶対に治ると信じてきました。「神様お願いします!病気を治してください」とひたすら祈り続けていました。それなのに、亡くなってしまった。信じられませんでした。目の前にある事実と向き合いきれずにいました。「神様どうしてこんなひどい仕打ちをしてくるんや、ぼけ!」と。思い続けていました。瀬古先生がなぐさめてくれて、すごく助かったんですが、そのころは全く理解できない現実でした。

「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」 (エレミヤ書29:11)

というみ言葉が震災の時にあたえられて、キャンプで被災地から来た先生が語っておられたのです。そのときは、被災地から来たのに、元気を与えるどころか元気をもらっているのはこっちで、という神様の偉大な力を感じました。

そのときから、ちょっとやそっと悪い出来事が起きても、このみ言葉を胸に乗り越えていくことができたんですが、今回のことばかりは、やっぱり理解できないっていう気持ちだったんです。「もうなんでやねん!」という感じでした。それからというもの、神様に頼ることも少なく、勉強も完全にやる気を失い、人間トラブルというものを経験し、人生最大の絶望と苦しみを味わっていました。それでダラダラ過ごしていたんですが、センター入試の直前になると、いろんな人が祈ってくれていました。「神さまは努力したら絶対に報いてくれる」という言葉をクリスチャンの友達に言われ、その言葉にすがるかのように、猛勉強しました。不思議なことに、めちゃくちゃはかどっていました。センターではそこそこの結果が出て、神様の力を実感し、「これならいける!神様お願い!」っと思い、勉強中も守っていただきました。そして、無事、なんやかんやで京大に受かることができました。さらに、その後の中高生キャンプにボランティアスタッフの奉仕で参加して、祈りの中で神様をはっきりと感じ、心の中にあった重荷が全て取り除かれ、スッキリした感覚を覚えました。現実のことは俺にもわからないけど、抑え込んでたなにかから解放された感覚になりました。「本当に神様の力ってすごいな」と、理解できないことだらけだけど、たぶん人間の理解の範囲には治らない偉大な計画があるんだなと感じました。あのエレミヤ書29:11の言葉を実感したんです。「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」

いま、大学生活は楽しいです。いろいろな楽しみが転がってるからこそ、本当に神様と共に歩むことが大切だなと、しっかりと信仰生活を送っていきたいです!