Mikage Shinai Christ Church

神様のご計画

 

高田清志  御影神愛キリスト教会メンバー7月号「思いやり」

 

僕の父と母はすでに天国に召されています。父は全く耳が聞こえない人でしたが、とっても優しい父でした。

母も障がいをもっていました。「統合失調症」、昔は「精神分裂症」というよばれ方をされていました。幻聴が聞こえて、夜中突然家を飛び出したり、知らない家をノックしたりするという病です。兄もまったく耳が聞こえません。

なので、毎日の生活をするお金が本当に苦しく、開業医の親戚に繰り返しお金を借りに行くという生活だった為、子供をつくることすらその親戚が決める状況でした。

兄が産まれてから14年後、「また、障がい者が産まれるんだろう」と偏見の目で見られているなか、どこも障がいのない僕が産まれました。

でも、家庭は穏やかではありませんでした。僕は、小さいときに母に何回も蹴っ飛ばされました。「統合失調症」の症状で、僕が「悪い人」という風に見えたのです。僕が小学生の時、母は精神病院に何度も入退院を繰り返しました。「統合失調症」は完治しません。一生付き合わなければならない病なんです。僕が中学校に進学した頃は、母は暴れだしたり大声を上げたりトイレに閉じこもったりするようになりました。でも、症状が出ていない時はとっても優しい母でしたので、トイレや入浴の介助は僕がやっていました。

僕が中学校二年生の時、父は天に召されました。肝臓癌でした。その葬儀や公的な手続など一切を取り仕切ったのが開業医の親戚でした。その時、その親戚に非常につらいことを言われたんです。「清志君のお父さん、耳が聞こえないよね、お母さんは精神障害だよね、お兄さんも耳が聞こえないよね。だから、あなたには必ず障がいを持つ子供が産まれます。」「結婚はしてもいいけど、子供は作ってはいけません。」傷つきました。もう一生結婚しなくていい、孤独でいい。ヤケクソになり、バイクを乗り回したり夜中遅くに出かけたり・・・。高校も2年生の時、辞めてしまいました。

今から19年前に阪神・淡路大震災があった年、OA機器などを販売する会社へ入社しました。そこで、嫁さん「母ちゃん」と出逢いました。僕より3か月くらい先に入社した厳しく怖い先輩でした。でも、本気で僕の悪いところ良いところ理解してくれていました。だから、過去に親戚から言われた言葉、それでヤケクソになった事、全部包み隠さず話していました。母ちゃんは「それでもいいやん!耳聞こえへんかったって、かまへん、かまへん、元気な子が産まれたらええやん!」「あなたは、めっちゃ手話できるし、耳の不自由な人でも明るい人いっぱいいるやん!」「そんなこと全然問題じゃない!子供作ろう!」って言ってくれました。

結婚を決めた僕たちは、ちょうど兄が通っていたこの御影神愛キリスト教会で結婚式をしよう!と軽い気持ちで足を運びました。そこで杉本牧師に、優しく「ここは、結婚式場ではありません。」と言われました。ショックでした。でも「クリスチャン同士が結婚する時に教会を結婚式場として使うことはあります。だから、あなた方も毎週、日曜礼拝に通いなさい。」と言われ、僕たちは何の疑いもなく毎週教会に通いました。満子先生から「受洗講座」を何か月か学ばせてもらい、やがて洗礼を受け、無事にこの教会で結婚式を挙げることができました。

2001年11月12日長男の健志(つよし)、2006年9月23日長女の心聖(ここせ)が誕生しました。赤ちゃん

二人とも健康です。毎週家族そろって教会に通っています。昔、家庭のこととかで精神的に追い詰められ何度も「死のう」と思いました。苦しくて、逃げ場がなくて「もうだめだ」と何度も何度も思いました。でも今、しんどい時は神様が居ます。教会の皆が居ます。

今、僕は知的障害、精神障害の方々が生活する施設でお仕事をさせてもらっています。汚物の処理から入浴、食事支援、一緒に遊んだり、一緒に寝たり・・・。辛かったけど、これまで経験してきたことが今、職場で役に立ってるんだなって感じています。神様はきっと僕をそこに植えるためにいろいろ経験させて下さったのかなと感じています。その職場への紹介もこの教会のMさんがしてくださいました。当然クリスチャンでなければMさんとも出会えなかったし、この状況を経験しなかったら汚物を触って処理したりできなかったと思います。すべて神様のご計画だったんだと思います。