Mikage Shinai Christ Church

私が救われた時

御影神愛キリスト教会 壮年部 久保健二

 

私の父は大工で母は専業主婦でした。私は3人兄弟の次男として生まれました。今から39年前の昭和51年3月に私は高校卒業後、阪神間を本拠地とする信用金庫に就職しました。就職と同時に親元を離れて会社の独身寮に入り、これからは誰にも頼らずに自分自身の力で生きていくと決意し、社会の荒波に飛び込んでいきました。最初に配属されたのは尼崎市内の駅前の支店でした。私は最初、定期預金係となりましたが、3年後には営業係になり、地元の市場や商店を担当して毎日朝から夜遅くまで働き、休日は疲れて寮で一日中寝ているというような日々を過ごして10数年が経過しましたが、自信過剰気味だった私にも次第に大きな壁にぶつかるようになりました。自分自身の目的を見失い、一体何のためにこんな人生を歩んでいるのかと考えるようにもなりましたが、そんな私に人生の転機が訪れました。

今から24年前、私は西宮市内の支店で営業係として取引先を訪問しておりましたが、その中に薬局を経営している取引先があり、私はその取引先に大変失礼なことをしてしまいました。その薬局は店先にたばこの自動販売機を置いており、専売公社(いまはJT日本たばこ産業といいます。)より、たばこの仕入れの支払いに小切手を振出していたのですが、その取引先は当座預金の口座に残高を置かずに小切手を振出していた為、小切手が交換で回ってくると残高不足となり、その取引先に入金の督促の電話を架けて集金のため訪問することが続き、ある時、私は経営者のご婦人に「当座預金はあらかじめ残高を入れて置いて小切手を振り出すものですよ、このように残高不足の状態を続けると不渡り事故が発生する危険が伴いますよ。」と説教じみた物言いをしてしまいました。経営者のご婦人は私に当座預金は利息が付かないから残高を置いておくのはもったいないと言いましたが、私は更に追い打ちをかけるように、「おっしゃるとおり、小切手や手形の決済口座である当座預金には利息が付きませんがそのかわりに残高を置いておけば信用がつきます。」と企業先ならともかく、個人事業の取引先に対してもっともらしく言ってその経営者のご婦人を怒らせてしまい、取引が疎遠となってしまいました。その後、暫く経って先ほどの薬局経営者のご婦人のご主人が亡くなられ、近くの教会でお葬式が行われることを知りました。担当地区内でのお葬式には取引の有る無しに関わらず、すべて参列するのが中小金融機関の習わしとなっており、私は初めての教会でのお葬式に戸惑いながらも営業店の代表として参列致しました。その翌日、私は薬局のご婦人に電話で呼び出されました。あの日以降一度も薬局には訪問しておらず、急な電話だったことから、私はご主人のお葬式に参列したことが気に障ったのかなと思い、お詫びするつもりで訪問したところ、ご婦人から、思いもよらず丁寧なお礼の言葉を戴き、亡くなられたご主人が教会の信徒で長年病気療養中であったこと、神奈川県平塚市にいる息子夫婦もクリスチャンであり、自分だけがどうしても信仰を持てずにいることを話されました。そんな話を伺った後、私の方からも先日の失礼な物言いで怒らせてしまったことをお詫びしました。このことがあってご婦人から取引を再開してもらえることとなり、更に近所で文房具店を経営するお姉さんにも取引を紹介して頂きました。

ある時、薬局のご婦人から、私個人のことについて尋ねられ、私が当時30歳を過ぎていてまだ独身でいることを聞いて、その年の11月頃になって先ほどの文具店のお姉さんを通じて私に一人の女性を紹介されました。年が替わって1月に初めて会ったその女性は私より7歳半年下の方で、この御影神愛キリスト教会の信徒でありました。その女性に誠実さを感じた私は女性の勧めに従い、次の週の日曜日に初めて御影神愛キリスト教会の礼拝に出席し、その日以降毎週日曜日にこの教会に通うことにしました。そして受洗講座を受けることになり、自分が罪人であること、私の罪のためにもイエス・キリストが死なれたこと、そしてイエス・キリストを信じることによって罪が許されて救われることを知り、信仰を決意し、洗礼を授けて戴きました。

それから暫くして私は別の支店に転勤となり、転勤の挨拶の為、薬局を訪問してご婦人に私がクリスチャンになったことを告げたところ、そのご婦人は大変喜ばれ、ご婦人自身もようやく信仰を受け入れる決心をしたことを私に話されました。私は大変驚きましたが、私とご婦人が救われたのは主のご計画だったのだと確信しました。その年の6月に私は、主が私の妻に選ばれた先ほどの女性「とも子」と結婚しました。主は私たちと私たちの家庭を恵まれ、長男祐輝と次男豊の2人の子供を与えられました。2人の子供は健やかに成長し、長男の祐輝に続いて2年前に次男の豊にも信仰が与えられ、また近所に住んでいた妻のお母さんをお迎えし、3世代のクリスチャンホームとなりました。途中、阪神淡路大震災を経験するという試練もありましたが、いつも主の恵みに満たされていたことに感謝しています。