3月 負の連鎖を止める者
御影神愛キリスト教会 主任牧師 瀬古 慎二
唐突ですが、「あなたはさばかれるのは好きでしょうか?」また、さばきとはちょっとニュアンスが違いますが、「怒られたり、批判されたりするのはどうでしょうか?お好きでしょうか?」たぶん普通は誰もさばかれたり、怒られたり、批判されたりはされたくないと思います。
それでは、私たちはさばかれたりしない何か良い方法というのはあるでしょうか。
聖書にはこんな言葉があります
「人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。」(ルカ6:37)
私たち人間は、人に裁かれたら裁きかえしたくなる。やられたらやり返したくなる。そんな性質があるのではないでしょうか。数年前に「倍返しだ!」という言葉がはやりました。(実際に「倍返し」できるかどうかは別として)まさに人間の性質を表していると思います。しかし、どうでしょう。皆が皆、さばく思い、復讐心や負の思いを持って生き、その思いをぶつけ合って生きていたとしたら、どうなるでしょう。一人のさばきが次のさばきを生み出し、2倍、4倍、8倍、16倍、32倍・・・と次々と負の連鎖を起こして誰にも止められない、コントロールできない状態になってしまいます。もう既に現代の社会はそのような状態なのかもしれません。
では、この負の連鎖を止めるにどうしたら良いのでしょうか。そうですね。それには誰かが、その連鎖反応を止める決断をすることです。やられたらやり返す、さばかれたらさばき返す、ということを止めて、「私はやり返しません。私はさばきません。私は赦します。」ということを決断し実行する必要があります。そういう人によって負の連鎖が止まるのです。それは負の連鎖を止めるだけではなく、その人が愛と赦しを注ぐとき、今度は人を生かす連鎖が始まるのです。
もちろん、こんなことは誰もが簡単にできることではありません。しかし、既にこの事を私たちのためにして下さった方がおられるのです。その方こそイエス・キリストです。イエス・キリストは私たち全ての人間の罪をその身に負って十字架にかかり死んで下さいました。それは、何を意味しているのでしょうか。それは、イエス・キリストが、神に向かって「悪いのは私です。人間の罪の責任は全部私にあります。その全ての責任を私が負って十字架に架かって死にますから、全ての人の罪を赦して下さい。」というものなのです。そして、キリストは十字架で死なれました。その命の犠牲を見て神は「分かりました。あなたの命に免じて人々の罪を赦します。」と答えて下さっているのです。まさにイエス・キリストは負の連鎖を止めるために自分が悪者になり、自らの命を犠牲にして下さったのです。それは私たちの上に神の裁きが下らないようにするためなのです。
「神はそのひとり子(イエス)を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子(イエス)を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子(イエス)を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子(イエス)によって、この世が救われるためである。彼(イエス)を信じる者は、さばかれない。」ヨハネ3:16~18
今、この事実を受け止め、自分の罪を悔い改め、キリストが私たちのためにして下さったことを信じる者には、神のさばきはもはやなく、罪の赦しと永遠の命が与えられるのです。ぜひ、キリストがあなたのためにして下さったことを信じて神の赦しと命を受け取って頂きたいと願います。そしてキリストが私たちに愛と赦しを与えて下さったように、私たちも人をさばくのではなく、人に愛と赦しを分かち合う人生を歩ませて頂きましょう。