11月 「神様の心」
御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古慎二
聖書に次のような言葉があります。「いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。」まず前半の言葉に目を留めて頂きたいのですが、「人間の思いは…だれが知っていようか。」とありますが、これは「人の思い、人の心はその人自身でないとわからないものだ。」ということを言っているわけです。実際どうでしょうか。私たちは他の人の事を分かっているようで実は全然分かっていないということが結構あるのではないでしょうか。
以前、新聞の投稿にこんなことが載せられていました。ある方が電車に乗っていた時です。同じ車両にガラの悪そうなお兄さんが乗っていたそうです。それでなにか嫌だなぁーと思っていたそうです。しかし、電車が次の駅に到着して一人のお年寄りの方が乗って来られたのですが、その時、そのお兄さんがサッと立ち上がり、そのお年寄りに席を譲られたそうです。その様子を見ていて、その人は清々しい気持ちになったのと同時に、「あ~、人は見た目では分からないものだ。」と思い、人を外見だけで判断していた自分を恥かしく思われたそうです。
私たちも気を付けていないと、ついつい同じ事をしてしまいがちではないかと思います。私たちは、人を見た目や外見だけで「あの人は~~な人に違いない。」と決めつけたり、判断したりしないようにしたいものです。「その人の思いは、その人でしか分からない」のですから。それと同じように「神様の思い、神様が本当にどのような方であるか、ということも神様ご自身でしか分からないものだ」ということが、最初の聖書の言葉の後半で言われていることなのです。
実際のところ私たちは、先ほどの、人に対する勝手な決めつけや偏見をもって人を見てしまうように、神様のことも自分で勝手に「神様は~~~に違いない。」「神はこういうものだろ。」と決め付けてしまっていることがあるのではないでしょうか。しかし、人の思い、人の心というのも、その人自身でしか本当のところは分からないのと同じように、神の思い、神の心も、神ご自身でないと分からないものなのです。ですから、もし自分で勝手に「神は~~~に違いない。」と決め付けているかも知れない、と思われることがあったら、その思いを少し横において神に祈って頂けないでしょうか。「神様、どうかあなたの心を教えてください。あなたは、本当はどのような方なのですか。」と。そして、聖書を読んで頂きたいのです。聖書には神がどのような方か、神がどのような思いを持っているかが描かれています。聖書を通して神様の心を知ることができますようにお祈りしています。また、ぜひ教会にお越し頂けると感謝です。