2013年11月「教会はどんな人が行くところ?」
「教会はどんな人が行くところ?」
御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古慎二
ある人から「私はクリスチャンじゃないんですけど教会に来ていいんでしょうか。」と聞かれたことがあります。他にも同じように思っていらっしゃる方も多いそうです。また、「教会は私のような汚れた人間が行けるところじゃないですよね。」とか、「もうちょっと良い人間になったら教会に来ますよ。」とか言われる方々もいらっしゃいます。
実際、教会とは、どういう人が来るところなのでしょうか。
聖書のマルコ2章17節でイエス様は、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。」とおっしゃいました。イエス様がこの世に来られた時、積極的に関わられた人たちがいます。それは、宗教的指導者や政治家たちといった世の権力者たちではありませんでした。むしろ、その当時、罪人と呼ばれた取税人や遊女たち、また病人や名もない普通の人達とイエス様は積極的に関わりを持ったのでした。
イエス様の12弟子の1人でマタイという人がいますが、この人も取税人でした。この当時、イスラエルの国は、ローマの属国でありました。ですから取税人は、ローマのために同胞ユダヤ人たちから税金を徴収する仕事をしていました。そのため、同胞の民からは、ローマの犬として嫌われていました。また、ローマ人たちからも、ただの下っ端の働き手として馬鹿にされていました。ですから、取税人であったマタイもとても惨めで寂しい毎日を送っていたことと思います。そんな時、彼のところにイエス様が来てくださったのです。そして「私に従って来なさい。私の弟子となりなさい。私と一緒に生きよう。」と言ってくださったのです。どんなにマタイは嬉しかったでしょうか。時の人であったイエス様が、わざわざ自分のところに来てくれて、「私の弟子にしてあげよう。」と言ってくれたのですから。そして、彼はイエス様に従って、その後、素晴らしい働きをする人になっていくのです。
このようにイエス様が招いていらっしゃる人たちというのは、義人と呼ばれる正しい人たちではなく、むしろ人生に悩み、あるいは自分の罪深さや弱さに気づいている人たちなのです。教会もまた正しい人たちだけが集まるところではなく、自分自身の罪や弱さに気づいた人たちも神の恵みを求めて集まるところです。ですから、教会はどんな人が来ても良いところなのです。どなたでも遠慮なく教会にお越し下さい。あなたを歓迎いたします。