2017年11月 “神様との出会い”
“神様1番” 御影神愛キリスト教会員 有島真之
私は、物心付く前から母親に連れられて教会に行っていました。自分自身が罪人だと、神様の存在を教えられたのはアメリカに居た幼稚園の時でした。教会学校のミニカーが欲しくてたまらず、手に握りしめて盗み持ち帰った時でした。教会学校の先生、母親に、そのミニカーは私のではない事、盗みは罪である事、天地を創造された神様はすべてをお見通しである事。そして、神様に背いた人がどうなるのかを教えられました。
罪人は裁かれる事(ヨハネの黙示録20章:15節)「このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた」
しかし、イエス様は私の罪のため、私の代わりに十字架にかかり罪を贖ってくださった事。その贖いを受けるためには、自分の口で罪を認め、神様を信じることを教えてくださいました。
(ヨハネ第一の手紙1章:9節)「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」
幼稚園児であった私は、神様に泣いて罪を告白し悔い改め、神様を信じる信仰告白をしました。その後の神様との関係は山あり谷ありです。御影神愛キリスト教会へは小学1年の時に姉の高校受験ため父が単身アメリカに残り日本に戻ることになり、西宮の仁川から御影へ阪急電車で母に連れられ遅刻しても最前列に座る母親の隣に座り礼拝に出席していました。
小学校の高学年になり、父がアメリカから戻り車で教会で行くようになりました。父はノンクリスチャンであったため、礼拝中は時間をつぶして、礼拝後迎えに来て、車で帰るようになりました。
日曜日には礼拝に出て帰る習慣となっていましたが、中学に入り、西宮から大阪に引越しました。大阪に引っ越し後は、石橋の神愛キリスト教会や単立の教会に通ってはいたのですが、反抗期が重なり徐々に教会から離れていきました。
中学生の時には、教会から完全に離れ、朝起きて祈ることもせず、聖書も読まず親に反抗し世的な生活を送っていました。罪を罪とも思っていない生活の状況下で、再び神様の元へ立ち返る機会があり悔い改めて、洗礼を受けたら何か変わるのではないかと思い洗礼を受けたのですが、何も変わらない感じがしました。劇的に変わるとかなく、高校生活でも夢も希望もないような生活をしてしまいました。
(No vision the people perish 箴言29章:18節(ビジョンのなき民は滅びる)
頭で神様のことは知っているが、洗礼を受けてから、聖書をちゃんと読むとかせず、名ばかりクリスチャンのような生活をしている中で全国聖会や、聖霊待望会などにも参加したりしても、何も変わらないなと思っていました。
そんな日々を過ごしている時、母親の神様に対する態度を見て、自分自身が頑張っている事に気が付きました。就職活動を始めたのですが、就職氷河期真っただ中と世間で言われていた状況下でしたので不安でした。毎晩神様に就職先について祈り求めました。
しかし、明確に答えが出ず、10,20社と受けていくうちに不安が募っていきました。2次、3次審査に進んだ会社、内定をもらった会社もありましたが、全然平安がなく、断りました。
しかし、神様は平安の時を用意してくれていました。今の就職先ですが、最終面接を受け終えたドアを閉めた時に、なぜか受かったと確信があり「ここですかと」尋ねると、にっこりと神様が微笑んでくれているような気がしました。
その時から平安があり、翌々日あたりに内定の電話があり即答でお願いしますと言いました。感謝で一杯でした。それまでは「神様、お願いします」の一辺倒の祈りでしたが、神様にゆだねる事、神様に尋ねる事、神様の前に静まって聴く事を学ばされました。
社会人になってからも、完全に自我が死んでいないことに気が付かされることがありました。社会人4年目に人事評価について、感情に任せてブチ切れて辞表を叩きつけ…。辞表を叩きつけた後に平安が無いこと、神様の悲しむ姿を気が付かされ、祈り求めて、平安の内に神様に与えられた職場を自分の手で捨てるのかと問いがあり、自分の愚かさを認め2日後に取り下げてもらった事もありました。
幸いにも、母の書棚には信仰本が沢山あり、通勤時間に読もうと思い読み出しました。十一献金について、お金だけではなく自分自身の時間を神様に捧げることが、書かれており、24時間の十分の一は無理やわと思い、少しずつでも神様との時間を設けるようにしていきました。
神様は愛である、祝福してくださる神と小さい時から聞いていた半面、神様に対する畏れがありました。特に旧約聖書に神様に背いた人たちがどうなったのか記載されているためです。
「あなたがたの神、主を試みてはならない」申命記6章16節
み言葉に主なる神を試みてはならないと書かれていましたが、神様第一にして生活してみたら、ホンマ祝福してくれるんかなと期待をもって神様を試みたことがありました。神様中心になるように生活をシフトする。
「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ6章:33)
おのずと神様は祝福してくださり、教会の青年部の活動を通して妻となる女性とも知り合い結婚しました。結婚して、父と母と姉と私と妻の5人で父の実家である富山へ行った帰りの高速道路のトンネルを抜けた道が凍結しておりでスリップした時、スピンして中央分離帯にぶつかって止まったのですが、大雪がクッションになり全員無事で車に傷一つなく神様に守られていると家族そろって主を賛美しました。
結婚後も人事評価に対する不平不満もあったりしましたが、娘が与えられ、単身赴任、仕事も祝福してくださり、二人目の娘も与えられました。神様にゆだねて生きると決める前までは、うまくいっているような気がしていただけで、それは最善の道ではなかったとはっきり理解することができました。
最後に「わたしたちは、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである」ローマ14章8節