2017年7月 「神様は日本と日本人を見捨てませんでした」
御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本俊輔
イエス様は弟子達に宣教命令を残しました。
「全世界に出て行って、全ての造られたもの(人)に福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受けるものは救われる。」マルコ16:15〜16
この命令がアジアの最西端の日本に届くまでには、なんと1800年の年月が必要でした。それも地球の西回りをして届けられたのですから、奇跡と言うべきでしょう。神様は、日本を忘れてはいませんでした。
江戸末期に神様は、欧米諸国のクリスチャン達に「日本人にキリストの福音を」届けようとの使命を与えてくれていました。しかし、当時の日本は鎖国の時代(1639年〜1853年)214年間でしたから自由に外国人が入国できる状態ではありませんでした。鎖国の時代は、キリスト教(切支丹・カトリック)に対する迫害は厳しく、「宗門改め」、「檀家制度」「五人組制度」などいろいろな、規制と監視があって、信仰の自由はありませんでした。
時が来て1853年2月8日(嘉永6年)米国海軍軍人マシュー・ペリーが4隻からなる艦隊を率いて浦賀に来航して、日本に開国を迫りました。そして、1854年3月3日日米和親条約を結び正式に開国しました。しかし、開国の後も1873年(明治6年2月24日)まで「切支丹禁制」の高札は掲げられ、信教の自由は奪われ、恐怖政体の中にあったのです。
しかし、この長い霊的暗黒の中でも神様は、日本を愛し、救霊の信仰と情熱を持った人々を起こしてくれていました。戦況の命令を受けた外国のクリスチャン達は、日本が開国するまでに様々の準備をしていてくれたのです。中でも、アジア人宣教に使命を持っていて、中国伝道に携わっていた、モラビィア兄弟団の指導を受けたドイツ人宣教師カール・ギュツラフです。彼は不思議な導きで、1832年ごろマカオで3人の日本人に出会いました。愛知県知多半島の鳥羽港の漂流漁民(音吉、岩吉、久吉)です。彼らの助けを受けて日本語を学び、「ヨハネ福音書」とヨハネ第一第二第三書簡」を和訳を(これば、プロテスタントの最古の和訳聖書です。)しました。これをシンガポールで出版しました。しかし、この聖書が日本人に届いたのは、1859年に米国長老教会の医療伝道宣教師ジェームス・カーチス・ヘボンが持って来るまで23年の年月がかかりました。
さて、ヘボンも日本の人々を愛し、日本宣教に重荷を持つ一人でした。彼は、米国のプリンストン大学、ペンシルバニア大学医学部で医学博士の学位を取得し、豊かで平穏な生活を日本人戦況のために捧げ、米国長老教会の医療伝道宣教師(専門は脳外科)として来日しました。当時まだ、切支丹禁制の高札は撤去されていませんでした。公然と戦況活動することの困難な中、神様から頂いた知恵と導きで、彼が始めたことは、「医療活動」、「聖書の日本語訳」、「学校教育」=「ミッションスクール」、日本人クリスチャン指導者の養成」=「神学校」と「外国人宣教師の指導」でした。そして、後に続く人々の道備えをしてくれたのです。ちなみに「ヘボン式ローマ字」は彼の考案です。
これらの二人だけではなくこの後も多くの宣教師達が日本宣教に福音の使者として来日してくれたのです。日本は神様に忘れられていません。神様に愛されている国です。
私たちの責務は、キリスト様の福音を隣人に伝える事ですね。