Mikage Shinai Christ Church

2017年8月  “Collateral Beauty 神様からの贈り物”

御影神愛キリスト教会 会員 中濱秀夫

 私は三度大きな喪失体験をしました。一度目は、22歳の時大きな失恋をしました。二度目は、36歳の時、妻を天国へ見送りました。三度目は、47歳のとき、再婚した妻を天国に見送りました。

この三度の喪失体験を通して、知ったことが二つあります。ひとつは、「決して悲しみに慣れることはない」ということ。もうひとつは、「しかしその悲しみからの回復の過程には大きな差がある」ということでした。悲しみに出会ったとき、「何故?」と問いかけます。人間の知恵によっては答えのないことを知っています。でも問いかけてしまいます。悲しみ、辛さが深すぎると、その時々に神様の与えてくださることを見逃してしまうようです。しかし、神様が差し出してくださったことをしっかり受け取ったとき、その後の歩みが変わってゆくことを知りました。

 一度目の失恋の時、イエス様とまだ出会っていませんでした。神様の愛、神様からの慰め、励まし、それらのことを知らずひたすら自分の力で堪えようとしました。様々なものでこころの空洞を埋めようともがいていました。

仕事、趣味、異性との交際。しかしそれらのもので満たされることは無く、長いトンネルの中を歩んでいました。二度目の時、夫婦でイエス様を信じ歩むものとなっていましたが、イエス様から頂いた救いの喜びをしっかり受け取れていませんでした。礼拝にも出席せず、教会を離れ生活していました。

そのような中で妻が倒れました。脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血でした。手術を行いましたが一度も意識が戻ることなく、脳死に至り天国に旅立ちました。

その過程で自分の中にある辛さや苦しさを解放してくれるものがないかと聖書の中に探し求めました。聖書のことばを味わうというようなものでなく、渇きを潤すものがないか、読みあさるというようなものでした。

倒れた日、妻あてに一通の便りがとどきました。教会を離れている私たちを気遣い教会のあるご婦人が下さったものでした。私はすがるような思いでその方に電話をしました。この事をきっかけに私たちのために祈ってくださり、励ましてくださる、先生方や兄弟姉妹のおられることを知ることになりました。

このお便りがなければ、私はもっと違った人生を歩んでいたかもしれません。このご婦人を通して神様が手を差し伸べてくださったことを知り感謝しました。

妻を天国へ見送り、8年過ぎた頃一人の女性と出会いました。信仰生活も10年を迎えようとした頃です。人生を共に歩むパートナーと考えていました。イエス様の救いを信じる者となって一緒に歩みたいと願い祈っていましたが、卵巣がんを患っていることがわかりました、二度の手術や抗がん剤の治療を受けましたが結果は思わしくありませんでした。闘病中にイエス様を信じ、結婚式の予定も立てていましたが、病気の進行が速く残された時間の少ないことを知りました。

淀川キリスト教病院のホスピスで結婚式を行い入籍し、結婚式から二日後に天国に旅たちました。実は、この女性は22歳の時失恋した相手です。

何故、今再び出会うのか、神様の想いを測りかねていました。また、病の事を知ったとき、あれから22年が経ち、今出会うことの意味を神様に問いました。私にとって、彼女にとってどういう意味があるのですかと。そして、彼女を妻として天国へ見送り、すべてのことを終えたとき、ひとつのことが心にとどまりました。「完結した」という思いです。

22年前、悲しみのなかで自分にできることがあればどんなことでもしたいと願ったことが、今、具体的なかたちで叶いました。この世での生活の最後を神様と共に見守るという役目でした。それが自分にとって最もふさわしい役目であり、最善のものであることを知り、心から感謝しました。神様が二人に与えてくださった、辛いけれど素晴らしい事でした。

先日、ある映画を観ました。日本での題名を「素晴らしきかな人生」、原題を「Collateral Beauty」と言います。Collateral Beautyという言葉を映画では「幸せのオマケ」と訳していました。「悲しみの中で添えて与えられる美しいこと」というような意味でしょうか。6歳の最愛の娘を脳腫瘍で亡くしたご夫婦の歩みを通して、Collateral Beautyを受け取った妻と、見逃した夫との対比が描かれていました。

私は、三度の経験を通して、確かに神様が与えて下さるCollateral Beautyがあることを知りました。神様が与えて下さる私への「贈り物」です。決してオマケなどではありません。そのような経験をしたものにしか受け取ることのできない、神様が特別に用意してくださった私のための「贈り物」です。

一度目はそのようなものがあることさえ知りませんでした。二度目はこの「贈り物」の存在を知り受け取ることができました。人を通して、聖書のことばを通して、神様が教えてくださいました。三度目はこの私に対する「贈り物」を、今この時にしか受け取れない「贈り物」としてしっかりと受け取ることができたと思います。悲しみの中にあっても、前向きに神様の想いを感じて歩むことができました。

神の愛は、闇のなかにも光のなかにも、私の悲しみのなかにも、喜びのなかにも存在していることを、そして神の愛なしには生きていけないことを知りました。三度目の経験を通して「完結した」との思いを受け取った私は、これからの人生は一人で歩むものと思っていました。

しかし、神様の計画は少し違っていたようです。それから7年後、54歳の時に、4人の家族が与えられました。妻と三人の子供たちです。一方的に神様が与えてくださった、素晴らしい「贈り物」です。全く考えてもみなかったことでしたが、神様が備えてくださる最善の「贈り物」を受け取ることができました。妻と二人で祈り、支え合って歩むことの素晴らしさを体験させていただいています。神様の恵みのなかを家族で歩むことのできる幸いを感謝しています。

今、悲しみのなか、辛さのなかを歩んでおられる方がいらっしゃいますか。是非知っていただきたいのです。あなたのことを理解し、愛してくださる神様が、今あなたのために、必要な「贈り物」を差し出してくださっていることを。その胸にしっかり受け取ってください。あなたへの神様からの贈り物を。