Mikage Shinai Christ Church

2018年2月 “神様との出会い”

“神様は私をいつも、どんな時も愛し続けてくださる”

御影神愛キリスト教会員  長久 浩二

 私が信仰をもつ前の課題は死と次男坊です。私は太平洋戦争の始まった真珠湾攻撃の2週間後に誕生しました。祖父母、両親、兄、妹、弟の8人家族で育ちました。

「死について」小学3年の時に裏山に遊びに行った時、首つり自殺を私が発見しました。今でもその人の様相、履いていた茶色の革靴を思い出します。死を考えたのはその時からです。

なぜ死ぬのかではなく、死そのものの恐れです。ふとした瞬間に思うのですが、自分が無になる事の怖さです。私が死んでも世界は何も変わらないであろう。今と同じ日々が続くだろう、私だけが居なくなり皆の記憶からもなくなり、無に帰することが本当に怖く、毎日、死を考え無いようにしていました。

親や祖父母の考えから般若心経で言う「夢のまた夢」現実は夢であり、夢みたと思った事がまたそれも夢という、生きている事は実体のない事と自分の恐れを閉じ込めました。祖父母の死、母方祖父の死に大学時代に会いましたが。何ら感情もなく、電池の切れた年寄り人形を火葬するように何の感情の振れもないまで自分を律しておりました。

「次男坊について」8人家族で子供4人の中の次男はいかに大人に認められか、が重要なことでした。無意識のうちに如何に兄を押しのけ、祖父母両親に認められるかが最大課題でした。

負けるか勝つか。一位になれるか、いかに強くなるか、いかに良い成績をとるか、親の言うことを聞き、いい成績を取ることに、努力に努力を重ねました。多少の不正をしてでも勝ことに拘りました。次男坊の性格のまま成長しました。

県下一の進学校に入学し、期末試験では400人以上の氏名が成績順に廊下に張り出される高校で頑張りました。如何に、親に認められるか。

その時代の国立大学は一期校と二期校があり、一期校に入れば親がよろこんでくれると思って頑張りましたが、残念ながら、二期校の岐阜大学に入学しました。

敗北感を味わいました。工学部で就職を決める時、叔父が陸軍潜水輸送艇ゆ号の将校であったこともあり、潜水艦に興味を持っておりました。今でも最強の兵器です。

国内で潜水艦を作っている川崎重工業に就職しましたが、残念ながら造船部門ではなく産業機械プラント事業部に配属になりました。また、敗北感を味わいました。会社の独身寮では無念で有った一期校卒業生の同僚の中で無理しながら生活しておりました。

寮ではアカデミックな雰囲気もありましたが、政治、経済等の雑談の後はいつも酒を飲で毎日楽しく「死」については何も考えないようにしておりました。

入社2年目の夏に同期の守屋宏君が実家に帰って飛び降り自殺をしました。只死んだとの連絡が有りました。東大の造船工学出身の、昨日まで酒飲んで騒いでいた仲間が、何の理由もわからずに自死しました、ショックでした。また考え無いようにしていた死、悟ったはずの死の恐れに再び悩みました。

また、勝利の目標の一期校は何であったのか? 死の問題と何についても競争して勝ち抜こうと思う二つの課題が同時に訪れました。摂津本山駅から海側にある独身寮に帰る時は二日に一回は酒を買って帰っておりました。

夏に甲南本通りを一升瓶持ちながら帰る途中に進駐軍の払い下げの2本主柱の軍用テントが張ってありました、前を通ると初老の婦人が出て私の腕をつかみ、「イエス様の話を聞いてください」と、逃げられない状態になりました。私の母親と同年齢で同じように痩せているので、帰っても酒飲むだけだからと、「聞いてやるわ、まやかしを暴いてやるわ」の気持ちで参加しました。

夏草を踏み倒した草の匂いと蚊取り線香の匂いを思いだします。津村昭二郎先生が汗一杯で12年間長血のおんなが癒された話をされていました。話よりも先生が汗一杯で必死に話している姿に自分に無い何かを感じました。

次の日も天幕伝道会に出席し、もっと知りたいと思い教会に通い始めました。(私の腕をつかんではなさなかった初老の御婦人は子供ホームの川名園長で25年後に私が次の園長になりました。

神様の計画と信じますハレルヤ、)愚かで高慢にも、当時は自分の理解できること以外は信じない者でしたので、教会には何かあるが、聖書は昔話として聞いておりました。神の存在、高校受験で教わった進化論が北京原人、ジャワ原人とそれらを証明する化石が真理と考えておりました。聖書は頑張り屋の性格で毎日読んでいましたが、理解も信じることもできませんでした。

しかし、夏にセミの抜け殻をじっくりと見た時、神様が分かりました。長年土の中にいてある特定の時期の朝、土からでて、殻を破り、その日の内に空を飛び、大きな声でなく、進化論でいう突然変異の繰り返しでこんな精密な生き物が出来るわけがない、神様がセミをセミとして作って下さったと考えるほうがより理にかなっていると理解しました。

その目でみると水中のヤゴが空をとびまわるトンボ。芋虫から蝶と次から次へと。やっと「神の見えない性格・・被造物において知られていて、明らかに認められるからである」を心でも頭でも分かりました。そして創造主で全知全能の神様が私を創造して下さったと信じる決断をしました。

神さまが確かに存在し、セミと同様私を私とし大切にして下さっていると思うと、今までの競争で裏切った思い、同時にいろいろ記憶にある人を蹴落とした記憶、嘘をついてまで出し抜いた思い。約束を反故にしてまで争ったこと、相手の顔、その時の眼差しが次から次へと思い出され。悪かったごめんなさい赦してくれ、を一人一人思い出しながら赦しを願いました。また、「いつも競って一番になりたい、他人に良く思われたい、」は「全知全能の神が私のすべてを御存知で神様が正しくすべての私を知って下されば、それでいいではないか」を思うと競争心、勝ちたい願望から自由になりました。死の思いからは、肉体の死後も「私はあなたを決して見捨てず、見放さない」と言って下さる神様が私を神の子として永遠の命を与え神の国で神様と共に過ごすことのできる希望を与えてくださり、既にその地にいる亡き二人の妻達との再開を楽しみと思うようになりました。

これで終わりではありません。その後、仕事の上でも毎日の生活でも親子関係でも、自分が頑張らなければの思いと頑張らない他人を非難する前の考え方の癖が出、それが私の苦い根であると気が付くまで、過ちを繰り返し行い悩みました。「こんなはずじゃなかったですよね、神様」この繰り返しを何回も続けて、苦い根退治が程度の差こそあれ今も続いています。聖書を読み、祈り、今までの神様の恵みを思いだし感謝し、聖霊による導きを受け続けなければ、また、昔の苦い根の奴隷となります。結論 76年間生きていて「神様は私をいつも、どんな時も愛し続けてくださる。」これは本当です。