Mikage Shinai Christ Church

2018年6月”神様との出会い”

御影神愛キリスト教会員  坂口望美

 

 はじめましての方もいると思うので、軽く自己紹介をしたいと思います。2015年の冬頃から、この教会に通っています、坂口望美と申します。一昨年のクリスマスに若松ひかり姉妹(旧姓:柴田)と一緒に教会でお芝居をしました。そちらの方が記憶に残っている方が多いかもしれません。3月半ば、私は約3年ぶりにアメリカに帰りました。アメリカで通っていた教会の友人の結婚式に参加するためです。アメリカで再び主は私に主の計画の素晴らしさを教えてくれました。それも私にしか当てはまらない、私専用の私にぴったりの方法で。このみかげだよりでは、私が主を信じるまでの証を絡めて、久しぶりのアメリカで主に教えてもらったことをシェアしたいと思います。どうか、この証で少しでも主に栄光が帰されますように。

 

アメリカで私が通っていた教会は日本人教会でした。その教会の牧師先生が、今でもメッセージでよく話す、私のストーリーがあります。私はアメリカでの年末、ECというアメリカにいる日本人クリスチャンのカンファレンスに参加していました。わたしは、その時、自分がクリスチャンになるということは想像しておらず、ただ一人での年越しよりも、教会のみんなと年越しがしたいがために参加を決めました。私はまだ主を信じていなかったので、seekersというノンクリスチャンのプログラムに参加しました。

 

年越ししてしばらくたったころ、私のスモールグループのリーダーが「神とはなんだ」と苦しんでいる私を見て、「あ、のんちゃん、もうそろそろ信仰告白をするのでは」と期待し、牧師先生と奥さんを私の元へ集めたことがありました。けど、私はまだその時、主を受け入れる準備ができていませんでした。

 

そしてここからが、牧師先生が大好きなパート・リーダーの「もし明日地球が滅びるとして、今主を信じていたら、のんちゃんは天国に行けるんだよ」という問いかけに私はこう答えました、

 

「私はもし明日地球が滅びるとしても神さまを信じない」今思い出してもパワーワードでしかないこの台詞。呼び出された牧師先生の口はしばらく開いたままふさがらなかったそうです。けど、その約5か月後、私は洗礼を受けました。年明けに考えたことなど消え去って、自然とわたしは救われたいと思えることができたからです。主は本当に根気強くコツコツとゆっくり私にわかりやすいように自身のことを私に教えてくれました。本当にコツコツと。

 

そして、その1か月後、教会の兄弟の結婚式に参加した翌日、礼拝を捧げ証をし、教会のみんなに見送られ私は日本に帰国しました。ちなみに私はその結婚式で皆さんご存知の塚本良樹兄弟に出会いました。帰国後、私は教会探しを始めました。牧師先生に事前に紹介してもらった教会を回っていったのですが、どこもピンとは来ませんでした。

 

もちろんどの教会も素晴らしく恵みに溢れてましたが、私はどうしてもアメリカの教会を思い出してはさみしくなって泣いていました。はたから見たら主に触れられて泣いているように見えたかもしれませんが、事実、私はホーム(チャーチ)シックで泣いていました。紹介してもらった教会全て回り、どこもピンとこず、教会探しが嫌になった私は牧師先生に助けを求めました。そして、最後に紹介されたのが塚本良樹兄弟の母教会である、この御影神愛キリスト教会でした。良樹兄弟は私が通っていた教会の献身者の友人で、その彼の結婚式に参加した後、フラー神学校で学びながら、私がアメリカで通っていた教会で献身者として働いていました。なんだか本当に主の計画で素晴らしいな、と改めて振り返って思います。

 

 

その時からわたしはこの御影神愛キリスト教会に通っています。この教会に出会って、ピンと来たり、あー、この教会がわたしに与えられた教会だ、と深い衝撃を受けたわけではありません。ただ、アメリカで教会に通い始めたのと同じように、この教会にはまた会いたいと思える人たちがいたのです。

 

友人の結婚式に参加して帰国したわたしは、今年の三月、友人の結婚式に参加するため、帰国して三年ぶりに再びアメリカの地に足を踏み入れました。そして三年ぶりに母教会での礼拝に出席しました。正直なところ、わたしは少し礼拝に出席するのが怖いと思っていました。もし礼拝に出席して、懐かしさのあまり、また母教会に通いたい、と思ってしまったらどうしよう、と。日本に帰って御影の礼拝に出席したときにアメリカの教会に戻りたいと、またホーム(チャーチ)シックになったらどうしよう、と。

 

事実、御影の教会に通い始めてからも、わたしはたびたび母教会を思い出してはなんだか寂しくなっていたのです。その状態に戻ってしまうのではないかと、わたしは内心恐れていました。けど、その心配は杞憂に終わりました。  

 

久しぶりにアメリカでの礼拝に出席して、聞かれました。久しぶりのアメリカでの礼拝はどうだったか、と。わたしは、めっちゃ懐かしいとか、戻りたいとは思わなかった、と答えました。質問の主は、良かった、と深く言ってくれました。

 

そう、確かに久しぶりのアメリカでの礼拝は懐かしかったです。けど、戻りたいとは思いませんでした。恵みに溢れていた礼拝でした。でも、日本で過ごした3年間をわたしはアメリカで過ごしたかったとは思いませんでしたし、御影の教会で過ごした二年半をアメリカの教会で過ごしたかったとも思いませんでした。主は今回のアメリカの旅を通して、わたしに教えてくれました。わたしは日本という地で主に仕えるのだということ、そしてわたしが日本で与えられた教会は御影の教会だということ。わたしは与えられた教会が御影ではないと疑っていたわけではありません。ただ主はいつものように、わたしにぴったりの方法で、わたしが一番心にストンと落ちるように、とても丁寧に時間をかけてわたしに教えてくれたのです。

 

神のなされることは皆その時にかなって美しい。人は、神のなされるわざを初めから終りまでみきわめることはできない。”(伝道の書3:11)

 いつからか、わたしのホーム(チャーチ)シックはなくなっていました。いつから泣かなくなったのかあまり覚えていません。そして、それがぶり返すことはこれから先ないでしょう。主は毎日毎日わたしを変えてくれているのでしょう。けど、わたしがそれを理解するのは、または主がわたしにそれを伝えてくれるのは、とても先の話だったりします。なんて計り知れないのだろう、と思います。なんて、素晴らしいのだろう、と思います。

 

主は毎日わたしになにかを与え、わたしを変えています。それが何なのか、わたしは“今”知ることはできません。でも、確かに毎日わたしは変えられているのです。主に出会えたこと、母教会を与えられ、そしてこの御影神愛キリスト教会を与えられたこと、全てに感謝して、これから主がわたしに何を与え、何を教えてくださるのか期待して、この文章を終えたいと思います。ありがとうございました。