2018年9月”祈り”
御影神愛キリスト教会 壮年部 後藤 元紀
まず私の幼少時代のことを話させていただきますと、私は、2歳ずつ年の離れた男兄弟の3人の真ん中で、2歳年上の兄友達と遊ぶ活発な子供でした。3歳の時は、滑り台で遊び、その上から箱に乗り滑り下りる遊びをしていた時、滑り台から横に脱線して頭から転落、頭を9針ほど縫う大けがをして生死をさまよったこともあります。また3歳の頃、親の知らぬ間に、私がいないことに大騒ぎになり慌てていると、団地の3階のベランダつたいに隣の家に入り込み、親が探し回っていた間、お隣の部屋にあがりこんで遊んでいたらしい、という事もあった、ゴンタな子供だったそうです。
また、兄たち2~3歳上の友達と野球などして遊ぶ子供でした。兄たちの友達にちやほやされて、甘やかされ好き放題に遊んでいたそんな環境だったことを思い出します。父親の仕事の影響で、幾度か転校もありましたが、その都度私は、自分を自分以上に背伸びさせて、(神戸ではいきるといいますが)いいかっこしていたように思います。
実は、今はバリバリの阪神タイガースファンですが、転校で名古屋から神戸に来た時に、半分脅迫じみた連れ友達から、無理やりならされ、なったようにも思います。 幼少期から少年期はそんな幸せな生活を送っていたのですが、小学校6年時に父親が体を崩して病院に通うようになり、私が中学校1年生の時、病気で生死をさまよう大病に見舞われ、授業中に、病院にも呼ばれたりもしました。
後に、私は弟が、この御影神愛キリスト教会に来て、熱心に、父親の病気が治るようにと、祈っていたらしい事を知り、母親も教会に導かれ、たがいに祈っていた事を知りました。弟と母親の二人の祈りと牧師先生また教会の人たちの祈りのおかげで、奇跡的に父親も退院することができ、後に父親も教会に導かれました。私は、そんなときでも、好き放題の生活で、中学卒業はクリアしたものの、高校に入学しても変わりはしませんでした。
高校になり、野球部に入部しても、夏休み明けにはきつい練習が嫌になり、退部して帰宅部になり、気がつけば水道筋の喫茶店に入り浸り、不良の連中と同じ部類になっていました。マージャン、タバコ、酒、などで高校生活でも、最終的な退学はなんとか免れましたが、何度かの停学をして、その都度、両親を泣かせていました。大学にも何とか入学はできたものの、調子者の本当にあほな私は、生活態度は一向に変わることがありませんでした。
連れの仲間と酒を飲んで、六甲山、43号線、阪神高速に暴走しに出かけたり、他グループと絡んだりしたそんなある日ある深夜、酒に酔った私は、ある事件で警察に世話になりました。私はこの時、絶望に陥り、必死に後の人生のことを思い、涙して、自分の罪を悔い、勝手ながらに神様にお祈りをしていました。しかしその時、ある人の証言により、許され、事件にはなることはなくなりました。その時、涙ながらに謝罪し、私は神様を受け入れる決心をしました。
しかし、最初に述べたとおり私の心は昔のままの古い肉の性質にしたがっており、警察沙汰の行動はその時以降ないようになりましたが、生活は神様の欲するものとは程遠いもので神様とは離れておりました。私の中では、何とも言えない気持ちで、親たちと教会には行くようになり、自然とその教会内では、自分で祈るようになっていました。
神様は、それ以降、何度、私にいいことをしてくださったかは、はかり知れません。仕事で、建築の工事現場を担当していた時も、今思えば、一挙に数人が死に至る、または重篤災害になるのもおかしくなさそうな現象の時も、神様に祈ることで最低限の事故で済まされたり、そのようなことが何度かありました。
そこで現在、今回のお証をさせていただく決心がついたのは、具体的には申せませんが、実際にこの2~3年前から起こった、私の父の問題で、私、または兄弟家族達が真剣に神様に祈り続け、神様は本当にその祈りに対して答えてくださる、それもジャストなタイミングで、計り知れない方法で答えてくださったことを実感しました。
現在の変えられた私は、祈りに答えてくださる神様を実感し、まさに、聖書の御言葉通り、「いつも喜んでいなさい、たえず祈りなさい、すべてのことに感謝しなさい」という生活が自然と毎日できていることに、本当に感謝しています。
また、瀬古牧師先生から学んだ素敵な一言をいつも思って生活しています。PUSH ( PLAY, UNTIL, SOMETHING, HAPPENS ! ) 何かが起こるまで祈る!救いが起こるまで忍耐する!をモットーに念頭に置き、本当にかなえてくださる神様の存在を知り、感謝の生活ができています。皆さまも、祈りをかなえてくださる神様を信じて、生活していきましょう。