Mikage Shinai Christ Church

Daily Archives: 2018/05/04

2018年4月”イースター”

 

御影神愛キリスト教会 伝道師 瀬古博子

  近年春になると「イースター」という言葉を耳にするようになりました。よく意味はわからないけど、春のお祭りと副題が付いている場合が多いように思うので、昔からあったアメリカの春のお祭りと思っていらっしゃる方が多いのではないかと思います。

 実はこの言葉はクリスチャン用語であり、クリスチャンにとってとても重要な言葉であり、大切な日です。日本語に訳すと「復活祭」で、イエス・キリストが十字架にかかって死んで3日目に甦ったことを記念するクリスマスに次ぐ大事な日です。

罪を全く犯されなかったのに、私たち人間の暗い汚れた心を清めるために十字架にかかって死なれたイエス・キリストが甦ったことを、私たちクリスチャンは真剣に信じています。

「死んだ人が甦る?」と信じられない方がほとんどであると思います。でも、私たちクリスチャンは本当に信じているのです。なぜならイエス・キリストが私たちの代わりに死んでくださり、またそれで終わりではなく甦って下さったことによって、人間が絶対に克服できない「罪の問題」と「死の問題」に解決を与えてくださったからです。イエス・キリストの死と甦りが自分のためであることを信じることによって、罪責感から解放され、死の恐怖から解き放たれたことを実感できるからです。

 忘れたいと思ってもフッと襲ってくる過去に犯した罪に対する罪責感、また今すぐではないと思いつついつかやってくる死に対する恐怖心。これは真剣に考えても避けられないので考えないようにし、今だけを楽しめば良いと、刹那的な生き方になっている方が多いように思います。でも、考えないようにすることや楽天的に考えたら良いでは済まされない状況に陥る時もあるのではないでしょうか。

 でも私たちクリスチャンは、イエス様が私たちの罪の処理を行ってくださったことを信じることによって、「その罪は赦されている」と声をかけて頂くことを経験し、死を目前にしても「イエス様の所に行ける」という平安を持つことができるのです。あなたにもそのような安心感を得ていただきたいと思います。

今年のイースターは4月1日で、この手紙がお手元に届く頃には終わっているかもしれません。でもクリスチャンが、教会が、その安心感を持てる秘訣をお伝えすることができます。クリスチャンに聞いてみてください。教会に足を運んでみてください。是非安心感を持って人生を有意義なものにしていただきたいです。

「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかた(イエス・キリスト)は、ここ(墓の中)にはおられない。よみがえられたのだ。」(聖書)

2018年4月”神様との出会い”

”本物の神と出会いました”  御影神愛キリスト教会員 塚本謙一郎

 私は今年5月で60歳になります。これまでの人生を振り返ると、ただただ神への感謝しかありません。私のような欠点だらけのつまらない人間を受け入れ、愛し、訓練し、今日まで導いて下さった聖書の神は、たしかに存在しておられる唯一であり真(まこと)の神であると心から証言できます。

 私は牧師の家庭に生まれましたが、小学校に上がる前に事情により父が牧師を辞めたため、次第に教会にも行かなくなりました。中学生になり、英語が上手になりたいという思いで家の近くにあった宣教師の教会に行くようになり、17歳の夏にあらためてイエスさまを信じて六甲山中の川で洗礼を受けました。資生堂のモデルやキリスト教番組の司会をしていたヨアンナ・スィラバンさんをご存知の方もおられると思いますが、彼女とは小学校以来の幼なじみで(彼女は途中からインターナショナル・スクールに転校しましたが)、洗礼を受けたのも一緒です。

 洗礼を受けたら順風満帆の人生が始まったかというとそうではなく、むしろ波乱万丈の人生の始まりでした。父なる神は愛する者を訓練されると聖書に書かれている通りです。(笑) 詳しく書くには紙面がまったく足りませんが、神からの訓練=試練は、私たちにとって実に有益であるということが今ではよく分かります。また、私にはそれだけ訓練されなければならない部分が多かった(!)ということかもしれません・・。いや、それだけ神に愛されている(!)と解釈したいと思います。(笑)

 多くの試練を通り、(最近も大きな試練がありましたが)そのたびに神は生きておられる、私と共におられるという確信が強くなっていきました。数々の奇跡的な出来事を体験し、試練が祝福に変わっていきました。今の私は、大学で出会った美しいクリスチャン女性と結婚し、二男一女の素晴らしい子どもたちにも恵まれ、健康で、教師という仕事においても本当に充実した日々を送らせていただいています。それは試練の中で神とその御言葉を信頼し、神と共に歩む生き方を学ばせていただいた結果であると思います。聖書の神が確かに生きて存在しておられる方であるからこそ、であります。

  この間、神が私に繰り返し教えられたこと、そして祝福の秘訣となったのは、「神の御言葉を学び、正しく理解し、信じ、実行すること」であったと思います。私たちが数々の試練を通らされる目的の一つはそこにあるのではないかと思うほどです。

  神は不思議な方法で私たち人間に聖書を与え、旧約聖書~新約聖書全体を通して、神とはどのようなお方か、神が喜ばれること、悲しまれること、憎まれること、怒られることは何か、神が定められた正しい価値観(時代や場所が変わっても変わらない価値)とは何か、御子イエス・キリストを通して与えられる救いと永遠のご計画、聖霊のお働き、私たちへの神からのメッセージなど、十分すぎるくらいの情報を私たちに与えて下さっているのです。聖書を読まないことは、神の恵みを自ら放棄するようなものです。もったいない! 旧約聖書から新約聖書まで、少なくとも年に一回は通読しましょう。

  例えば、夫婦や家族のあり方について聖書は、「夫は妻の頭であり、妻は夫の助け手であり、子どもたちは両親を尊敬し従うように」と教えます。ある人はそれでは男尊女卑ではないかとか、子どもへの虐待につながるなどと批判するかもしれませんが、これには前提となる命令があるのです。まず、夫は妻を自分のように、またイエスさまが私たちのために命を捨てられたほどに愛さなければなりません。妻もまた「キリストに仕えるように」夫に仕え、子どもたちは「主にあって」両親に従うのです。ですから、そこにはふんぞり返って偉そうにしている夫の姿はなく、夫を尻に敷いている妻の姿もなく、両親にただ反抗する子どもたちの姿もなく、神の恵みにあふれた幸せな家庭が築けるのです。私の家庭が祝福されているとすれば、それは神の御言葉に従っているからであって、神を信じる人であれば、神はその祝福を誰にでも公平に与えられます。ぜひ試してみてください。

  私の人生も折り返し地点に来ました。残る60年(主が私を天に召されない限り!)をどのように過ごせばよいかを主に祈っています。今年は通信制の神学校でさらに御言葉を深く学び、神の国のために恩返しができるように準備をしたいと思っています。「イエスさまに従い、聖霊に導かれ、父なる神の御心を行う人生は素晴らしい!」 これが私のあかしです。