Mikage Shinai Christ Church

2019年11月「 不動のもの 」

御影神愛キリスト教会  伝道師 瀬古博子

 皆さんはそよ風に揺れ動く木々を見るのはお好きでしょうか?涼しさを感じたり、心地よさを感じたりするものではないでしょうか。でもそよ風ではなく、暴風に荒れ狂う木々を見るとどのように思うでしょうか。風の怖さをさらに引き立たせてしまうものとして、恐怖を感じるほど、恐ろしいと思うものだと思います。

人生の色々なことに嬉しくなったり、悲しくなったりして生きていることを感じ、揺れ動く感情そのものは、生きている喜びを教えてくれたりすると思います。でも自分でもコントロールの利かない感情の揺れはどうでしょうか。問題が問題なのではなく、問題による自分の感情の揺れにしんどくなり、疲れてしまわないでしょうか。

私事で申し訳ないのですが、この9月から私自身がん患者となり、病人としての生活を送っています。「がんです。」と言われてから、驚きもせず、不思議な平安な気持ちが続いています。「やせ我慢?無理しないで」という言葉も何度か聞きましたが、もちろん痛い時は我慢せず痛いと言って痛み止めを飲みますし、眠れない時は眠れませんと眠剤を頂いています。

でも心には平安があります。その平安は「神様は良いお方で、この病を勝利に変えて下さることは間違いない」という強い思いから来ます。私も私自身に向かって「博子、自分で自分の状況はわかってる?最悪だよ」と言って聞かせるのですが、「それがどうした?神様にとってなにか不都合でもあります?」と答えているのです。なので、何のやせ我慢もせず、無理もせず、湧き上がってくる平安な気持ちを無理に押し殺すのも変かを思い、素直に出しています。こういう状況とはどういうことなのでしょうか?がんという問題に対して木々は揺れていないのです。ましてや暴風にあおられているような揺れ方はしていないのです。感情がいちいち揺れ動かないので、私の中にあるのは平安と平安からくる感謝だけです。

「主に信頼する者は、動かされることなくて、とこしえにあるシオンの山のようである」(詩編125:1)主に信頼する者は動かされることがないのです。すなわち神様を信じる者は不動の者となるのです。不動の者となると心配がなく、不安がなく、楽なのです。
皆さんが生きている間、がんでなくても人生で経験する様々な問題に直面する時、自分の感情にコントロールされる生き方でなく、不動な者として生きて、いつも平安な人生を送って頂きたいと思います。その為には神様が良い方であること、そしてイエス様が全ての病いを十字架で負って下さったことを信じるしかありません。ぜひその神様をイエス様を信じられるように求めて頂きたいと思います。

皆様の祝福をお祈りしています。