2019年12月「変わることのない神さま」
御影神愛キリスト教会員 森悦子
私は人見知りで心配性なところが子どもの頃からありました。幼い頃、家族と並んで寝ていたら1人夜中に目が覚めて、みんな死んでるみたいや、死んだらどうなるんやろ、と不安になったことがあります。クリスチャンの母は聖書物語を読んでくれたり一緒に教会へ連れて行ってくれました。神様はいるな、とぼんやり思ったのと、教会の人はなんであんなに明るい笑顔なのかな、と子ども心に思っていました。
短大時代、課題のために初めて自分で教会へ行きました。その年は阪神淡路大震災があり、教会も被災し大変な時でしたが温かく迎えていただきました。年齢の近い女性の方々にも親しくしてもらったことが嬉しく、その後も日曜礼拝に出席するようになりました。私自身は大きな被害に遭わずでしたが、当時は震災のことや家族のことで自分なりに悩み、何かを求めていたのだと思います。礼拝で賛美を歌っていると自然に涙が出たり、難しいと思っていた牧師先生のお話が次第に自分に語られているような気がして、ぼんやりでなくはっきりと、自分の罪の為にイエス様の十字架があったんだとわかりました。イエス・キリストは私の救い主だと信じました。
でも、洗礼の話になってくると、こんな私ではクリスチャンになれない、と自信がなくて、心で信じてるんだからそれでいいのでは、と抵抗がありました。当時、Mさんが私の不安や疑問を聴いてくださって、聖書の御言葉を教えてくださいました。また、受洗講座で学ぶ中で考えが変わっていきました。この世界をつくられた方がこの私をつくってくださった!私の為に命を捨ててくださった!そんな人は他にいない!そんなイエス様に対して私はなんて中途半端なんだろう、私の人生にイエス様は絶対必要‼と思い、洗礼を受けることを決心しました。仲良くしてくれるAさんに気持ちを話すと、静かに受けとめてくれて、その後に当時の牧師夫人である満子先生に受洗希望を伝えました。洗礼式の日は大きな喜びと安心感があり、本当に良かったと心から思いました。
クリスチャンになってからも心配したり悩みもしますが、1人で苦しむことはなく、共に居てくださる主に祈ることができます!私のような小さい者をも『高価で尊い』イザヤ書43章4節 と言ってくださる主です。
『草は枯れ花はしぼむ。しかし、我々の神の言葉はとこしえに変わることがない。』イザヤ書40章8節
この世界に何が起こっても変わらず私たちを愛し、導いてくださる主に感謝します!