Mikage Shinai Christ Church

2019年4月”神様の導きのままに”

御影神愛キリスト教会員 財田 瑞穂

私が初めて聖書に出会ったのは、中高一貫のミッションスクールの入学時です。歌うことが好きだった私は、毎朝、チャペルでの朝拝で、讃美歌を歌うことが本当に楽しかったです。学校から推奨されて教会にも通い始めました。当時は、礼拝でいただくカードが楽しみで教会に通っていました。礼拝や、学校で聴く御言葉の時間はとても新鮮で心地よかったです。

高校を卒業後、上京して親元を離れ、音楽大学に進学し、聖書とは無縁の生活になりました。3年生の頃、下宿にやってきた大学生の青年に誘われ、あるキリスト教系の新興宗教に入信してしまいました。後で思えば、当時、常識を逸脱した動きをするその教団の情報も聞いていたと思います。しかし、当初、教祖も団体名も知らされず、言葉巧みに誘われ、世間知らずの私は、その大学生の「聖書の勉強を一緒にしませんか?」という久しぶりに聞いた『聖書』という言葉になつかしさを覚えたのか、ずるずると引き込まれていき、とうとう献身して教団の施設で生活するようになってしまったのです。何の疑問も覚えず、みるみるうちに洗脳され、喜々として活動するようになっていきました。そして家族や友人、恩師、お世話になった方々に大きな迷惑や心配をかけました。

大学4年生の夏、私がその新興宗教に入信したことを知った両親は、私の脱会に向けて動いてくれました。私は、洗脳され、入信してしまった若者を救い出す働きをしておられた牧師先生によってその教団を脱会することができました。先生は、聖書の御言葉から丁寧に間違いを解いてくださいました。私は、目から鱗が落ちるように急に視野が開け、その間違いに気づかされたのです。

その後、大学を卒業し、関西に戻った私は、小学校の音楽の教員となりました。御影神愛キリスト教会に導かれ、教会に通うようになりました。「あなた方が私を選んだのではない、私があなたを選んだのである。」(ヨハネによる福音書15:16)というみ言葉が心に響き、イエス・キリストを救い主と信じることができ、受洗しました。受洗までに私は大きな回り道をしたのかもしれませんが、神様は不思議な方法で私に信仰を与えてくださったのだと思います。

そのころ、職場で出会った現在の夫との交際も始まりました。交際を始めるにあたり、彼には、私が体験したこれまでのすべてを話しました。彼は黙って聞いてくれ、私を受け入れてくれました。『この人は神様が出会わせてくださった運命の人かもしれない!』と思いました。その彼と結婚し、3人の子どもが与えられました。受洗後、30年余りの年月が流れました。婚家は昔ながらの仏教の家で、義母は、古いしきたりを大事にする人でした。様々な困難なことが私を待ち受けていました。信仰を守っていくことの難しさを思い知らされた30年でもありました。夫は私が教会に行くことを許してくれましたが、義父母はあまり、良い顔はしません。そんな中、子どもたちを連れて教会に行くのもストレス、行かないのもストレスという大変苦しい日々を送りました。他にも、職場や地域での付き合いや行事、義母との関係で悩むこともたくさんありました。

聖書の中に出てくる種まきのたとえで、石地に蒔かれた種のように、自分の中に根がないので御言葉のために困難や迫害が起こってくると、すぐつまずいてしまう。まさにこの例えのような自分の弱さを実感し、不信仰な自分が情けなくなる日々でした。しかし、神様は、苦しい状況になった時、私を助けてくれる人と出会わせてくださいました。これまで、いろんな人に助けられてきました。「もうダメです、神様、助けてください!」と祈ると、何とか最悪の結果にはならず、救われてきたことを実感しています。これから、どのような人生を歩むことになるのか、私にはわかりませんが、祈りつつ、神様の導きを信じ、神様にゆだねて生きていきたいと思います。