Mikage Shinai Christ Church

2019年5月”信じる者とともに歩んでくださった方”

御影神愛キリスト教会員 中島 晴子

 

私が神さまを信じるようになったのは、大学卒業の直前に不思議な出来事を体験したことがきっかけでした。その時、神は目に見えなくとも絶対に存在すること、自分がこの方に従わなくてはならないということが強く私の心に刻みつけられたことを今でも覚えています。

大学卒業の折、私は当時泥沼の三大業界の一つと言われていた製薬業界を選びました。慣例が横行し、官民等の癒着の強く、規制が行き届かず法的にグレイゾーンの多い業界になぜ入ろうと思ったのか、自分でも分かりません。ただ自分は動物実験等をする研究業務よりも実務的な業務をこなしたいと思い、研究所ではなく臨床試験(患者の同意の上で行う薬の上市前の試験)を担当する開発部門を希望しました。後から聞いた話ですが、開発部門は仕事が厳しく、求められる職務の範囲が多岐に亘るため“戦場”と言われていたそうです。事実、ストレスの発散なしに仕事は続けられないというのがその部門の常識であり、飲酒、喫煙、多額の散財をしなかった私は「どうやったら精神的に健康で仕事が続けられるのか?」とよく尋ねられました。

私は20代後半から数年間、薬の試験立案に携わる機会が二度与えられました。周囲からは「責任の重い仕事をさせられ、projectの責任者にうまく利用されている」と言われましたが、自分はいつまでこの場所にいることを神に許されるか分からず、滅多に与えられない機会を捉える方がよいと考え、引き受けました。一つの試験で億単位の経費がかかる事実を知る中でも、神からの助けが与えられ、ストレスを殆ど感じることなく仕事をすることができました。

二度目の試験立案は初回の薬の申請に関わるものでしたが、薬の効き方の評価方法を決定する際、祈る中“この方法でするべき”という確信が与えられました。その評価方法を選んだことにつき、そのprojectのメンバー(殆どが先輩方でした)の全員から反対されたにもかかわらず、最終責任を負うprojectの責任者から「君がそう考えるのならその方法で行け」と言われ、私自身驚きました。しかし、数年後患者のエントリーを終え、試験終了後データを解析したところ、その評価方法を取っていなかったのなら試験は失敗しており、さらに数年かけて再試験をしなければならなかったという結果が出たそうです。私はその時にはその会社を退職していましたが、そのprojectのメンバーが「これは神か・・」とつぶやいていたと、人伝いに聞きました。

水を汲んだ僕が水をぶどう酒に変えた神の奇跡を見たように、困難が多い業界の中に置かれた私自身も様々な恵みを見ました。私が体験したことは世間一般が言う成功ではなく、汚れに染まりたくないと祈りつつ模索し、日々目の前の課題と格闘した現実です。そして、聖い神の前で世の問題に屈したくないという一人の切な願いが聞かれたことにより、自分自身の信仰が何よりも成長したと思わされます。