Mikage Shinai Christ Church

2019年6月”進化論?創造論?”

御影神愛キリスト教会伝道師 瀬古 博子

 

 あなたは命あるものの起源を考えたことがありますか?多くの方が学校で習ったことを真実として進化論の方法でこの世の全てが造られたと思っておられるのではないでしょうか?

 

 起源についての「論」はいくつかあり、進化論はその中のひとつです。なぜか教科書では進化論以外を習うことはなく、進化論が正しいと私たち日本人は習ってきているのです。進化論は正しいのでしょうか?これを確かめる方法は今の私たちにはありません。しかし、進化論がなんであるのかの検証はできます。

 

進化論は一言で言うと「偶然の賜物」によって造られた世界です。数学的には不可能という偶然が重なり、空気ができ、命が生じ、人間が存在するようになったということなのです。それでは私たちの周りにある自然界、物、人間は必然的なものと言えるでしょうか?その答えは「いいえ」です。偶然にできたものなので、あっても良かったかもしれないけど、なくても良かったのです。私たちの存在価値は居ても居なくてもどちらでもいい存在なのだということになるのです。

 

 それでは聖書で言っている創造論はどうなのでしょうか?「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。」(創世記2:7)と書いてあり、人は神の手によって造られたと示しているのです。ただ形を神の手によって造られたのではなく、神と交わりを持つことができる為の霊である息を鼻に吹き入れられ、存在するようになったのです。そこには神にとって人間は居ても居なくてもいいと言う存在ではなく、わたしの友となって欲しいという神の強い人間に対する存在価値と目的を持って造られたということがわかるのです。

 

確かにこのことも事実であるかを確かめる術は私たちにはありません。しかし偶然に存在させられた存在価値と神の愛を注ぐ対象として造られた存在価値とどちらを握ることが私たちの幸せでしょうか?偶然に存在してしまったので、どのように生き、どのように死ぬのか誰も教えてくれない生き方をすることと、造りっぱなしではなく、私たちの人生の責任を持って導こうとして下さり、死後の面倒までみようとして下さっている神についていけばいいのだという生き方をするのとどちらが幸せなのでしょうか?

 

あなたは神に愛される為に造られ、神に与えられた目的があり今も生きているのです。