Mikage Shinai Christ Church

2019年7月 「人と同じでなくても」

御影神愛キリスト教会員  稲葉ひかり

 

 私はクリスチャンの両親のもとに生まれました。生まれた時から教会へ通い、たくさん聖書の御言葉を聞き、神様がおられると信じ、天国と地獄があると信じていました。そして自分がいつか死んでも天国に行けると信じていたのに、親はクリスチャンなので天国へ行けるが、私は教会へ行っていてもクリスチャンではないので天国へ行けないと知り、ショックを受けたのを覚えています。

中学生になり、日曜も教会優先にと言われ、友達と同じ部活に入れなかった事から少しずつ自分に自信を失うようになりました。他にも日曜の友達の誘いに行けなかったりなどいろいろあり、また私は双子だったので当時比べる人も多く、外へ出るのもつらくなりました。

そんな中、教会の同世代の友達が皆、洗礼準備クラスを受けることになり、私も一緒に受け、中学二年生のクリスマスに洗礼を受けました。そして中学三年生になり、高校受験を控え、私は双子で同じ学校を選ぶことがこわくなっていました。でも別の学校にして比べられるのもこわく八方塞がりと感じて泣きました。その時にスッと「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」という御言葉を思い出しました。

前から知っている御言葉でしたがこんな事は初めてでした。急に人の目が気にならなくなる感じがして、人と同じでなくて良い、神様の目にはそんな風に映っていないとスッと思えました。親も何も通さず初めて神様とつながった気がしました。それまでの私はざっくりと神様がおられると知っている、という感じの信仰でした。神様と私の間に個人的な関係があるとか、神様が私のために特別に働かれるとか考えた事はなく神様の前にいる大勢の一人のように思っていました。それは信じますと言いながら、目の前のことや人の目に右往左往し一人で悩んだり喜んだりし、神様を神様としていない不信仰の罪だと気付かされました。

それ以降も私は山あり谷ありのクリスチャンで神様から離れかけたり、クリスチャンとして生きようとすると難しいことも多くありました。今は神様と一緒に生きようと思うと安心できるようになりました。また礼拝のメッセージの中でクリスチャンは目立たず地味におとなしくしないで、神様によって輝いて生きていこうという言葉に励まされています。人と同じである必要はない、だけでなく失敗も含め、神様によって私らしく輝いて生きる姿を子供たちに見せていけたらと願っています。