Mikage Shinai Christ Church

2020年11月「主が良くして下さったこと」

御影神愛キリスト教会 T

 

 高校生の頃ぐらいから生きる目的がわからず悩んでいました。人間とは何か。なぜ生まれてきたのか。何か満たされない空しい思い。人や物に依存するばかりで、生きづらさを感じていました。そのせいで付き合っていた夫を沢山傷つけてしまっていました。高校卒業後介護の仕事をしていました。1年ぐらい働きましたが、勝手に辞めて家を出ました。認知症、病の中にいる人をみて、「何の希望もない。楽しいことも一時的でうそくさい。生きているうちになんでも好きなことをしてみよう」と思ったからでした。しかし、1人暮らしの大変さに挫折。「神様助けて」と行き詰まり近くの教会に行くことになりました。両親がクリスチャンで、全知全能、天地創造の聖書の神様を信じていました。牧師は、ホスピス病院で働く医師でもあり、天国や希望について沢山学ぶことができました。そして看護師になりたいと夢を持ちました。

実家を離れてみて、生活する苦労を味わい、初めて両親の有難みを知ることができました。また、聾唖者であるのに私以上に幸せそうであり、何かに満たされていることに気付きました。障害をもって生きる中で、様々な苦悩や苦労があったそうですが、

「この人に神のわざが現れるためです。‐ヨハネ9:1~3

により救われ、いつも主が助けて下さると信仰と希望をもち、喜んで主と共に今も歩んでいます。私も悔い改めて神様を信じたいと思いました。付き合っていた夫にも謝り、赦してもらいたいと思いました。人は神様を褒め称えるために生かされていると教えていただいた時、「そうだったのか!」と腑に落ちるのを感じ、洗礼を受けました。しかし、正直なところイエス様、十字架がよくわかりませんでした。聖書を読んでいて理解できるところは増えたのですが、洗礼を受けたら劇的に自分が変わると思っていたので、「何も変わらない」と虚無感は残っているようでした。

 そのような中、教会の説教で

「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。‐ヨハネ14:27

から、私がほしいのは平安なのだと気づきました。神様に平安をくださいという祈りが始まりました。そして、神様が平安を下さらないと辛すぎてどうしようもないという中、「イエスの御名によって祈るとはどういうことだろう」という思いが与えられました。「イエス様ならば絶対に救ってくださる。信仰をもって祈ろう」と祈りました。祈った後すぐに奇跡が起きました。不思議な平安、何か温かいものに心が満たされる感じが突然に与えられたのです。導かれるように聖書をぱっと開くと、長血の女が信仰を持ってイエス様の衣に触りさえすれば癒されるという場面でした。そして

「あなたの信仰があなたを直したのです。‐マタイ9:22

とイエス様は優しく御言葉を通して私に語ってくださったように思いました。「イエス様が神様だった。イエス様は今も生きておられる。イエス様の十字架は、自分の罪の為だった」と、はっきり分かった出来事でした。感動と神様に対する恐れ、自分の罪深さが一気にこみ上げて、恥ずかしく思い、「神様ごめんなさい。」と心からの悔い改めをしました。こんな自分を愛して、いつも見守ってくださっていた「神の愛」をまた、知ることができたのでした。心がすっかり癒され、「私を造った神様を礼拝したい、賛美したい」という思いに変えられました。聖書の御言葉に従えず、毎日が、1日何回も悔い改めです。しかし

「求めなさい。そうすれば与えられます。‐マタイ7:7

と、神様を求め祈り続けることにより、道が開かれていきます。敵、悪魔、悪霊との戦い方、御霊によって生きることを教えてくださいました。更なる癒しや解放も与えてくださいました。辛く苦しいこと、失敗もありますが、神様が全てご存知であり、全てを益と変えてくださる。四六時中神様と共に生きる喜び。たくさんの牧師先生、兄弟姉妹との出会い。お祈りと慰め、訓戒、励ましをいただき心より感謝しています。

 今年4月に神様の憐みによって、夫が受洗の恵みをいただきまし。イエス様の十字架のもとにいつもへりくだり、感謝して、神を愛し、隣人を自分のことのように愛する者になりたいです。