2020年11月「祈り」
御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古慎二
あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。(ヤコブの手紙5章13節)
愛する皆さん、いつも「教会だより」のメッセージを読んで下さりありがとうございます。毎月「教会だより」を受け取って下さっている方々は、もう既にご存知なことと思いますが、先月9月24日(木)の午後、家内(瀬古博子師)は、神様の許に帰って行きました。家内のため、私のために祈って下さっていた皆様に感謝申し上げます。
教会では何度も話していることですが、伴侶を失うということが、こんなに辛く悲しいこととは思いませんでした。もちろん、想像はしていましたが、いざ自分が、そのことを経験してみると想像を遥かに超えた苦しみ、痛みが襲って来ました。ある人は、伴侶を失う経験は、トラックで跳ね飛ばされたような経験だ、と表現されたそうですが、まさに想像を絶する衝撃が自分の心に襲ってきました。
今、この原稿を書いている日〔10月22日(木)〕は、家内が召されてからちょうど4週間になります。しかし、4週間たった今でも、少しはましになったとはいえ、突然、寂しさや悲しみに襲われることがあります。先に同じような経験をされた方からは、「先生、何年経ってもこの痛みは消えませんよ。」と言われたこともありました。本当に今、辛く苦しい現実を生きている者として、この原稿を書かせて頂いています。
しかし、このような苦しみや痛みの中でも、神様と皆様に感謝したいことがあります。それは、昨年の9月に家内が癌であるということが分かってから今日に至るまで、教会の先生方、兄弟姉妹たち(教会では、クリスチャン同士を神の家族として兄弟姉妹と呼び合います)が、私たちのために祈り続けてくださったことです。その方々は、闘病中はもちろん、家内が亡くなった後も、私たちに寄り添い、共に祈り、共に泣いて下さいました。その方々の存在がどれほど、私たちにとって、どんなにか励ましであり、慰めであったか知れません。確かに、家内は、癒されることなく、天に帰って行きました。そのことは、本当に寂しく辛い現実です。しかし、その痛みや苦しみを独りで負うのではなく、一緒に泣いてくれる先生方や兄弟姉妹たちと分かち合えることは、神様を信じることの大きな恵みの一つだと実感しています。
ひょっとしたら、この原稿を読んでいらっしゃる方の中には、自分は独りぼっちだ、自分のために祈ってくれる人などいない、一緒に泣いてくれる人などいないと感じている方がおられるかも知れません。もし、そんなことを感じておられたら、ぜひ、教会にお越しください。私たちと知り合いになりましょう。そして、あなたのためにも、ぜひ、祈らせてください。そして、人生を共に分かち合う神の家族となりましょう。あなたのお越しを心よりお待ちしています。