2020年6月「放浪の果てに」
御影神愛キリスト教会員 I
私が生まれ育ったこんな田舎の中学に、クリスチャンの同級生が3人もいました。キリスト教の清らかな印象に魅かれ、キャンプに誘われるまま参加したものの、いきなり何か違和感を覚え、皆が一斉に祈りだしたりすると、「うわっ、場違いな所に来てしまった」と思いました。一人で帰るに帰れず、苦しまぎれに「神様がもしおられるのなら、こんなヒネクレた私を救ってみて」と祈り(?)ました。悶々と一夜が明け、次の伝道集会のとき、十字架のメッセージがストレートに迫ってきて、涙が溢れました。ただの飾りと思っていた十字架は、こんな私の身代わりとなってイエス様が死んで下さった証しなのだと知らされました。昨日は抵抗があった招きに応え、担当の先生にも祈っていただき、「思い出す罪を神様に告白してみて」と言われた時、親に思いきり反抗していた事や、忘れていた小さな罪まで思い出され、泣きながら祈りました。夕立の後のように涙と共に全てが洗い流されたように心がスッキリし、後は嬉しくて嬉しくてたまらなくなりました。
ところが家に帰り母と顔を合わせるなり、「私、洗礼受けたい」と言うと「お前は何を言うとるんや」と怒鳴られてしまいました。父は母と仲が悪かったので、わかってくれるかと思ったら、二人して私を責めるのです。あげくは「教会の人に騙されとるんや。お前が断れんかったらお父さんが行ってやる」と、今にも怒鳴り込まれそうだったので、教会に迷惑がかかると思い、もうやめると約束しました。でも、こっそり教会に行った時には、牧師先生や友人達が熱心に祈ってくれました。
高校で彼女達とは別々になり、次に親しくなった友人は何と新興宗教の熱心な信者で、キリスト教を猛アタックしてきました。私もその頃には神様から離れてしまっていたので、あの清い心はどこへやら、イヤな事を考えたりやっている私も、彼女が言う偽善者ではないかと思い、世の中や大人達の矛盾、「神がいるならなんで?」という疑問だらけになっていました。でも「あの時の感動」は何だったんだろうという思いが頭から離れず、あの様な体験が再びあれば神の許に帰れるのにと思い、短大も就職先もキリスト教主義を条件にしました。
家から早く離れたかった私は、理想的と思われた東京の保育園に就職したのですが、そこで徹底的につまずいてしまったのです。これがキリスト教なら、もうゴメンだ。神様なんか要らない!と、求めるのをやめました。神を否定してみるとむしろスッキリ!良心の呵責に悩まされる事なく自分の心に正直に…と、好きな事ができ自由になったと思う反面、自暴自棄になっていきました。
放浪の末(話せば長いので省きますが、本当に不思議な事の連続で、様々な糸が繋がってたどり着いた場所で)、ある日、無神論の友人と話しているとまたクリスチャン批判になり、曰く、「処女降誕だの復活だの、まるでおとぎ話」「りんご1個採ったくらいで楽園を追い出す様なケチな神様なんて…。」等と話す内、あの人達はどう理屈をつけて信じてるんだろうと考えました。
丁度その頃、たった一人いたクリスチャンの友人を訪ねた時、私の事情など知らない筈なのに「聖書入門講座」を学ばないかと誘われたのです。一体どんな弁明をするのか確かめたいと思い、この時を逃がしたら、私は一生、聖書なんて開かないだろうと、変な確信すらありました。私はただ、話のネタを持って帰りたかっただけなのですが、私の疑問に対して逐一聖書を開き、「ここにこう書いてある」「これはこういう意味なんだよ」と、実に真正面から答えが返ってきてたじろぎました。次から次へと難題が解明され、この宇宙、全世界を造られ、人間を造られた神の書かれたこの聖書に、人生の答えも全てある事に気付かされました。しかしながら、神様を裏切り、否定までした私が本当に再び救われるのか、恐ろしくもあり、この期に及んでまた逃げる手段を模索するという有様でした。結局、神無き世界の空しさを思い知り、とうとう神様に全面降伏しました。神様は私を叱るどころか、詩編139篇を示され、私がどこへ逃げてもその所で私を守って下さり、戻る道を備えていて下さった事がわかったのです。限り無き神の愛と憐れみに、感謝せずにはおられません。