2020年6月「新しいこと 」
御影神愛キリスト教会 伝道師 瀬古博子
見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。(イザヤ43:19)
この教会だよりが皆さんの手元に届くころには緊急事態宣言が解除されているでしょうか。そう願いますが、ここ数か月、私たちは今まで経験したことのないようなことを経験させられました。
私自身は病気のためにあまり外に出かけず、家にこもりっきりの生活をしていました。3月位からコンスタントに礼拝に出席し、4月位からは日曜日の午後の集まりに出て、等と計画を立てていましたが、3月の上旬には「リスクのある方は礼拝に来ないように」との教会方針となり、4月イースターからは「教会での礼拝はなくなりました、インターネットでどうぞ」という状態になりました。元気な方も家に居るようにという政府からのお達しの中で、生活が一変したのです。こんなことになるとは今年のお正月に誰が思っていたでしょうか。冒頭に挙げさせていただいた聖書の言葉は紀元前8世紀頃に書かれたイザヤ書からの抜粋であります。これは将来バビロン帝国が滅びることを預言して書かれているものではありますが、実はこれからの私たちが経験するであろうこととしても書かれているといわれているのです。
ここに新しい事を神様がなされると書いてあります。新しい事とは心わくわくさせるものであり、期待感を生じさせます。内容は荒野に道を設け、さばくに川を流れさせるというのです。それでは荒野に道を設けるとはどういうことでしょうか。荒野とは砂漠と同じで岩や砂しかない不毛の地です。その不毛の地に道を設けるということはどういうことでしょうか。徐々に人の手で道を作っていくというより、一気に道が出来上がるという状況に思えます。その為に、今まで起こったことのないことが起こり、道が出来上がるのです。またさばくに川を流れさせるということもどういうことでしょうか。砂しかない場所にどこからか水の流れがやってきて、砂に吸収されることなく水が溜まり、流れとなっていくのです。この業は紅海を真っ二つに割って人を通らせるより、大きな奇跡でなければできることではないと、ある先生が言っておられたようですが、どちらも人の考えでは、また今までの常識ではありえないことが起こるというのです。
そんなことが起こるはずがないと今までの私たちなら思っていたかも知れません。でも昨今、当たり前と思っていたことが当たり前でなくなり、起こってはおかしいことが起こることを経験している私たちにとってはあり得ると考えられるのではないでしょうか。
これから神様が私たちに何をされようとしているのかは私にも皆さんにもわからないでしょう。でも、大きな御手をもって祝福を与えようとする時に、それを神様からの祝福と認識して、受け取りたいと思いませんか。ぜひ、心のチャンネルを神様に合わせて、新しい事がいつ来ても良いように準備しましょう。