2020年7月「一枚のチラシから」
御影神愛キリスト教会員 Y
私が御影神愛キリスト教会へ初めて足を踏み入れたのは、長年暮らしたアメリカから帰国したばかりの、4年前のバザーの時でした。実家のポストに、教会からのチラシが入っていたのです。教会のバザーはハズレがない!(特に教会員のお手製スイーツ)というのが私の持論なので、朝から張り切って教会へ出かけて行きました。きっかけは一枚のチラシでしたが、神様は確かに私をこの教会へと導いてくださいました。
一つ目は手話によって、です。以前から新しい言語を学習したいと考えていたのですが、教会の入り口に「手話勉強会」と書いてあるのを見た時、これだ!と思いました。そしてバザーの翌週から、木曜日の夜に手話を学ぶようになりました。手話の知識も全くない、見ず知らずの私を温かく迎え入れてくださった先生方には、心から感謝をしています。私の手話はなかなか上達しませんが、教会にはろう者の方々が多く、いつも忍耐強く接して下さいます。これからも、表情豊かに手話を使う努力を続けていきたいと思っています。
二つ目は聖書によって、です。私が一人アメリカを出発する当日、娘婿のご両親から日本語の聖書をもらいました。教会へ行く予定もないのに、なんで餞別が聖書?と思いました。でも、アメリカで日本語の聖書を探すのは大変だっただろうなあと思ったら、とても置いていけなくなり、機内持ち込み用カバンのチャックが壊れそうになりながら、重い聖書を突っ込みました。この聖書は口語訳のものでした。その後、それを持って私は日本でいくつかの教会をさまよいましたが、御影神愛キリスト教会以外に口語訳を使っているところに出会うことはなく、それも不思議でした。今は毎日聖書を読みますが、いつも知恵を与えられ世界のベストセラーたる所以を感じています。
三つ目は神の家族によって、です。神戸での生活にも慣れてきた頃、おごり高ぶった私は人間関係での悪い癖が出てきました。自由を履き違えた身勝手な行動や言動によって、周りの人を傷つけ、それはブーメランのようになって自分自身も切りつけました。幼い頃から私が最も恐怖を覚える「口論」が始まり、人は離れていき、孤独を感じ、精一杯強がっていた私も食事が取れないほど落ち込んでいきました。そんなダメダメな私と一緒に居てくれて、共に祈り、時に厳しく、でも見捨てず、具体的に手助けしてくれたのは、御影神愛キリスト教会の姉妹でした。この経験がなかったら、私は納得のいかない我慢をし続けて、神様を求めることもなかったと思います。
そんな私も受洗して早一年になります。今回は、私の大好きな聖句で締めくくりたいと思います。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。 (伝道の書3:11)