Mikage Shinai Christ Church

Monthly Archives: 4月 2020

2020年2月「 重荷を負うて苦労している人への手紙 」

御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本俊輔

 1603年に江戸幕府を開府した徳川家康(1543~1616)は、多くの格言を残しました。その内の一つに「人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くがごとし」があります。

 確かに私達の人生には、春うららかな、明るく朗らかで、のどかな、平坦な道ばかりではありません。難儀をする困難な道や行く手を阻まれたかと思える試練に遭う時もあります。しかし、決して失望したり落胆してはいけません。真の神様を信じる人には、道が開かれ祝福された人生が与えられます。イエス・キリスト様は言われました。

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」マタイ11:28~30

と語られました。

  イエスキリスト様は愛のお方です。わたしたちの肉体的、精神的、霊的弱さ、不完全さを御存じです。また、人を分け隔てされるお方ではありません。すべての人を思いやり愛して下さるお方です。私達人間は、しばしば人を分け隔てしますね。顔を見て、人のことを判断したり、外見や、表面に現れた姿によって、評価してしまいます。性別の違い、民族の違い、どんな職業か、社会的な地位はどうか、学歴はどうかで評価しますね。そして無神経に他者を傷つけ痛めてしまいます。しかし、イエス様は誰をも差別しませんでした。健常者であれ、障害者であれ、みんな神様に愛されていると言われたのです。だから心痛めている人、労している人、重荷を負って苦労している人、能力のない人は、私の所にきなさい、わたしが助けてあげるからと言われたのです。なんと素晴らしいお方でしょうか。

 実は、旧約聖書イザヤ書53:4~5(リビングバイブル)の中に、私達人類に対する愛の神様(イエス・キリスト様)の預言の姿が描かれています。「彼(イエス様)が背負い込んだのは、実は私たち(人間)の悲しみであり、彼(イエス様)を押しつぶしたのは、私たち(人間)の嘆きでした。私たち(人間)は、彼(イエス様)がそんなに苦しむのは、罪を犯して神様に罰せられているからだと考えていました。しかし、実際は、私たち(人間)の罪のために傷つき、血を流したのです。彼(イエス様)は私たち(人類)に平安を与えようとして、進んで懲らしめを受けました。彼(イエス様)がむち打たれたので、私たち(人間)は癒されました。」とあります。

  イエス様の福音は、万民に与えられた福音です。国籍も人種も男女の別も長幼も関係なく与えられるものです。難行苦行もいりません。「求めよ、そうすれば与えられます」イエス様は、御昇天の前に弟子達を集めて言われました。「あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。マタイ28:19~20と言って下さっています。何と素晴らしい愛のメッセージでしょう。 私たちをいつも愛して下さるイエス様にお従いして楽しい人生を送りましょう

 

2020年1月「人生のガイドブック 」

御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古慎二

「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。」詩篇119:105

  明けましておめでとうございます。

  今年も新しい年を迎えることができて感謝です。皆さんは、この一年どんな年にしたいとお考えでしょうか。やはり、去年よりもさらに良い年にしたいと願っておられるのではないでしょうか。聖書の言葉から、そのヒントを見つけて頂ければ幸いです。

 昔から人生は旅のようなものだと言われます。旅には楽しい事もありますし、時には予想もしないハプニングがあったりします。また、知らない場所へ行く期待や不安があったりもします。人生は旅のようなものというのもうなずけます。それでは、この旅をより良いもの、より安全で快適に過ごすためにはどうしたら良いでしょうか。その一つにガイドブックを用意する、というのがあると思います。ガイドブックというのはありがたいものです。地図が載っているし、食事の場所、観光名所、お土産は何が良いか、注意すべきことは何か、様々な情報が載っています。初めて行く場所であってもガイドブックがあると旅をより良く過ごすことができます。

  それでは、人生という旅にも、このようなガイドブックはないのでしょうか、実はあるのです。それが聖書です。聖書には、私たちがどこから来て、どこへ向かっているのかが書かれています。また、どのように生きれば幸せになるのか、人生の中で起こってくる様々な困難をどのように乗り越えることができるのか、人生という旅で経験するありとあらゆることにどう対処すれば良いかが書かれています。まさに聖書は人生のガイドブックなのです。

  聖書に「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。」(詩篇119:105)という言葉がありますが、聖書の言葉、すなわち神様の言葉は私たちの人生を照らす言葉、導く言葉なのです。

  これから始まるこの一年、ぜひ、一度聖書を手に取って読んで見て下さい。あなたの人生の助けになる言葉、導く言葉に出会えるはずです。そして、この新しい年にもあなたの人生を照らす光を発見して頂きたいと願います。

2019年12月「 救い主の誕生 」

御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古慎二

 

「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。

このかたこそ主なるキリストである。」ルカによる福音書2:11

 

 クリスマスおめでとうございます。今年もクリスマスのシーズンがやって来ました。皆さんは、どのようにクリスマスを過ごされるでしょうか。この機会に教会にも足を運んで頂いて一緒に救い主の誕生をお祝いできると幸いです。

 さて、皆さんは、クリスマスは、イエス・キリスト様の誕生をお祝いする日だということはご存じかと思います。では、イエス様はどんなところでその誕生を迎えたかご存知でしょうか。

実は、イエス様は家畜小屋で生まれたのです。家畜の糞尿にまみれた不衛生な場所で生まれたのでした。なぜイエス様はそんなところで生まれなければならなかったのでしょうか。それは、イエス様は、どんな境遇の中にある人でも救うために来られたからです。どんなに貧しい人でも、どんなに弱く罪の中にある人でも救うために来られたからです。そして、その人の友となり共に生きるために来られたから、そのような最も貧しい姿でお生まれになられたのです。

イエス様は言われました「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。・・・わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。」と。イエス様は、自分の弱さに悩み、苦しむ、罪人を救うために、友となるために来て下さったのです。

 

 また、イエス様の生涯を見てもイエス様は様々な苦しみや痛みを知っておられた方だったことが分かります。聖書は彼の生涯をこのように表現しています。「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。」

イエス様は、人生の苦しみ、痛み、孤独を知っておられる方なのです。ですから、どんなどん底にいる人のことも、罪に悩み苦しんでいる人のことも理解し、そこから救い出すことのできる方なのです。ですから、私たちの心が家畜小屋のようにどんなに汚れていてもイエス様は、私たちのところに来てくださいます。そして、私たちの友となり、私たちの心をきよめ、新しい人生を歩む力を与えて下さることのできる方なのです。

 

 ぜひ、このクリスマスにあなたのためにお生まれになった救い主イエス・キリストと出会って頂きたいと願います。

2019年12月「変わることのない神さま」

御影神愛キリスト教会員 森悦子

 私は人見知りで心配性なところが子どもの頃からありました。幼い頃、家族と並んで寝ていたら1人夜中に目が覚めて、みんな死んでるみたいや、死んだらどうなるんやろ、と不安になったことがあります。クリスチャンの母は聖書物語を読んでくれたり一緒に教会へ連れて行ってくれました。神様はいるな、とぼんやり思ったのと、教会の人はなんであんなに明るい笑顔なのかな、と子ども心に思っていました。

 短大時代、課題のために初めて自分で教会へ行きました。その年は阪神淡路大震災があり、教会も被災し大変な時でしたが温かく迎えていただきました。年齢の近い女性の方々にも親しくしてもらったことが嬉しく、その後も日曜礼拝に出席するようになりました。私自身は大きな被害に遭わずでしたが、当時は震災のことや家族のことで自分なりに悩み、何かを求めていたのだと思います。礼拝で賛美を歌っていると自然に涙が出たり、難しいと思っていた牧師先生のお話が次第に自分に語られているような気がして、ぼんやりでなくはっきりと、自分の罪の為にイエス様の十字架があったんだとわかりました。イエス・キリストは私の救い主だと信じました。

 でも、洗礼の話になってくると、こんな私ではクリスチャンになれない、と自信がなくて、心で信じてるんだからそれでいいのでは、と抵抗がありました。当時、Mさんが私の不安や疑問を聴いてくださって、聖書の御言葉を教えてくださいました。また、受洗講座で学ぶ中で考えが変わっていきました。この世界をつくられた方がこの私をつくってくださった!私の為に命を捨ててくださった!そんな人は他にいない!そんなイエス様に対して私はなんて中途半端なんだろう、私の人生にイエス様は絶対必要‼と思い、洗礼を受けることを決心しました。仲良くしてくれるAさんに気持ちを話すと、静かに受けとめてくれて、その後に当時の牧師夫人である満子先生に受洗希望を伝えました。洗礼式の日は大きな喜びと安心感があり、本当に良かったと心から思いました。

 クリスチャンになってからも心配したり悩みもしますが、1人で苦しむことはなく、共に居てくださる主に祈ることができます!私のような小さい者をも『高価で尊い』イザヤ書43章4節 と言ってくださる主です。

『草は枯れ花はしぼむ。しかし、我々の神の言葉はとこしえに変わることがない。』イザヤ書40章8節

この世界に何が起こっても変わらず私たちを愛し、導いてくださる主に感謝します!