Mikage Shinai Christ Church

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2020年10月「神の計画に生きる」

御影神愛キリスト教会  S

 夏も終わり、過ごしやすい季節になってきましたが皆さまいかがお過ごしでしょうか?

 こんにちは。私は横浜の金沢というところで生まれました。金沢ですが石川県ではありません。金沢の一番有名な場所を挙げるなら八景島シーパラダイスがあります。地元の小学生は大体年間パスポート(こども7,400円)をもっていて、中学生にもなると大体海の動物たちに飽き飽きしてくるようになります。「横浜だがほぼ横須賀」が、私が生まれ育った町です。「神戸でいう須磨だろ」と、THさんに言われました。小中高と地元で過ごし、大学は東京にあるキリスト教系の大学である青山学院大学に通いました。(青学の聖書がここにありますね。)その後食品卸の会社に就職し、一発目の配属がここ神戸になり現在に至ります。

 今日はこの場で「神からは逃げられない」ということを証させていただきたいと思います。私は生れる前から教会にいました。いわゆるクリスチャンホームです。子どもの頃は、日曜日は教会に行くということが当たり前の生活でした。若者の活動がとても盛んで中高科にもなると楽器を練習して自分たちで礼拝を造りあげたり、夏休みには他教会に伝道旅行に行き、交わりや奉仕をしたりと、素晴らしい時を過ごすことができました。そのような経験の中で鍛えられ、信仰が育まれていきました。教会全体として苦しい時期を過ごした事もありましたが、1度も離れることなくここまでこれたことを感謝します。

 クリスチャンホームの子どもあるあるだと思うのですが、「救いの証」が難しいということがあると思います。神様の事は信じているが子どもの頃からの当たり前のことすぎて、何をきっかけに救われたのかと聞かれると分からないという状態です。私もそうでした。しかし今は「神様が私の人生を導いてくれている」ということを私が歩んできた人生の中に確信を持つことができています。学生時代の事は先にもいろいろ書いたので省略しますが、社会人になってからもその導きを強く感じることができているので共有したいと思います。

 1つ目は近くに教会があったことです。御影のことではありません。神戸に来る前に2か月間広島で現地研修の時間がありました。広島駅目の前のマンスリーマンションに住んでいたのですが、そこから1駅行ったところに「三滝グリーンチャペル」というアッセンブリーの教会があり毎週そこに通う事ができました。初めて教会に行く前々日に行った広島焼屋の店主がその教会にいたというサプライズもありました。おかげですんなりなじめました。(笑)

 2つ目は日曜日が休みということです。私の職種は各スーパーマーケットに食品を届ける為の物流センターの運営や新規開設です。その中でも今は現場の管理者として物流センターに勤務しています。皆さんご存知の通りスーパーは土日関係なく営業しているので物流センターも土日稼働していることがほとんどです。しかし私が配属された場所は土日休みの場所でした!同じ部署の同期は土日休みでない人も多くいました。教会が好きで日曜日は教会に行くのが当たり前の自分なので非常に感謝な出来事でした。

 3つ目は近くに教会があることです。次は御影です。私の会社は全国規模の会社なので北海道から沖縄まで全国350カ所以上の営業所や物流センターがあります。その中で私の配属は魚崎にある物流センターでした。そのことが言い渡されたとき真っ先に地図を開き近くに教会があるかを調べたのを覚えています。そして私の家(六甲道)から一番近いアッセンブリーの教会として「御影神愛キリスト教会」がありました。家⇔教会⇔職場がバイクで15分圏内の環境が与えられました。遠い教会に通うという概念のない私にとっては素晴らしい環境でした。

 4つ目は素晴らしい教会と素晴らしい人たちに出会えたことです。様々な交わりや中高科の手伝い、ワーシップでのドラムの奏楽、プレイズでの活動など快く受け入れてくださり感謝します。楽しい教会生活を送ることができています。

 いろいろ書かせていただきましたが、このような人生の中で私は神様の計画を感じざるを得ません。どう考えても神様は私を教会に行かせようとしています。(笑)また私が母教会で学んできたことを存分に発揮できるような環境があり、この教会に来るべくして今の会社に就職をし今の職場に配属になったと感じています。エレミヤ書29章11節には

「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災いを与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」

とありますが、まさに私の人生の中にそれを確信しています。しかし私たちは、神様の計画は人間的に見て全てがプラスな出来事ではないということを知っています。例えばヨナはニネベに行きたくなくて逃げ続けたけれども、神様の計画からは逃れることができませんでした。結果、神様の栄光が表されることになりましたが、ヨナは不満満々でした。私のこれからの人生にも「なぜ」と思うことが起きると思います。しかしそれは私たちの宿命と思います。エペソ1章5節には

「わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。」

とあります。私たちはこの道を自分で決めたわけではなく、神様に選ばれて、信じて、クリスチャン人生を歩んでいます。選ばれている私たちは神様の計画を疑うまでもありません。全責任は神様にあり、そこには将来と希望があるということを信じてこれからの人生を全うしていきたいです。

 

2020年10月「イエス様の弟子達」

御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本俊輔

 イエス・キリスト様には多くの弟子が居りました。名前の知られている12人の弟子(使徒)は聖書の中に記録されていますが、その他にも無名の人達が沢山居りました。不思議に思うのは一番弟子と思われる12弟子(使徒)たちです。何故この人たちが一番弟子として選ばれたのでしょうか。

 特別に選ばれた12人のお弟子(使徒)を見てみましょう。マタイ福音書10章1~4、マルコ3章13~19、そして、ルカ福音書6章12~16には、「イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から12人を選び出し、これに使徒という名をお与えになりました。すなわち、ペテロとも呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブと、熱心党と呼ばれたシモン、ヤコブの子ユダ、それからイスカリオテのユダ。このユダが裏切り者となったのである。」と最初の弟子の名簿があります。選ばれた人達を見ると一般の人の人選とは違うのではないかと思われます。普通であれば、見識も人望もある人が選ばれます。それなのに学者も有名人も権力者も居ないだけでなく、神の御子イエス様の代理だなどとは言えないような人達でした。最初の四人、ペテロとアンデレ、ゼベダイの子ヤコブとヨハネ。彼らはガリラヤ湖の漁師でした。ピリポとバルトロマイ、トマスそしてマタイです。マタイは取税人でした。取税人はユダヤ人から見れば支配者ローマの手先、憎き売国奴、罪人と言われてユダヤ人からは村八分にされ、神殿での礼拝も赦されないほど蔑(さげす)まれていたのです。もう一人の問題者は、熱心党の「シモン」です。熱心党とは、急進的な国粋主義者でユダヤ教の反ローマ武力闘争結社で紀元70年の聖なる都エルサレムでの敗戦、そしてマサダの砦陥落(紀元73年5月2日)まで続きました。マタイとは正反対の立場の人です。最後はイエス様を裏切ったイスカリオテのユダです。この様に右も左も、玉石混交の群れだったのです。では、イエス様はなぜこの様な人々を選んだのでしょうか?答えは、Ⅰコリント1:26~29をリビングバイブルで読むとわかります。

「愛する皆さん。自分たちの仲間を見回してごらんなさい。キリスト様に従うあなたがたの中には、有名人や権力者や金持ちはほとんどいません。それどころか、神様は、この世では愚か者、無価値な者と思われている人々を、わざわざお選びになりました。それは、この世で知恵ある者、りっぱな人とされている人々を辱しめるためです。神様は、いわゆるこの世で見下されている者、全く取るに足りない者を選び、そんな人々を役立てることによって、世間では大物と言われる人を、なきに等しい者とされたのです。ですから、どこのだれであっても、神様の御前で自慢することはできません。」

 神様は、いつも弱い者、不完全な者に目を注いで清めて神様のご用に立たせて下さいます。だから、あなたもイエス様に従う者となろうではありませんか。