Mikage Shinai Christ Church

Daily Archives: 2020/12/13

2020年12月「主と共に歩む」

御影神愛キリスト教会員 O

 

 私は幼稚園の時に、友達の誘いで家の近所にある日曜学校に通い始めました。そこは、阪急御影の神愛子供ホームで、多くの方のおかげで、イエス様の存在を幼い心に刻むことができました。その後、キリスト教系の中学校に進み、日曜学校も高1から御影神愛キリスト教会の中高科に移り、高2の夏に主の救いを確信し、その冬洗礼を授けられました。高校の時は良き師、良き友に支えられた、素晴らしい信仰生活でした。

 翌年、大学に合格しました。「全力で努力し、主に祈れば結果が与えられる」事を知りました。ただ、「主の為に活動をしよう」と勇んで大学に入りましたが、自分のような人間力の乏しい者がイエス様の事や教会の事を話しても、周りの人には受け入れられず、「そんな話はしないで」と言われたり、「宗教は嫌だ」と言われ、苦しみました。友達にはイエス様の事を拒否され、教会での自分と大学での自分がかい離してくることに嫌気がさし、19才の時に教会から離れました。 教会を離れた自分は、卒業後、金融機関に就職しました。仕事は厳しく、何度も辞めようと思いましたが、職場で妻と出会い結婚。子供を2人授かり、家族という支えを得て、何とか仕事を続けることができました。

 しかし、40才を超えると、自分の力だけでこの社会を生きていく事に、心身ともに疲れ果て、パチンコやお酒に逃げるようになりました。眠れずに苦しんでいたある日、ふと「神様を見て仕事をすれば楽だよ」と寝床の中で思いました。そしてその時、「これまで自分は出世することを第一に考えて仕事をしていたこと」に気が付きました。「神様に喜ばれる仕事をしよう、神様の所に戻ろう」と思い、次の日妻に、「これから毎週教会に行きたいので、一緒に来て欲しい」と言ったところ、妻は「私も教会に行きたいと思っていた」と、驚くべき返事が帰ってきました。妻も子供のころ日曜学校に行っており、教会に行ってもいいかなと思っていたそうです。

 それから2人で御影神愛キリスト教会に行きました。妻には、自分がクリスチャンである事も言っていなかったので驚いていました。教会の皆さんは、26年ぶりに戻ってきた放蕩息子を暖かく迎えてくださいました。自分は、改めて謝罪と感謝の祈りを捧げました。妻は一年後に、洗礼を授かりました。本当に感謝です。

 教会に戻り、自分は少し変わりました。優しくなったと思います。26年間吸った煙草も、ある日突然吸いたくなくなり止めました。仕事も、「どうすれば主が喜ばれるのか?」を考えると、正しい回答がすぐに出るようになりました。これからも、「全力で頑張る。そして主にお委ねする」を人生のモットーに歩んでいきたいと思います。

 

「貴方のしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、貴方の計画はゆるがない。(箴言第16章3節)」

主に感謝。

2020年11月「主が良くして下さったこと」

御影神愛キリスト教会 T

 

 高校生の頃ぐらいから生きる目的がわからず悩んでいました。人間とは何か。なぜ生まれてきたのか。何か満たされない空しい思い。人や物に依存するばかりで、生きづらさを感じていました。そのせいで付き合っていた夫を沢山傷つけてしまっていました。高校卒業後介護の仕事をしていました。1年ぐらい働きましたが、勝手に辞めて家を出ました。認知症、病の中にいる人をみて、「何の希望もない。楽しいことも一時的でうそくさい。生きているうちになんでも好きなことをしてみよう」と思ったからでした。しかし、1人暮らしの大変さに挫折。「神様助けて」と行き詰まり近くの教会に行くことになりました。両親がクリスチャンで、全知全能、天地創造の聖書の神様を信じていました。牧師は、ホスピス病院で働く医師でもあり、天国や希望について沢山学ぶことができました。そして看護師になりたいと夢を持ちました。

実家を離れてみて、生活する苦労を味わい、初めて両親の有難みを知ることができました。また、聾唖者であるのに私以上に幸せそうであり、何かに満たされていることに気付きました。障害をもって生きる中で、様々な苦悩や苦労があったそうですが、

「この人に神のわざが現れるためです。‐ヨハネ9:1~3

により救われ、いつも主が助けて下さると信仰と希望をもち、喜んで主と共に今も歩んでいます。私も悔い改めて神様を信じたいと思いました。付き合っていた夫にも謝り、赦してもらいたいと思いました。人は神様を褒め称えるために生かされていると教えていただいた時、「そうだったのか!」と腑に落ちるのを感じ、洗礼を受けました。しかし、正直なところイエス様、十字架がよくわかりませんでした。聖書を読んでいて理解できるところは増えたのですが、洗礼を受けたら劇的に自分が変わると思っていたので、「何も変わらない」と虚無感は残っているようでした。

 そのような中、教会の説教で

「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。‐ヨハネ14:27

から、私がほしいのは平安なのだと気づきました。神様に平安をくださいという祈りが始まりました。そして、神様が平安を下さらないと辛すぎてどうしようもないという中、「イエスの御名によって祈るとはどういうことだろう」という思いが与えられました。「イエス様ならば絶対に救ってくださる。信仰をもって祈ろう」と祈りました。祈った後すぐに奇跡が起きました。不思議な平安、何か温かいものに心が満たされる感じが突然に与えられたのです。導かれるように聖書をぱっと開くと、長血の女が信仰を持ってイエス様の衣に触りさえすれば癒されるという場面でした。そして

「あなたの信仰があなたを直したのです。‐マタイ9:22

とイエス様は優しく御言葉を通して私に語ってくださったように思いました。「イエス様が神様だった。イエス様は今も生きておられる。イエス様の十字架は、自分の罪の為だった」と、はっきり分かった出来事でした。感動と神様に対する恐れ、自分の罪深さが一気にこみ上げて、恥ずかしく思い、「神様ごめんなさい。」と心からの悔い改めをしました。こんな自分を愛して、いつも見守ってくださっていた「神の愛」をまた、知ることができたのでした。心がすっかり癒され、「私を造った神様を礼拝したい、賛美したい」という思いに変えられました。聖書の御言葉に従えず、毎日が、1日何回も悔い改めです。しかし

「求めなさい。そうすれば与えられます。‐マタイ7:7

と、神様を求め祈り続けることにより、道が開かれていきます。敵、悪魔、悪霊との戦い方、御霊によって生きることを教えてくださいました。更なる癒しや解放も与えてくださいました。辛く苦しいこと、失敗もありますが、神様が全てご存知であり、全てを益と変えてくださる。四六時中神様と共に生きる喜び。たくさんの牧師先生、兄弟姉妹との出会い。お祈りと慰め、訓戒、励ましをいただき心より感謝しています。

 今年4月に神様の憐みによって、夫が受洗の恵みをいただきまし。イエス様の十字架のもとにいつもへりくだり、感謝して、神を愛し、隣人を自分のことのように愛する者になりたいです。

 

 

2020年12月「喜びのおとずれ」

御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本満子

 

 新しい生命の誕生、それは素晴らしいこと、そして、喜ばしいことですね。

今年、私の身内でも新しいいのちの誕生がありました。二人目の曾孫の男子の誕生でした。予定日が近づいてきたら、いつ連絡がくるかと、毎日毎日待ち望みました。両親、祖父母、曾祖父母またその周辺の人々に待ち焦がれつつの誕生です。私たちにとっては大きな喜びです。

 さて、今からおよそ2000年前、ユダヤの国(現在のイスラエル)のベツレヘムと言う村に一人の男の子が生まれました。「毎日世界中で何万人もの男の子が生まれているのに、何故その子だけが取り上げられるのですか?」と問われるかも知れません。実はその赤ちゃんは、特別な赤ちゃんだったからです。この赤ちゃんの誕生は、それより700年近くも前に、預言者によって預言されていたのでした。それは、人々の罪を赦して、神の子とするために、神御自身が人間の身体をとって、人として、救い主・メシヤとしてこの地上に誕生すると言うことでした。この神様の約束の成就としての誕生でした。多くの人々は救い主・メシヤの誕生を待ち望んでいました。しかし、それは何時のことか、誰も知りませんでした。予定日は知らされていなかったのです。ですから人々のメシヤ待望は漠然としたものでした。

 しかし、ある時、ナザレという村に住んでいた、心の美しい一処女の許に天使が神様から使わされて参りました。そして言ったのです。

「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます。・・・あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう」ルカ1:28.31~32

マリヤは恐ろしくなって、私にはヨセフと言う婚約者は居ますが、まだ結婚をしていません。「どうしてそんなことがあり得ましょうか」と尋ねました。すると

「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう」ルカ1:35

と言われたのです。マリヤは素直にその御使いの言葉を受け入れたのです。神の御子の誕生ですから、それは、それは立派な美しい宮殿での誕生と思われるかも知れません。しかし、現実はそれとは真逆の環境でした。

 

 当時ユダヤの国は、ローマ帝国の支配下にありました。そこでローマ皇帝アウグストは、人口調査をするために、「ユダヤ人は全員自分の故郷に帰るように」と命令を出しました。そこで、ヨセフもマリヤも自分の郷里ユダヤのベツレヘムへと帰って行ったのです。と言うことは、彼らだけではなく国中の人が故郷へ故郷へと帰っていたのですから「民族大移動」が始まったのです。道も宿も一杯の人。日本のゴールデンウイークのようだったかも知れません。ヨセフは身重のマリヤを気遣いながら、マリヤを家畜に乗せてゆっくりと移動して行ったことでしょう。だから彼らが遅れてベツレヘムに到着した時には元気な人々は、すでに宿屋に到着して、旅の疲れを癒していたことでしょう。だから、ヨセフはどんなに探してもすべての宿は一杯でその夜泊まる宿を見つけることは出来ませんでした。だんだん日も没し暗くなり、冷え込んできました。そこでようやく一軒の家畜小屋を借りることが出来たのです。そして、その晩神の御子イエス・キリストは誕生したのでした。そこには、ヨセフとマリヤ以外にイエス様の誕生を喜ぶ人はいませんでした。しかし、天においては大きな喜びがあったのです。その喜びの訪れを天の御使いたちが持ってきました。そこは真っ暗な野原でした。そこでは、当時最も貧しい仕事と言われていた羊飼いたちが一晩中、羊を守るために寝ずの番をしていました。真っ暗な原野に突然眩しい光が射してきたのです。そして、天使からのメッセージが語られたのです。

「恐れるな、見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町(ベツレヘム)に、あなたがたのために救い主がお生れになった。この方こそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである。」ルカ2:10~12

というメッセージでした。それと同時に大勢の天使が現れて、神様への讃美を歌い歓びを表したのです。羊飼いたちはびっくりしたことでしょうね。彼らは天からの眩しいばかりの光を見たのです。そして、神様からのメッセージと天使たちの美しい讃美を聞いたのです。夢を見ているのかと思ったでしょうね。しかし、それは、現実だったのです。彼らは天使が語られたことを思い出して早速示された家畜小屋に行ったのです。そこには、天使が言った通り、幼な子が飼葉おけの中に寝かされていました。羊飼いたちは、自分たちが待ち望んでいた、神の子救い主が生まれたことを知り、直接その場に行って御子にお会いし、礼拝することが出来たのです。

 神の御子キリストの誕生のお知らせは、王や学者や偉い人々に伝えられたのではなく、最も貧しく底辺の人と言われていた羊飼いたちに知らされたのです。彼らはどんなに嬉しかったことでしょう。羊飼いたちは、天使の語ったメッセージを自分たちの目で見、神様の素晴らしい約束の成就を喜んだのです。彼らは、お祝いの品など何も持たずに走って行きました。そして、神の御子にお会いして、礼拝を献げ喜びに満たされて「讃美しながら帰って行った」ルカ2:20と言うのです。神の御子の誕生、そこには飾りもなく、お祝いのプレゼントもありませんでした。が、そこには、救い主の誕生を祝う、喜びと平安と讃美が満ちていたのです。

 これが最初のクリスマスです。クリスマスは神の御子の誕生日です。みなさん一緒に、本当のクリスマスを祝いましょう。

 

2020年11月「祈り」

御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古慎二

 

 あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。(ヤコブの手紙5章13節)

 

 愛する皆さん、いつも「教会だより」のメッセージを読んで下さりありがとうございます。毎月「教会だより」を受け取って下さっている方々は、もう既にご存知なことと思いますが、先月9月24日(木)の午後、家内(瀬古博子師)は、神様の許に帰って行きました。家内のため、私のために祈って下さっていた皆様に感謝申し上げます。

教会では何度も話していることですが、伴侶を失うということが、こんなに辛く悲しいこととは思いませんでした。もちろん、想像はしていましたが、いざ自分が、そのことを経験してみると想像を遥かに超えた苦しみ、痛みが襲って来ました。ある人は、伴侶を失う経験は、トラックで跳ね飛ばされたような経験だ、と表現されたそうですが、まさに想像を絶する衝撃が自分の心に襲ってきました。

 今、この原稿を書いている日〔10月22日(木)〕は、家内が召されてからちょうど4週間になります。しかし、4週間たった今でも、少しはましになったとはいえ、突然、寂しさや悲しみに襲われることがあります。先に同じような経験をされた方からは、「先生、何年経ってもこの痛みは消えませんよ。」と言われたこともありました。本当に今、辛く苦しい現実を生きている者として、この原稿を書かせて頂いています。

 しかし、このような苦しみや痛みの中でも、神様と皆様に感謝したいことがあります。それは、昨年の9月に家内が癌であるということが分かってから今日に至るまで、教会の先生方、兄弟姉妹たち(教会では、クリスチャン同士を神の家族として兄弟姉妹と呼び合います)が、私たちのために祈り続けてくださったことです。その方々は、闘病中はもちろん、家内が亡くなった後も、私たちに寄り添い、共に祈り、共に泣いて下さいました。その方々の存在がどれほど、私たちにとって、どんなにか励ましであり、慰めであったか知れません。確かに、家内は、癒されることなく、天に帰って行きました。そのことは、本当に寂しく辛い現実です。しかし、その痛みや苦しみを独りで負うのではなく、一緒に泣いてくれる先生方や兄弟姉妹たちと分かち合えることは、神様を信じることの大きな恵みの一つだと実感しています。

 ひょっとしたら、この原稿を読んでいらっしゃる方の中には、自分は独りぼっちだ、自分のために祈ってくれる人などいない、一緒に泣いてくれる人などいないと感じている方がおられるかも知れません。もし、そんなことを感じておられたら、ぜひ、教会にお越しください。私たちと知り合いになりましょう。そして、あなたのためにも、ぜひ、祈らせてください。そして、人生を共に分かち合う神の家族となりましょう。あなたのお越しを心よりお待ちしています。