2021年1月「最高のプレゼント」
御影神愛キリスト教会員 K
「おそらく癌です」
ここ数ヶ月、胃腸の調子が良くないなぁと思っていたのと、久し振りに会った父に顔色が変だから病院へ行けと言われたことが重なり、しぶしぶ胃カメラをした直後に診察室でお医者様にそう言われました。あまりにも直球なその言葉に何を話せばよいのかわからず、ただ、「癌の確率は何パーセントくらいですか?」と聞いたのを覚えています。
「…80パーセントくらいかな…」そう言いながら気まずそうに顔を少し横へ向けた先生を見て、「先生は遠慮してる。私は癌なんだ」という事がはっきりとわかりました。
それからは全てがあれよあれよという間に変わっていきました。それは自分が何かをするというよりも、周りの人が私をあちこちに運んでくれているような、私自身は何もする事がない中で、久し振りに自分と向き合える時がこんな時だなんて…と皮肉に思いながらも、ただ二つの事だけが私の頭の中を回っていました。
一つは子供達(当時は中一でした)をこの世の迷い子にしたくない、神様と繋がって生きて欲しい、私がいなくても何かあれば神様が助けてくれるということを心の片隅に置いて生きていって欲しいということと、もう一つは私が聖書を神様の言葉として理解し、最後まで読みきる事ができるまで神様、時間を下さいという事でした。キリスト教に関しては、学生時代や子供の幼稚園等、幾度か触れ合う機会はあったものの核心にまでは至ることはなく、子供の頃に人にいただいたり、大人になって自分で購入したりなどした聖書を時々思い出した様に読んではその中からなぐさめを得ていました。手術、抗がん剤治療を続けながら、あとどれくらい聖書を読めるだろう?
読み切れるかな…と、聖書をただひたすら読み続ける毎日でした。
そんなある日、主人に「ここにね、とってもいい先生がいるよ。行ってみない?」と言われ、一緒に行く事にしたのがメディカルカフェでした。主催者である笹子先生の見解でも私の状態は良くなく、再び真っ暗闇に落とされた気分でしたが、主人は「きっと先生の所にいると良くなる気がする」と言い続けていました。今思えば、神様が周囲の人を通して私をこの教会に導いてくれたのだと思っています。
癌になってから今年で4年になります。「そうは言っても、周りの人も含めて僕たちはまた別の癌になるかもしれない。治ったとかそんな事は誰にも分らないし言えないんだ。」とメディカルカフェの参加者の方が話していた言葉が今でも心に残っています。
私たちは今ここに生かされていますが、全ては神様の御手の中にあるのだということを特にこの時期、感じる事が多いです。遅かれ早かれいずれ誰もがこの世を去る時がやってきます。だからこそ、がんになったから不幸だとか治ったから良かったとかそういう事ではなく、生かされているせいぜい数十年の中で何を感じて何を心の中心として生きていくのかがはっきりとわかること、それが人間がこの世で生きる意味なのだという事を今、実感しています。
神様とつながる事ができたという最高のプレゼントを癌という病を通して神様からいただいた事に感謝しています。
「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」 コリント人への第二の手紙4:18