Mikage Shinai Christ Church

2021年2月「ありのままの自分でいい」

御影神愛キリスト教会員  N

 

 物心ついた頃からクリスチャンホームで親に言われるまま洗礼を受けたが、特に心がキレイになったわけでもなく、なんとなく大人になり、何か特別な才能を持ってるわけでもない普通の社会人になりました。

 まあ信仰深くはないとはいってもクリスチャンではあったので「今日の罪を赦してください。他の人の罪を赦します。」と、日々悔い改めのお祈りは欠かしませんでした。ちょっと前にインターネットで、とある創作ブームが起こり若い学生たちが自分の知らない技術を学びどんどん先に進んでいきました。自分も少し手を出してみましたが彼らに全く追いつけず、学生にすら劣る何の才能も無い自分に存在価値なんて無いんじゃないかと思い絶望しました。そんな失意の中、仕事帰りに歩いているとふと「いつも他の人を赦しますとお祈りしてるけど、その対象に自分自身は入れていないんじゃないか」という事に気づかされました。実は一番罪を犯していたのは何の才能もないと自分を裁き、自分に価値など無いと自分を軽蔑していた自分自身だったのです。

 聖書のマルコによる福音書11章25節という箇所に

「だれかに対して、何か恨み事があるなら、ゆるしてやりなさい。そうすれば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださるであろう。」

と書いてありますが、まさに日課であった「今日の罪を赦してください。他の人の罪を赦します。」という祈りで自分自身が許されたのです。才能が無くても社会から必要とされなくても、神は自分を愛してくださっているという事をこの聖書のみことばを通してその時初めて理解できました。この感覚は言葉で説明するのが難しく、体験して初めて理解できる類のものでした。

 その後も相変わらず特別な才能に目覚めたりはしていませんが、今の自分自身を受け入れ肯定して、何度もくじけながらもその度にこの体験を思い出して立ち上がり歩み続けています。