2021年2月「幸せな人生を送るためのメッセージ」
御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本俊輔
人は、何故この世に生まれてきたのですか?幸せな人生を送るためです。しかし、現実は反対で多くの人は、悩んだり、苦しんだりしています。その理由は、まことの神様=救い主イエス・キリスト様を抜きにして人生を送ろうとしているからです。どんなに輝いて見えても偽物は偽物で人を落胆させるだけです。実の親の所を離れて子供は真の平安を得られないのと同じように、まことの神様を無視して真の幸せ・平安はありません。イエス・キリスト様は、わたしたちの真の親ですから、イエス様と一緒に生活すべきです。
イエス・キリスト様は何時もわたしたちに適切な助けの手を伸べてくれています。
イエス様の言葉に「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」マタイ11:28~29
キリスト様は、私たち人間がしあわせな人生を送るためには不可欠なお方です。そこでキリスト様はご自分を私たち人間が理解しやすい譬えでご自身を教示して下さいました。
第一は 「光であるキリスト」
「キリストは、いつの時代にも生きておられます。キリストは神なのです。このキリストが、すべてのものをお造りになりました。そうでないものは一つもありません。キリストには永遠のいのちがあります。全人類に光を与えるいのちです。そのいのちは、暗やみの中でさんぜんと輝き、どんな暗やみも、この光を消すことはできません。イエス・キリストこそほんとうの光です」ヨハネ1:1~5
イエス・キリスト様は、特定の時代、特定の地方、特定の民族、特定の階級の人、また、生まれや育ちに関係なく、すべての時代の全人類を照らすまことの光です。
第二は 「いのちの水であるキリスト」
イエスが答えて言われた。「この水を飲んでも、すぐにまた、のどが渇きます。けれども、わたしがあげる水を飲めば、絶対に渇くことはありません。わたしがあげる水は、それを飲む人のうちで、永久にかれない泉となり、いつまでも、その人を永遠のいのちで潤すからです。」と言われたのです。ヨハネ4:13~14
第三は 「いのちのパンであるキリスト」
ヨハネ福音書の6章を読むと偉大な奇跡に出会います。ある時ユダヤ国にあるガリラヤ湖の北にある丘に、イエス様のメッセージを聞くために多くの人が集まってきました。時間が経ち群衆は空腹でした。その時イエス様は弟子の一人ピリポの信仰を試そうとして尋ねました。「どこからパンを買ってきてみんなに食べさせようか」ピリポはこんなに大勢の人では、一財産あっても足りないでしょうと答えたのですが、その時アンデレという弟子が口を挟みました。「この子が大麦のパン五つと魚二匹を持っていますが、こんなに大勢では焼け石に水かなあ」と言った時、イエス様は、群衆を草むらに座らせなさいと命じました。そして、パンを取り神様に感謝してから人々に配らせました。魚も同じようにしたのです。男の人だけでも5000人も居ました。みんなが満腹しました。イエス様は言われました。みんなの食べ残したパンを集めなさい。すると残り物だけで12の篭に一杯になったのです。これを見て人々は熱狂しました。この方こそ預言者だメシヤだと叫びました。この時イエス様は騒ぎの中そっと抜け出し、山に退きました。次の日群衆はガリラヤ湖の北端の町カぺナウムでイエス様を見付けました。
その時イエス様は言いました。「あなたがたがわたしの側に居たがるのは、わたしを信じたからではありません。パンを食べさせてあげたからですね。それよりも永遠のいのちを手に入れなさい。」その後イスラエル人なら誰でも知っているお話をされたのです。昔イスラエルの民が出エジプトをした時、シナイの荒野で食べる物がなく飢え死にしそうになった時、神様は、毎朝「マナ」というパンを与えて40年の旅路を生かしてくれました。それと同じようにイエス様は 「いのちのパンは私です」 わたしのところに来る人は、二度と飢えることはありません。と言われました。感謝