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人生最大の仕事って?
御影神愛キリスト教会 教会員N姉
先日、こんな言葉を読みました。北海道の牧師先生の説教集のようなものですが、その中に三浦綾子さんの言葉が引用されていました。『クリスチャン作家であった三浦綾子さんは、「私には死ぬという仕事がある」と言われていました。その死ぬという仕事のなかに「心を尽くしてすべてのことを感謝する」という仕事があると思います。死を前にして、自分にかかわるすべてのことについて感謝することは大いなる仕事です。「自分が生きている」ひとつのしるしは「感謝できない」ということにあります。反対に、「自分に死んでいる」しるしは、すべてを感謝することができるということです。自分の死を意識したとき、感謝できることはなんと麗しいことでしょうか。その仕事は普段の日々においてもなされるべきだと思います。』と書かれていました。
これを読んで、一年半前に天に帰られた博子先生が病床で、「神様、感謝します」と何度も言われていたことを思い出しました。自分、自分ではなく、自分に死に、神様にあらゆることを感謝するとき、本当の意味で生き生きと生きることができ、変な言い方ですが、立派に死ねるのだと思いました。
数ヶ月前に、私は胸が苦しく息苦しくなったので、24時間心電図を撮るという機械をつけました。結果は不整脈であることが分かったのですが、それよりも驚いたのは、心臓はなんと24時間で約10万回鼓動を打っているということでした。不整脈が分かったことより、その数に驚きでした!!それも私が寝ている時でも、心臓は動いているんです。当たり前のことですが、心臓も休みたいよ、と言って休んだら、それは私が死ぬ時です。他の臓器なら、胃を休めてあげようとか目を休めてあげようとか、マッサージまでしてあげたり…。でも心臓こそ目に見えないところで休むこともなく、こんなに働いてくれていたのか、もっと感謝しないといけないな!と思わされました。
「昼も夜も私が寝ている時も私を守り、いつも共にいてくださる神様に感謝だわ」と言うと、ある姉妹に「心臓と一緒ですね」と言われて「ほんとだわ!」となったのですが…ということは、神様がもういいわ!この子はあかんわ、と私のことを諦めたり見捨てたりしたら、私は霊的にですが、死ぬってことになる…心臓と一緒ということだと気づかされました。でも神様は私たちを決して見捨てることはないのです。こんな詩篇の言葉があります。
「 主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。 見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない。 主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。」
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まばたきの詩人
御影神愛キリスト教会 ろう者伝道師 小笠原和枝
水野源三さんは、重度の障害を負いながら4冊の素晴らしい詩集(ポエム)や讃美歌などを残した奇跡の詩人です。1937年、長野県埴科郡坂城町に生まれた水野源三さんは、小学校では算数が良くできる子で、放課後は千曲川で魚を取ったり、裏山をかけ回ったりと元気な少年でした。ところが、小学校で集団赤痢が発生したのです。小学4年生の源三さんは、弟さんと共に赤痢にかかり、弟は治ったのですが、本人は42度の高熱が続き、脳性麻痺で手足の自由とことばを奪われてしまいました。
12歳の頃、一時的に片言を話せる時期がありましたが、口に出ることばは絶望的に「死ぬ、死ぬ」と言うだけでした。そのようなある日、偶然家を訪れたキリスト教の牧師が水野さんのためにと、一冊の聖書を置いていきました。自分ではめくることもできない聖書の1ページ1ページを、お母さんが仕事のパンをこねながら、走ってきてはページをめくったのでした。聖書を読み、牧師の導きで、イエス・キリストの救いを知った水野さんの心に、真実に愛されているという実感が湧き上がってきました。そして「死ぬ」ということばは、いつしか水野さんを優しく生かす神様への感謝へと変わっていったのです。
悩み苦しんでいる人々を、愛して下さる神様がいる!人間の罪を取り除き、神の子とするために、神が人となり、この世に来て下さり、私のために十字架上で死んで下さった!神様、ありがとうございます!
やがて、水野さんは18歳となった頃から心の中の感謝を詩に書き始めました。それはお母さんとの二人三脚でした。お母さんが「あいうえお」の50音表を発音する中で、書きとめ、最後に文章全体を読んでみて、OKなら水野さんが大きくまばたき、うなずいて完成です。心に詩や歌が泉のように湧き、母と子は文字を捜し、作品を次々と生んでいったのです。
水野さんにとって、詩作は神への讃美に他ならなかったのです。周りのごく普通の出来事を詠んでも、自然の美しさに心動かされても、すべて創造主なる神をほめたたえることが生きる目的となりました。その頃に作った詩に「悲しみよ」があります。
素晴らしい詩、讃美などをたくさん書かれ、クリスチャンはもとより多くの方々へ感動を与えられています。水野さんの人生に神様の希望の光が、力強さが、愛があふれています。私たちもまた、新たに生かされてあふれる讃美の喜び、恵み、希望、愛に満たされて歩んでいきましょう。
「患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終わることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」 ローマ人への手紙5章3~5節
「神は愛なり」
御影神愛キリスト教会員 T姉
私は3姉妹の長女として生まれ、御影の地で育った現在68歳です。幼い頃から家庭内に暗雲が・・・。それは働き者で真面目な父ですが、酒癖が悪く度々暴れる事でした。いつも助けに入ってくれた隣のおばさんがクリスチャンでした。私達に教会学校へ行く事をすすめて下さいました。私が10歳、妹8歳と4歳と共に教会学校へ行く事にしました。赤い三角屋根の上に十字架のある2階建ての教会です。そこは、別世界でした。オルガンの音、讃美歌、聖書のお話し、優しい杉本牧師先生、笑顔でオルガンを弾き美しい声で歌われる満子先生、教会学校の先生方は親しく話しかけて下さり、次第に心が楽になっていきました。礼拝堂の正面には〝神は愛なり〝と筆文字の書が掛けられています。とても印象的でした。
高校生になると教会学校のお手伝いをするようになります。私は幼児クラスでSさんから学び、指導して頂きました。その幼児クラスの生徒として瀬古慎二先生もいました。3歳位でチョロチョロしてかわいい男の子でしたよ。礼拝出席する中で、「主イエスを信じいなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と御言葉が心に響きました。神様は私も父母も妹も救って下さるのだ! 素直に「はい、信じます。」と信仰告白をして17歳の春に住吉川上流で、杉本先生から洗礼を授けていただきました。その年は大阪万博が開催されており教会には、ろう者が導かれ手話の学びも始まりました。
やがて妹も洗礼を受け、ピアノ伴奏や歌のご奉仕に用いられ共に神の教会に在る事を感謝する日々でした。その後、神様の導きによりTさんと結婚、その年母が洗礼を受けました。私達には息子と娘が与えられそれぞれ成長し、自分の意思で信仰告白をして、洗礼を授けていただきました。そして、父は病床の中、神様を信じて天に帰りました。感謝するばかりです。
1つの奇跡をお話します。私の両親と同居する事になってから、色々な問題が起きた時、母と共に祈る時が多くなりました。ある朝の事、洗濯機がガタガタジャンプして止まったのです。これまでも何度か同じ事があって、母と洗濯機に手を置いて祈りました。でも、今日は動きません。今すぐ新しい洗濯機を買うことも出来ません。あ~あ。その日の午後、主人がトラックに荷物を積んで帰って来て「おーい、これいるかー?!」「何?」見ると大型の洗濯機ではありませんか。別に乾燥機まで。私達には贅沢な品物です。母と2人歓びがあふれ、神様ありがとう、そして主を賛美しました。
♪主の山に備えあり全ては主のみ手に必要の全てを主は満たしてくれる~♪ アーメン。
今も神様の不思議な業は続いています。
「恵み」
御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本満子
「主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。」 詩篇118:1
先日私は、ある教会の礼拝に出席しました。そのとき歌われた賛美歌の中に「恵み」という讃美がありました。その歌詞をここに紹介しましょう。
「全てが恵み、全てが恵み、限りない恵み、当たり前の事など一つもない、すべてが主の恵み」という短い簡単な讃美でした。私には初めての讃美でしたので、皆さんが歌われる声を聞きながら、当たり前のことなど一つもないのだ、私たちは日々主の見守りと、恵みの中に生かされているのだと、改めて心に深く思わされたのです。
私たちは一日一日をごく当たり前のように過ごしているのではないでしょうか。何事もないことが当たり前、平穏無事であることが当たり前、だから毎日の生活を特別なことのように考えることなく、感謝することもなく、何となく普通に生活しているのではないでしょうか。けれども最近の世界の状況を見る時、自然災害が頻繁に起こっている事を知るのです。地震・豪雨・火山噴火・疫病等々、それらの災害は何時私たちの身に及ぶかを知りません。
また、私は大丈夫という保証もありません。現在は新型コロナウイルスによる疫病のために世界中が悩まされていますね。それが発生してから二年以上も経っているのに適切な治療法もなく、毎日感染者の数に一喜一憂しているような状態ではないでしょうか。
近年、科学の発展は著しい、医学もまた著しく発展をとげ、まもなく多くの癌も征服出来るだろうなどと言われていますね。その勢いで人類は、宇宙をも征服させることを夢み、挑んでいます。けれども、コロナという小さなウイルスの攻撃に世界は、為すべき術を知らず、多くの人々が恐れと苦しみの中に日々を過ごしていることを知るのです。また、それがいつ我が身に襲ってくるかもわかりません。私たちの穏やかな毎日の生活は決して当たり前の事ではないのです。
聖書の使徒17:28に「われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである」という御言葉があります。私たち人間は、誰一人自分で生まれようとして生まれてきた人はいないのです。そして自分の力で頑張って命を保ち、日々の生活を保っている人もいないのです。私たちすべての人は、神様から命をいただき、神様の見守りの中に日々の生活を送っているのです。これを「恵み」というのです。「恵み」とは、受ける資格のない者に与えられることを言うのです。
では神様は、なぜ私たちに恵みを与えて下さるのでしょうか。イザヤ書46:4に「わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う」という御言葉があります。人類は、神様によって創造された存在なのです。だから神様は、ご自分が造られた人類をこよなく愛して、恵みの中に生きるようにして下さっているのです。けれども多くの人々は、自分は神様によって造られ、生かされていることを信じようともせず、自分の力、能力によって生き、世界は征服できると考えているのです。
昔人々が、天にまで届く高い塔を建てたということが、創世記11章に記されています。それは、自分たちの力、能力、技術を誇って、自分たちの名を有名にするためでした。けれども神様は、それを乱されたのです。彼らの計画は失敗に終わりました。科学が進み、医学が進み、その他様々な分野で人の文化が進んでいくことは素晴らしいことでしょう。しかし、人は神様の恵みの中に生かされていることを忘れる時、傲慢になり、人の力を誇るようになるのです。ここでもう一度考えましょう。
あなたは自分の力で生まれてきたのですか、自分の力で生きているのですか、そうではない。神様から命をいただき、神様の恵みの中で生かされているのです。この神様が与えて下さる恵みを忘れてはいけません。毎日何事もなく、平穏無事に生活できる恵みを感謝しようではありませんか。 当たり前のことなど一つもないのです。「全てが恵み、すべてが主の恵み」なのです。 神様に日々感謝を捧げましょう。
初代教会のクリスチャンⅡ「イエス様の12弟子」 その2 使徒ヨハネ
御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本俊輔
新約聖書には、ヨハネという名前の人が多く居りますので肩書きを付けて呼ばれています。今日のヨハネは、イエス様の12弟子の1人で愛の使徒ヨハネと呼ばれています。父はガリラヤ湖の裕福な漁師ゼベダイで兄はヤコブです。
2人はイエス様の最初の弟子でした。最側近の弟子で、重要な場面には必ずイエス様のそばに居ました。ヨハネは、今日では、愛の使徒として有名ですが始めから愛の人ではなかったことが記録されています。イエス様と3年6ヶ月生活を共にし、愛の人に変えられたのでしょう。
マルコ3:17を読むと、12弟子が使徒として選ばれた時、イエス様は全てを見抜かれるお方ですから兄ヤコブと共に短気で直情型の人であったのでわざわざ2人に“ボアネルゲ、即ち、雷の子”と名付けたと言われています。事実、ルカ福音書9:51~55にイエス様一行がエルサレムに向かって進んでいこうと、サマリヤの村に入った時、村人たちはイエス様一行を歓迎しませんでした。その状況を見た時、ヤコブとヨハネは頭にきてイエス様に言ったのです。「主よ、いかがでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火を呼び求めましょうか」と、イエスは振りかえって、彼らをおしかりになった。なんと乱暴で向こう見ずな兄弟でしょう。
またあるときには、自己中心で、他者に対する心遣いのない兄弟かと思われることがありました。マルコ10:35~45にはイエス様の御心を全く理解せず、世的な思いに囚われてイエス様が栄光を受けられるときには、私たち兄弟を「ひとりをあなたの右に、ひとりを左にすわるようにしてください」。と願い出たのです。そのために他の弟子たちの怒りを買うことになったのです。愛のない野心家でした。
しかし、人は変えられます。3年6ヶ月イエス様と寝食を共にし、毎日御教えを聞き、愛の奇跡を見ていく中で、イエス様が生ける真の神様であることと、愛の神様であることを悟りました。そして福音の真理を知ることが出来たのです。ヨハネ1:14に「わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」。と告白しています。
その後ヨハネは、イエス様に最後の最後まで服従しました。イエス様が捕らえられ十字架に付けられた時、他の弟子たちは逃げてしまいました。弟子の筆頭者であったペテロでも恐怖のために逃げてしまったのですが、彼は十字架の元に居てイエス様の最後のご命令を聞いたのです。ヨハネ19:26~27イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母(マリヤ)に言われた、「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。それからこの弟子(ヨハネ)に言われた、「ごらんなさい。これはあなたの母です」。そのとき以来、この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった。とあるように母マリヤと生涯を共にしたのです。
愛の使徒と呼ばれるようになったヨハネは、ヨハネの福音書を始めヨハネ第一、第二、第三の手紙を書きました。さらにローマ皇帝ドミティアヌス帝の大迫害でパトモス島に幽閉されたとき、ヨハネ黙示録を書き残してくれました。
また12弟子の多くは迫害を受け殉教の死を遂げましたが、唯一人ヨハネは迫害を受けながらも天寿を全うし、小アジア(現在のトルコ=アナトリア)のエペソで信徒たちに“主は愛だよ、互いに愛し合いなさい”と語り続けて主のみもとに召されたと言われています。