Mikage Shinai Christ Church

甲斐智教

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2019年6月”神様にしか埋めることのできない空洞”

御影神愛キリスト教会員  大野 裕美子

 

私は、小学校低学年の頃日曜学校へ通っていましたが、高学年になる頃には、教会へ行かなくなりました。高校生になった頃から、自分が何のために生きているのか?とても疑問に思い始め、何が正しくて何が間違っているのかなど考え始めたら、全く答えも出ず、楽しいことを探し求めたのですが、何をしても満足することもなく、だんだん生きていくのが空しくなってきました。

その頃、ゴダイゴのファンだった私は、コンサートのステージの上から「どうぞ教会へ行って下さい。」といつもスティーブフォックスさんが言っていた事が、とても心に残り、もし、この空しさが無くなり、苦しみから解放されて、人生の目的を知ることができるのであればと思い、再び教会へ通い始めました。

初めは、なかなか神様を信じることが出来ず、何度も神様に、人の考えでは絶対に無理なことを祈りました。しかし、神様はその都度、不思議な方法で祈りに答え、神様の存在を示して下さいました。

人の心の中には神様にしか埋めることのできない空洞があると言われます。今では、この空洞が埋められ、神様から生きる喜びが与えられ、日々感謝しながら生かされています。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」
テサロニケ人への第一の手紙 5:16~18

2018年12月”放蕩息子の話の続き”

御影神愛キリスト教会員 松田 光

 

主の御名を賛美します。お話をさせて頂くにあたり、はじめに自己紹介を兼ねて過去を振り返りたいと思います。僕はこの教会の牧師の孫として生まれ、この教会の方々に愛され支えられ祈られて育ちました。 小学生の頃から、教会の方により、ピアノや音楽の楽しさ、素晴らしさを、時に優しく、時に優しく(笑)、本当に深い愛を持って教えて頂き、拙いものでありながらも、聖歌隊の伴奏や教会学校での奏楽の奉仕に携わっていました。

 

  その後もどんどん音楽が好きになり、高校・大学と教会外でもバンド活動をしていました。そうした中で全国規模で活動するバンドに加入することとなり、次第に教会に通うことも難しくなりました。大学を卒業した後もフリーターをしながら活動を続け、気付けばそのバンドに加入し7年の月日が経っていました。そのような不安定な状況にあってもずっと連れ添ってくれた今の妻と結婚したい思いが与えられ、そのバンドから脱退することを決めました。気付けば20代も終わりを迎え、定職もなく、貯金などはもちろんなく、結婚をしたいとはいえ入籍する程度のつもりでしか考えていませんでした。

 

  しかし神様の導きと皆様が尽力して下さったおかげで、当教会で素晴らしい盛大な結婚式を挙げさせて頂きました。そしてその1年後、第一子がこの世に生を受けました。バンド脱退を決めてから就職・結婚・出産と自分自身が追いつけない程の怒濤の勢いで事が進み、やっと落ち着いてきた先日、妻と話している際に、「こんなにたくさんのものが与えられ幸せな生活が出来るようになるなんて、バンドやってた頃は思いもせんかったなぁ…」と思い、小さい頃から沢山の方々に祈られ支えられている事、また自分自身が神様の大いなる愛を受け、守られている事を実感し、それを素直に妻に分かち合うことができました。生まれてきた子どもには、神様と離れず一緒に過ごす人生であってほしいという思いを込めて、「御子と共に歩む人生であるように」“みこと”という名前をつけました。

  そしてそんな出戻りのような僕が今回のクリスマスキャンドルライトサービスで、音楽プロデューサーという役割を任せて頂くことになりました。実は先述したバンドに加入するにあたり、瀬古先生に相談した事がありました。その時、牧師先生は「あきらはそのバンド活動で得た経験や、見たもの、感じたものをきっと教会に帰ってきて活かしてくれると信じてるよ。だから頑張ってね!」と背中を押してくれました。そこから10年経った今、クリスマスの音楽担当の話を頂いた時、これか!と神様の導きを強く感じました。

 

   長くなりましたが、自分勝手にしたいようにしてきただけの放蕩息子さながらの僕の人生が至る所で繋がり、それらを用いて神様のお役に立てる喜びを心から感謝し、その全てが偉大な神様の導きであると確信しています。この先も自分の人生を通して神様の栄光を顕していきたいと思っています。
 
さぁ!クリスマス、ラストスパートです!
皆さんで祈り一丸となって最高のものを神様に捧げていきたいと思っていますので、
ぜひ来てください!

2018年11月”神様と人とに仕える者に”

 御影神愛キリスト教会員 成田 恵

 

私は牧師の家庭に生まれ教会で育ちました。幼い頃からイエス様をずっと信じていました。学生時代は子供の頃から好きな音楽を神様に用いていただけるようにと願っていましたが、音楽の仕事を始めると忙しくなり、仕事中心の生活をしていました。

そんな日々の中で夫となる人と出会い、当時は、学生の時には友達に誘われて教会に行っていたと話していたし、礼拝などにも出席してくれていました。義理の母もその頃は教会からは離れていましたがクリスチャンではありました。ですので彼はきっとすぐにクリスチャンになるだろうと簡単に思い込んでいたのです。今でもまだクリスチャンではないのですが…。

結婚後、夫は仕事が徐々に忙しくなり、朝早く家を出て深夜まで帰ってこない、子育てや相談事にものってくれる時間がない、そのうち息子は「中二病」と言われる状態になり、手を焼き、学校でも問題行動でたびたび私も呼び出されるようになり、私の子育てのせいだと言われたり、夫と気持ちがすれ違ってきた事に気づきました。

この頃に教会で「ファイアーストーム」という映画を観て、映画の中で使われている「夫婦の危機を救う40日プラン」という本を買って読み、聖書を土台にしたプログラムを1つずつ実践してみる事にしました。いくつか読んで実行すると自己中心的な自分や相手に対する思いやりのなさにどんどん気づかされ、実行してみることにしました。今までのことを反省して、最初はギクシャクしましたが徐々に関係が回復しました。

プログラムの中に1日ごとに添えてある聖書のみ言葉の1つを抜粋します。「互に情深く、
あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。」エペソ人への手紙 4:32

その後、息子も夫と同じ道に進み、能楽師として歩み出していますが、夫と息子が神様のもとに導かれることは私の日々の祈りです。神様を信じていればそれで良いのではなく、問題に出会い、神様に助けを求め祈る事で、周りの状況ではなく自分が変えられるのです。これからますます日々祈り、み言葉により教えられながら、家族に仕えまた人にも仕える者となりたいと願っています。

2018年10月”My Father, I do not understand you, but I trust you!”

My Father, I do not understand you, but I trust you

(一つひとつの事が今の私に理解できなくても、私は私を愛して止まない神を信頼します!)

御影神愛キリスト教会員 長久愛子

 

冒頭は私の好きな言葉です。私の両親はこの教会で救われ、お腹の中にいる時から両親や色々な方々に祈られ、クリスチャンホームで育ちました。小さい頃は体が弱く、他の人が当たり前にできることがなかなか出来ない幼少期だったように思います。

あまり小さい頃に息をする事を考えることはないと思いますが、喘息が酷かった私は息をすると言う事が本当に難しく、苦しくて寝れず、食べれず、動くのもしんどい日がありました。学校に行っても休みがちで、学校を2・3日休むと友達付き合いも勉強もついていけず、そんな事もあってか社交的ではなく、家が大好きな内向的な子ども時代だったように思います。

 

母の記憶は今となってはあまりないのですが、私は母が大好きで安心感があり、いつも母が近くにいるのが当たり前のように思っていました。ところがその母が病気になり入退院を繰り返し、私が12歳の時に母は天に召されました。母が病気の間も教会に通い、母の病気が治るように祈っていました。でも、ふと母はひょっとしたら死ぬのかもしれないなぁ〜と子ども心に思う時もありました。

 

母が召されてしばらくは母が死んだ時の光景が頭から離れず、「私がお母さん死ぬかもしれないって思ったから死んだんや」っていう罪悪感のような思い。「私にはまだお母さんが必要なのに、なんで死なせたんですか?」という神に対する怒り。失望感が次から次へと押し寄せてきて、誰とも会いたくも話したくもないし、神なんてどーでもええと思っていました。こんなことを考えていると心だけではなく、体も具合が悪くなり私も入退院を繰り返し、家族とも友達ともあまり話さず過ごしていたように思います。

 

教会に行っても「お母さん亡くして、かわいそう」と言う同情の目で見られていると「神なんて」と言う思いから教会に行くのも嫌になっていました。そんな時、私が小学生だった頃の日曜学校の先生が姉へ伝言し「クリスマス、教会で待ってるからね。来れなかったら病院に行くからね〜」というものでした。その人は今から思えば物事をただハッキリ言うだけの人だったのですが、小学生の頃の私にはすごく厳しい人のように思え、その人が大好きな半面すごくビビっていたのも覚えています。その人が病院に来て祈るより、私が教会に行った方がマシだという思いで、その12月に久しぶりに教会に行きました。礼拝堂の一番後ろの席で誰にも声をかけられたくも見られたくもなく座っていたのを覚えています。

 

クリスマスの話は私が物心ついた頃から毎年聞いており、何も目新しいこともなく、クリスマスはイエス様が生まれた日、だからまた劇と歌を歌うんだろうなぁ〜とかなり冷めた気持ちでいました。その時に何をしたのかは覚えていないのですが、その時に私は神を自分の救い主なんだと言うことが初めて理解できたのです。

 

神は酷い死に方をすると分かっている自分のひとり子を他の誰でもない私を愛してるが故にこの地上に与えて下さった。私が神に悪態をつくことも、人を傷つけることも、私が生れながらの罪人であり、そのままでは神の前にでるような者ではないこの私の為に身代わりとなり、十字架で苦しみを受けることをもうすでに分かっていたにもかかわらず、ひとり子イエスに命を与えられたんだと分かった時に本当に大泣きしたのを覚えています。

 

多分、母の死がなければ、私にはこれがどれだけ凄いことなのか、また、愛する人を失う痛みや悲しさがどれ程のことなのか全く理解できなかったように思います。聖書の言葉の中に「神のなされることは皆その時にかなって美しい」とありますが、本当に神の時があり、それは私が思う時ではなく、今、私が分からなくても神の時なんだと言うことを思います。

 

神を信じてからも本当に色々な事があります。でも、私が私でいれるのは神の愛が変わらず私にあり、一つひとつの事が今の私に理解できなくても、私は私を愛して止まない神を信頼し続けたいと祈り願います。

2018年9月”祈り”

御影神愛キリスト教会 壮年部 後藤 元紀

 

まず私の幼少時代のことを話させていただきますと、私は、2歳ずつ年の離れた男兄弟の3人の真ん中で、2歳年上の兄友達と遊ぶ活発な子供でした。3歳の時は、滑り台で遊び、その上から箱に乗り滑り下りる遊びをしていた時、滑り台から横に脱線して頭から転落、頭を9針ほど縫う大けがをして生死をさまよったこともあります。また3歳の頃、親の知らぬ間に、私がいないことに大騒ぎになり慌てていると、団地の3階のベランダつたいに隣の家に入り込み、親が探し回っていた間、お隣の部屋にあがりこんで遊んでいたらしい、という事もあった、ゴンタな子供だったそうです。

また、兄たち2~3歳上の友達と野球などして遊ぶ子供でした。兄たちの友達にちやほやされて、甘やかされ好き放題に遊んでいたそんな環境だったことを思い出します。父親の仕事の影響で、幾度か転校もありましたが、その都度私は、自分を自分以上に背伸びさせて、(神戸ではいきるといいますが)いいかっこしていたように思います。

 

実は、今はバリバリの阪神タイガースファンですが、転校で名古屋から神戸に来た時に、半分脅迫じみた連れ友達から、無理やりならされ、なったようにも思います。 幼少期から少年期はそんな幸せな生活を送っていたのですが、小学校6年時に父親が体を崩して病院に通うようになり、私が中学校1年生の時、病気で生死をさまよう大病に見舞われ、授業中に、病院にも呼ばれたりもしました。

 

後に、私は弟が、この御影神愛キリスト教会に来て、熱心に、父親の病気が治るようにと、祈っていたらしい事を知り、母親も教会に導かれ、たがいに祈っていた事を知りました。弟と母親の二人の祈りと牧師先生また教会の人たちの祈りのおかげで、奇跡的に父親も退院することができ、後に父親も教会に導かれました。私は、そんなときでも、好き放題の生活で、中学卒業はクリアしたものの、高校に入学しても変わりはしませんでした。

 

   
高校になり、野球部に入部しても、夏休み明けにはきつい練習が嫌になり、退部して帰宅部になり、気がつけば水道筋の喫茶店に入り浸り、不良の連中と同じ部類になっていました。マージャン、タバコ、酒、などで高校生活でも、最終的な退学はなんとか免れましたが、何度かの停学をして、その都度、両親を泣かせていました。大学にも何とか入学はできたものの、調子者の本当にあほな私は、生活態度は一向に変わることがありませんでした。

 

連れの仲間と酒を飲んで、六甲山、43号線、阪神高速に暴走しに出かけたり、他グループと絡んだりしたそんなある日ある深夜、酒に酔った私は、ある事件で警察に世話になりました。私はこの時、絶望に陥り、必死に後の人生のことを思い、涙して、自分の罪を悔い、勝手ながらに神様にお祈りをしていました。しかしその時、ある人の証言により、許され、事件にはなることはなくなりました。その時、涙ながらに謝罪し、私は神様を受け入れる決心をしました。

 

しかし、最初に述べたとおり私の心は昔のままの古い肉の性質にしたがっており、警察沙汰の行動はその時以降ないようになりましたが、生活は神様の欲するものとは程遠いもので神様とは離れておりました。私の中では、何とも言えない気持ちで、親たちと教会には行くようになり、自然とその教会内では、自分で祈るようになっていました。

 

神様は、それ以降、何度、私にいいことをしてくださったかは、はかり知れません。仕事で、建築の工事現場を担当していた時も、今思えば、一挙に数人が死に至る、または重篤災害になるのもおかしくなさそうな現象の時も、神様に祈ることで最低限の事故で済まされたり、そのようなことが何度かありました。

 

そこで現在、今回のお証をさせていただく決心がついたのは、具体的には申せませんが、実際にこの2~3年前から起こった、私の父の問題で、私、または兄弟家族達が真剣に神様に祈り続け、神様は本当にその祈りに対して答えてくださる、それもジャストなタイミングで、計り知れない方法で答えてくださったことを実感しました。

 

現在の変えられた私は、祈りに答えてくださる神様を実感し、まさに、聖書の御言葉通り、「いつも喜んでいなさい、たえず祈りなさい、すべてのことに感謝しなさい」という生活が自然と毎日できていることに、本当に感謝しています。

 

また、瀬古牧師先生から学んだ素敵な一言をいつも思って生活しています。PUSH ( PLAY, UNTIL, SOMETHING, HAPPENS ! ) 何かが起こるまで祈る!救いが起こるまで忍耐する!をモットーに念頭に置き、本当にかなえてくださる神様の存在を知り、感謝の生活ができています。皆さまも、祈りをかなえてくださる神様を信じて、生活していきましょう。

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