Mikage Shinai Christ Church

甲斐智教

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2020年9月「神様との出会い」

御影神愛キリスト教会  Y

 

 今日は、私が神様に出会うまでの話をしたいと思います。

 私は生まれてからずっと、教会とは無縁の生活を数年前まで送ってきました。高校生の頃からなぜ自分はこの世に生きているのか、時に自問自答しつつ、日々いろんなことに向き合い成長し、今の仕事、職場へと就職し毎日を送っていました。

 ある日、職場の同僚に弱音を吐いていると、いつものようにアドバイスをもらっていたのですが、ふと、何故この人には弱音を吐けるのか、また、その人の言葉には重みがあるのか気になりました。その話をしてみたところ、その人は洗礼は受けていないものの、神様を信じていると言うことを知りました。

 次第に、自分も神様とはどんな人なのか興味を持つようになりました。思ったらすぐに行動する私は、早速パソコンで近隣の教会を検索、自宅からは少し距離はありますが何故かここの教会が目にとまりました。調べると、ろう者礼拝があり、学生時代に手話を習い色々な場で活かしていましたが、最近は離れつつあった私にとって、再び勉強出来るかもしれないと思いここに決めました。なにもわからないまま、その日のうちに、今週の日曜日に伺っても大丈夫か確認の電話を教会にしていました。

 迎えた日曜日、はじめて降りた御影の駅、教会に入った瞬間、笑顔で迎えてくださった方々。今でもその笑顔に安心したことを鮮明に覚えています。その後は沢山の人に支えられて、神様を信じ、受け入れ、神の子として生きる生活が始まりました。

 まだまだ、神の子としての日々は短いものの、神様はずっと私のことを呼んでいて、ここの教会に来ること、今、手話通訳をしていることなど、すべてが神様の計画の中にあったのだと知りました。今、私を教会へと導いてくれた人は難治性の病と闘っています。これにもまた、神様の計画があると信じます。

 日々悩みや不安は尽きませんが、私の心の支えでもある「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災いを与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。エレミヤ書29:11」を信じてゆっくり歩んで行きたいと思います。

2020年9月「困った時の神頼み」

御影神愛キリスト教会 伝道師 杉本満子

 

 世の中には、「私は無神論者だ、神に頼るのは弱い人間のする事だ、私は自分の力で人生を切り開いていく」という人が時々居られます。私たちの人生が自分の計画通り、理想通りに進んでいったら、きっと楽しいでしょうね。けれども中々そう上手く行かないものです。時折、自分が考えもしなかった様な事柄に遭遇して、慌てたり、嘆いたりすることを誰しも経験しますね。そのような時、多くの人々は、神様に頼りたい、神様にお願いして解決して欲しいと思うのではないでしょうか。普段は強いことを言いながら、困難な時だけ、「神様神様」と言うのは「困った時の神頼みだ」と人々は揶揄するかも知れません。しかし、キリスト教の神様は「それでも良い」と言って下さっているのです。

 旧約聖書詩篇50篇15節に次のような御言葉があります。

「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」。

神様は、私たちがどんな人であっても、どんな状況の中にあっても、「わたしに助けを求めてくるならば、あなたを助けてあげるよ」と語っておられるのです。神様は、何と心の広い愛に満ちたお方でしょうか。

 皆さんは、世界的に有名な、そして多くの人々に愛唱されている「アメイジンググレイス」(驚くばかりの恵み)という賛美歌を御存じでしょうか?教会に行ったことのない人でも、どこかで耳にしたことのある曲だと思います。この賛美歌を作った人はジョン・ニュートンという英国国教会の牧師です。彼のお母さんは大変熱心なクリスチャンでした。しかし、彼は若い時、神様を信じるどころか、黒人を家畜のように扱い、売買する奴隷貿易商人になったのです。ある時、彼はいつものように、奴隷たちを船に詰め込んで海を渡っていた時、思いがけない嵐に遭遇し、船が転覆しそうになったのです。彼は命の危険を感じ、恐怖に襲われ、神様に助けを求めて必死に祈りました。すると不思議なことに神様は彼の祈りを聞いて嵐を静めて下さり、彼の命を助けて下さったのです。その時彼は、神様は本当に生きていて、私の祈りを聞いて下さったということがわかったのです。それと同時に彼は、自分の行っていることがどんなに悪いことか、神様の前に罪深いことかということに気がついたのです。そこで彼は、神様の前に罪悔い改めて、赦しを求めて祈りました。そしてクリスチャンになり、奴隷貿易商を止めて神学校での学びに導かれ、後に、英国国教会の牧師にまでなったのです。それだけではなく、多くの賛美歌を作り、人々に神様の愛を伝える人になったのです。前述の「アメイジンググレイス」もその中の1つの賛美歌です。

 彼は、決して人々に褒められるような人生を送った人ではありませんでした。しかし、困難の中で、神様に助けを求めた時に、神様は、彼をその困難の中から助け出し、正しい人生を歩む人と変えて下さったのです。

 あなたは、奴隷売買商人のような悪い人生は送っていないと思います。あなたが正しい生活を行っているか、否か、そのようなことは問題ではありません。あなたが困難に遭った時、苦しみに会った時に、神様は「助けを求めなさいそうすれば、あなたを助けてあげるよ」と語っておられるのです。

 主イエス・キリスト様に助けを求めてお祈りしてみましょう。神様はあなたの声を聞いて良い解決を与え、苦しみや困難から助け出して下さいます。

 「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」ローマ10:13

2020年8月「神様との出会い」

御影神愛キリスト教会  I

 私には三人の子供がいます。末娘は高機能広汎性発達障害です。この障害が理解されず小学校の二年生の2学期から学校へ行けなくなり、三年生からは、なかよし学級へと移りましたが、行くことができず先生が家に来てくださり、四年生からは、先生と一緒に卒業まで学校に行くことができました。

 中学校は先生と相談のうえ、校区外の中学校を探すことになり見学にも行き、その中学校の生徒さんとも仲良くなり、その中学校への受け入れを先生方が話をして下さいましたが、答えはいつも「無理です」でした。何度もお願いをしましたがいつも同じ答えでした。最後に校長先生が直接学校へと足を運んで下さったのですが、やはり「無理です」でした。そして校長先生から、他の中学校を探すことになりましたと言われ、娘にはなんと説明しようかと悩みました。

 悩んでいる時、以前、家庭集会のクリスマスに参加した教会へ行くことになり、礼拝後、教会の方々とお話をしている中で、「何か祈ってほしいことがありますか」、と聞かれましたが、その頃は祈りが聞かれるということなど何もわかっていなかったので、別に無いと思いましたが、私の口から出た言葉は娘の中学校の話でした。そして数名の方が祈ってくださいました。

数日後、中学校の校長先生から学校へ来てくださいと連絡が入りましたが、受け入れてもらえないのにどうして学校へ、と思いながら校長室に入りました。校長先生から、「受け入れないとは言っていません。受け入れましょう。」という言葉でした。そして、「先生をもう一人付けてもらえるように市教へお願いしますが、これは期待しないでください」と言われ、その時は神様が祈りを聞いてくださったこともわからないまま入学式に行くと、先生が二人になっていました。

それからは本当に神様が娘にとって最善の道を用意してくださり、小学校では参加できなかった運動会や他の行事にも参加することができました。また先生にも恵まれ、中学卒業後は特別支援学校へ進み、生徒会の一員として集会の司会をしたり、親友もでき、毎日楽しい学校生活を送ることができました。そして卒業後もやりたかった仕事をすることができています。

 十数年前に祈ってくださった姉妹に会うたびに「今も祈っているよ」と声をかけてくださることに感謝しかありません。今も娘に神様が共にいてくださることに感謝!

2020年8月「わたしの神様」

 御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本俊輔

 

 わたしたちの信じる神様は、神様を信じる人に、信仰と希望と愛を分け隔てなく与えて下さる神様です。それは、求めるすべての人に与えられるものです。そこで今日は、その大切な真理に目を向けましょう。

 その1は、神様は全知全能の神様ですから、わたしたちが先回りして思い煩ったり、無理して我を張る必要はないのです。また、進むべき道がわからない時は、神様に祈り、助けを求めるならば必ずイエス・キリスト様が「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」とマタイ7:7で言われたように道を開いて下さいます。だからクリスチャンには行き詰まりはないのです。祈れば必ず最善の道が開けます。

 その2は、誰でも平安で、幸せな人生を願うことでしょう。しかし、時として思わぬ問題、災難に遭うことがあります。健康を害したり、経済的に行き詰まったりする事もあるでしょうが、神様に全てを委ねて進んでいきましょう。全能の神様は、大きな事も小さな事も最善に成し遂げて下さるからです。Ⅰペテロ5:7に「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。」と言ってくれています。

 今から70年ほど前、私がクリスチャンになったばかりの時、活ける神様は、わたしたちの小さい祈りをも聞いて下さるのだと言うことを体験しました。それは、私を信仰に導いて下さった牧師先生の小学生の愛娘が突然重い病に冒されてしまった時のことです。この子は、いつも明るく元気な子供でした。この子については、小学校の教師をしていた私の姉の教え子でしたからよく知っていました。しかし、ある祈祷会の夜、集会が終わった時、牧師先生が兄弟姉妹にお願いがあります。祈って下さい。実は、私の娘が今国立病院に入院しています。先ほど主治医から突然連絡があり「お嬢様は危篤です。わたしたちは、全力を尽くしましたが今晩が山です」と言われました。信徒の皆さん、奇跡をなさる癒しの神様に祈って下さい。そこで、私達信徒は、先生の後を追って病院に駆けつけました。信徒の私達は病室には入れませんので病室の外の軒下で、みんなで小声でしたが、一晩中一生懸命に主に癒しの祈りをしました。東の空が白み始めた頃、病室の中が騒がしくなりました。何かが起こりました。しばらくして牧師先生は、病室の外にいる私達の所にきて、「感謝、娘は助かりました。有難う、皆さんの祈りが神様の奇跡を生んだのです。」ハレルヤ! この娘さんは、成人した後に、京都の教会の信徒と結婚され幸せなクリスチャンホームを形成しています。

 その3は、神様は、神様に従う人を、常に正しい道に導いてくれます。へブル13:8に「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変わることがない。さまざまな違った教えによって、迷わされてはならない。」と教えています。さて、人祖アダムとエバは神様から与えられた楽園(エデン)で何不自由なく楽しく平和な生活をしていましたが、時に、サタン(悪魔)が二人の幸せな生活を妬んで、誘惑をしました。二人は神様の言葉に従って生活すれば幸せですと言ったのですが、サタンが「神様は本当にそう言われたのですか?」創3:1と言った時、二人はいとも簡単に神様のご命令を捨てて、神様が「取って食べてはいけない」と言われた木の実を取って食べてしまったのです。即ち神様の言葉を捨てたのです。人類の悲劇はここから始まりました。

この世界では、「何が正しく」「何が誤り」かを教えて下さるのは聖書だけです。私達は、神様の言葉を信じて、神様の賜物である信仰と希望と愛をいただきながら生活をしたいものです。

2020年7月「一枚のチラシから」

御影神愛キリスト教会員 Y

 私が御影神愛キリスト教会へ初めて足を踏み入れたのは、長年暮らしたアメリカから帰国したばかりの、4年前のバザーの時でした。実家のポストに、教会からのチラシが入っていたのです。教会のバザーはハズレがない!(特に教会員のお手製スイーツ)というのが私の持論なので、朝から張り切って教会へ出かけて行きました。きっかけは一枚のチラシでしたが、神様は確かに私をこの教会へと導いてくださいました。

 

一つ目は手話によって、です。以前から新しい言語を学習したいと考えていたのですが、教会の入り口に「手話勉強会」と書いてあるのを見た時、これだ!と思いました。そしてバザーの翌週から、木曜日の夜に手話を学ぶようになりました。手話の知識も全くない、見ず知らずの私を温かく迎え入れてくださった先生方には、心から感謝をしています。私の手話はなかなか上達しませんが、教会にはろう者の方々が多く、いつも忍耐強く接して下さいます。これからも、表情豊かに手話を使う努力を続けていきたいと思っています。

 

二つ目は聖書によって、です。私が一人アメリカを出発する当日、娘婿のご両親から日本語の聖書をもらいました。教会へ行く予定もないのに、なんで餞別が聖書?と思いました。でも、アメリカで日本語の聖書を探すのは大変だっただろうなあと思ったら、とても置いていけなくなり、機内持ち込み用カバンのチャックが壊れそうになりながら、重い聖書を突っ込みました。この聖書は口語訳のものでした。その後、それを持って私は日本でいくつかの教会をさまよいましたが、御影神愛キリスト教会以外に口語訳を使っているところに出会うことはなく、それも不思議でした。今は毎日聖書を読みますが、いつも知恵を与えられ世界のベストセラーたる所以を感じています。

 

三つ目は神の家族によって、です。神戸での生活にも慣れてきた頃、おごり高ぶった私は人間関係での悪い癖が出てきました。自由を履き違えた身勝手な行動や言動によって、周りの人を傷つけ、それはブーメランのようになって自分自身も切りつけました。幼い頃から私が最も恐怖を覚える「口論」が始まり、人は離れていき、孤独を感じ、精一杯強がっていた私も食事が取れないほど落ち込んでいきました。そんなダメダメな私と一緒に居てくれて、共に祈り、時に厳しく、でも見捨てず、具体的に手助けしてくれたのは、御影神愛キリスト教会の姉妹でした。この経験がなかったら、私は納得のいかない我慢をし続けて、神様を求めることもなかったと思います。

そんな私も受洗して早一年になります。今回は、私の大好きな聖句で締めくくりたいと思います。

神のなされることは皆その時にかなって美しい。 (伝道の書3:11)

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