Mikage Shinai Christ Church

甲斐智教

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2019年9月「福音の愛」

御影神愛キリスト教会員  武 敏

 
 私が神様と出会ったのは2008年の冬でした。主人の浮気と暴力が原因で夫婦喧嘩が多く、私の心身の状態も悪く、自殺したいと何度も思っていました。でも娘の姿をみると生きるべきと思い、いつも死にたい、でも生きていくべきと二つの思いがいつも頭の中で戦っている状態でした。

そんな私の悩みを神戸に住んでいたクリスチャン友人に相談しました。そうしたら友人が「私を信用してくれるなら一緒に教会に行きませんか。イエス様はきっとあなたを救ってくれます。」と言ってくれました。それで2008年11月、初めて教会へ行きました。礼拝中、賛美歌を聞いた瞬間に涙が出て止まりませんでした。

 

伝道師の先生が「イチジクの木に花は咲かず、ブドウの枝は実を付けず、オリーブは収穫の期待を裏切り、田畑は食物を生ぜず、羊はおりから絶たれ、牛舎には牛がいなくなる。しかし、わたしは主によって喜び、わが救いの神のゆえに踊る。」とハバクク書3章17~18節のみ言葉のメッセージをされました。その後、私の心が少しずつ開いていきました。

どんな辛い事でも乗り越えるしかありません。私は一人じゃない、自分の力は弱いけれど、神様は私を見守ってくれるし、教会の姉妹たちもいるし、家族のみんなもいるからと、困難と戦う決心ができました。その3か月後、中国で私は洗礼を受けました。

 

主人との離婚後、教会の伝道師の先生の紹介で、「神戸子ども総合学院」の保育養成学校の入学試験を受けることとなり、神様のお陰で試験に合格することができました。試験の当日、私の日本語が片言だったので合格できるかの自信を持っていたわけではありません。とても不安でした。でも、学校の校長と担任の先生は私を信じて下さり、開校初めての外国人学生として合格して入学することができるようになりました。本当に不思議なことであると思いました。すべての栄光は神様のものです。

 

入学した学校で、御影神愛キリスト教会の教会員であるI先生と出会いました。当時、学校でお世話になっていた伝道師の先生は他の教会に行かれ、新しい伝道師の先生は受け入れがたい言葉を投げかけ悲しい状態でいました。礼拝へ行きたくなくなり、神様はどんな道に私を導こうとしているのかわからなく、泣きながら祈っている時でありました。

 

ある日、学校の歌の先生であるI先生はクラスに入って、御影神愛キリスト教会のクリスマス会のパンフレットを配ったのでした。パンフレットを見ると、なんと家の近くの教会であることがわかり、すぐに「先生、行きたいです。」と先生に告げ、2014年のクリスマス会の時に初めてこの教会に行きました。どんな時もいつでも神様は私を守ってくださっているのだと感じました。Ⅱコリント12章9節「すると主はわたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」とあります。キリストの力が私のうちに宿るように大いに喜んで自分の弱さを誇れるようになりました。

 

2年間の勉強の後に、保育士の資格を取ることができ、無事に学校を卒業して現在保育士として保育園で働いています。娘も元気に美容専門学校に通っています。以前、お祈りの時に「神様はなぜ、私に辛いことを与えるの?私は我慢できない。死にたい。」といろいろ文句を言っていました。でも今はわかります。全ての困難は神様が私に送って下さったプレゼントなのです。神様からのプレゼントの包装はとても粗末に思えますが、包装を解くと中には宝石より貴重な宝物が入っているのです。昔、苦痛と試練の中で弱かった私は少しずつ成長し、心からの愛を込めて感謝の気持ちを持ちながら神様へ祈りと賛美を捧げています。

 

「あなたのみ言葉はわたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯」(詩編119:105)

2019年9月「御子(イエス様)を信じる者は滅びない」

御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本俊輔

私をイエス・キリスト様を信じる信仰に導いてくれた牧師先生には、六人のお子さんが居ました。お子さんたちは、大変優秀で評判の良い子供達でした。後に全員牧師や牧師夫人になり、神様に仕える者になっています。だいぶ昔のことですが、ご長男のK先生の証を聞きました。

「私は終戦の年、昭和20年H市で生まれました。父は牧師、母も祖父母もクリスチャンでしたから、敗戦の困難な時代でも、家庭はキリスト様が中心でした。毎朝家庭礼拝があり、その中で父母はよくこんな話をしていました。『お父さんが牧師でもお母さんがどんなに一生懸命イエス様を信じていても、牧師の子供がそのまま天国にいけるんじゃないよ。イエス様を信じなけりゃ地獄に行っちゃうよ。』しかし、幼かった私には、地獄はあまり関心のない所でした。あるかもしれない、せいぜいそんな感覚でした。ところが、私はやがて良心に引っかかってどうしても取れない一つの罪を犯してしまいました。それは父の教会の献金を盗んで使ってしまったことです。聖書の言葉で培われてきた良心がよみがえり、父にその罪を謝りました。しかし、心に平安がありませんでした。罪赦されたとの確信がなかったのでしょう。そして地獄が本当にあるような気になって不安でした。しかし、中学三年生の時、ある特別集会に出席しました。この時の講師先生は、『神はそのひとり子(イエス・キリスト)を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである』(ヨハネ3:16)と言う御言葉の中にあなたの名前を当てはめて言ってごらんなさいと言われました。そこで私は、「世」というところに自分の名前を当てはめて読んでみました。『神は・・・このKを愛して下さった・・・滅びないで永遠の命を得るためである』と。幼いころから何度も聞いたことのある神様の御言葉がその時初めて私のものとして実感しました。」と証されました。

イエス・キリスト様は、本当に素晴らしい神様です。信じる人を誰も差別しないで神の子として救ってくれるのですから。生まれや育ち行いに関係なく愛し赦して下さるのです。だから福音なのですね。

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」
マタイ11:28

さあ、愛の神様に自分の心と身を委ねましょう。

 

2019年7月 「人と同じでなくても」

御影神愛キリスト教会員  稲葉ひかり

 

 私はクリスチャンの両親のもとに生まれました。生まれた時から教会へ通い、たくさん聖書の御言葉を聞き、神様がおられると信じ、天国と地獄があると信じていました。そして自分がいつか死んでも天国に行けると信じていたのに、親はクリスチャンなので天国へ行けるが、私は教会へ行っていてもクリスチャンではないので天国へ行けないと知り、ショックを受けたのを覚えています。

中学生になり、日曜も教会優先にと言われ、友達と同じ部活に入れなかった事から少しずつ自分に自信を失うようになりました。他にも日曜の友達の誘いに行けなかったりなどいろいろあり、また私は双子だったので当時比べる人も多く、外へ出るのもつらくなりました。

そんな中、教会の同世代の友達が皆、洗礼準備クラスを受けることになり、私も一緒に受け、中学二年生のクリスマスに洗礼を受けました。そして中学三年生になり、高校受験を控え、私は双子で同じ学校を選ぶことがこわくなっていました。でも別の学校にして比べられるのもこわく八方塞がりと感じて泣きました。その時にスッと「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」という御言葉を思い出しました。

前から知っている御言葉でしたがこんな事は初めてでした。急に人の目が気にならなくなる感じがして、人と同じでなくて良い、神様の目にはそんな風に映っていないとスッと思えました。親も何も通さず初めて神様とつながった気がしました。それまでの私はざっくりと神様がおられると知っている、という感じの信仰でした。神様と私の間に個人的な関係があるとか、神様が私のために特別に働かれるとか考えた事はなく神様の前にいる大勢の一人のように思っていました。それは信じますと言いながら、目の前のことや人の目に右往左往し一人で悩んだり喜んだりし、神様を神様としていない不信仰の罪だと気付かされました。

それ以降も私は山あり谷ありのクリスチャンで神様から離れかけたり、クリスチャンとして生きようとすると難しいことも多くありました。今は神様と一緒に生きようと思うと安心できるようになりました。また礼拝のメッセージの中でクリスチャンは目立たず地味におとなしくしないで、神様によって輝いて生きていこうという言葉に励まされています。人と同じである必要はない、だけでなく失敗も含め、神様によって私らしく輝いて生きる姿を子供たちに見せていけたらと願っています。

2019年7月 「すべての人を照らすまことの光」

御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古慎二

  聖書に「すべての人を照すまことの光があって、世にきた。」(ヨハネによる福音書1:9)

という言葉があります。ここで言われている「光」とは、何のことを言っているのでしょうか。それは、イエス・キリストのことを言っているのです。なぜイエス・キリストのことを「光」それも「まことの光」と言っているのでしょうか。

 

 それは、イエス・キリストは「光」のような方だからです。「光」というものは大変良いものです。夜、町を歩いていても街灯が道を照らしてくれていると安心して道を歩くことができます。また、光は、人間の健康維持や植物の成長のためにも必要なものです。また、強い光で顔を照らすと少々のしみやしわは見えなくしてしまう力もあります。

光が与えてくれる良い影響のことを考え出したら切りがありません。まさにイエス・キリストは、「光」のような方なのです。私たちの人生の道を照らしてくれる光なのです。イエス・キリストを信じて人生を歩んで行く時、私たちは、どこへ進んで行けば良いのか、何が正しく、何が間違っているかをハッキリと知ることができて安心して進んで行くことができるのです。

また、イエス・キリストは、私たちの内に生きる力を与えて下さる方です。また、私たちの心の中にしみのように染み込んでいる罪の性質もその光で照らし、きよめて下さる方なのです。

 

 そして、この光であるイエス・キリストは、「すべての人を照らすまことの光」としてこの世に来られたのです。すなわち、イエス・キリストは、約2000年前にユダヤに生まれたのですが、その当時のユダヤ人のためだけに来られたのではありません。時代を超え、あらゆる国民、民族、人種を超えてすべての人の光として来られたのです。

ですから、今日の私たちが、イエス・キリストを心に信じ受け入れ、自分の人生に来て頂くなら、だれでもこの光を自分の内に持つようになるのです。そして、人生に光を灯し、安心してその道を歩み、どんな時でも生きる力を頂き、罪からも解放された人生を生きることができるようになるのです。

あなたの人生にもまことの光であるイエス・キリストを迎えてみませんか。あなたの上に神様の祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。

 

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