Mikage Shinai Christ Church

甲斐智教

2017年9月 “神様との出会い”

御影神愛キリスト教会員 高倉 紀子

 私が初めて教会に行くきっかけとなったのは、高校2年生のときです。学校から帰ると、郵便ポストに、「中高生のつどい 6月1日(日)午後4時」と書かれてあるチラシと、当時、人気音楽グループ“ゴダイゴ”のメンバーであったスティーブ・フォックスさんのメッセージが入っていました。

その頃の私は、友人関係がうまくいかず、鬱(うつ)になっており、学校に行くのが嫌で仕方がありませんでした。音楽を聴くのが好きで、ラジオも勉強しながらよく聴いていました。朝5時過ぎから、ラジオ関西の“ルーテルアワー 心に光を”を時々聴いており、キリスト教に少し興味を持つようになっていました。

メッセージの中に「神様を信じることで、君の問題が解決できないほど複雑だと思い違いをしないでほしい。」

「イエスは言われた、『人にはそれはできないが、神には何でもできないことはない。』」マタイ19:26

この個所を読んで私は、神様を信じたら解決できるのかなと思い、すがる気持ちで教会へ行きました。しかし、初めてのところに一人で入るのはとても勇気がいります。

教会の入口に立っておられた一人の女性が声をかけてくださり、中へ連れて行ってくださいました。礼拝堂に入ると、二人の女性が暖かく迎えてくださいました。そのとき、ここは世の中とは、かけ離れた別世界に来たような印象を持ちました。

牧師先生のメッセージを聞いているうちに、今まで自分がしてきた良くない行い等が思い出され、涙が出てきて心から悔い改めました。信じると決心した人は前に出て来て下さいとの招きに、前に出て行き祈っていただきました。

それから毎週、日曜学校と礼拝に出席するようになり、その年の12月7日に洗礼を受けました。徐々に鬱も治り、友人関係も少しずつ回復していきました。

私の家は、先祖代々の仏壇があり仏教徒でした。洗礼を受ける時も相談せず、あとで報告すると反対はされませんでした。2年間通いましたが、人見知りする性格なので、中々馴染めず教会に行かなくなってしまいました。10年間、神様から離れていました。

その間、同居していた父方の祖母が亡くなり、仕事に行き詰まりを感じるようになっていた時、昔、教会に行っていたことを思い出し、再び教会へ行きました。イースターの日でしたが、今さら行っても入れてもらえるだろうかと不安でしたが、入口に日曜学校でお世話になっていた先生と同クラスだった女性の方が私に気付いてくださり、とても喜んでくださり、ほっとしました。

3年後、阪神淡路大震災に遭い、私の家は全壊し、家を再建する間、父の単身赴任先の高松に1ヶ月、借家の石橋で1年間暮らしました。偶然、高松も石橋も、家のそばに教会があり、礼拝に出席することができました。

昨年、父が亡くなりましたが、危篤状態になったとき、牧師先生や教会の方々に祈っていただき、私がイエス様のことを語ったところ、父がイエス様を信じる決心をしてこの世を去りました。母も礼拝に出席するようになり、いつかは弟家族も、神様のタイミングで救ってくださると信じ、祈り続けて行きます。

「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。」
使徒行伝16:31

2017年9月 「心を満たすもの」

 御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古 慎二

 皆さんは、子どもの頃に叶えられなかった夢や願望はあるでしょうか?おもちゃが欲しかったのに買ってもらえなかった、きれいな洋服を買ってもらえなかった、もっとお腹いっぱいお菓子を食べたかった等の日常の些細なことであってもかまいません。そのような経験はあるでしょうか。

私たち人間は、叶えられなかった願望や欲求が満たされないとどこかでそれを埋め合わせたい、という思いを持つようです。ですから、大人になってからも子供の時に叶えられなかった願望、欲求を満たそうとしてしまうのだと思います。「大人買い」というのもその一つかもしれません。

 
 子どもの頃にかなえられなかった願望や欲求を満たそうというだけなら、なんとかなるかも知れませんが、実は私たち人間の中には、大きな空洞があるのです。フランスの哲学者パスカルがこのように言っています。

「人の心の中には、神が作った空洞がある。その空洞は創造者である神以外のものによっては埋められることができない。」

私たちのうちには、いろいろな夢や願望、欲求があって、それをなんとか満たしたい、そして心の満足を得たいと思うのですが、その中でも神様でしか埋めることができない空洞があるとパスカルは言っているのです。
 

 しかし多くの人が、神様でしか埋めることができない空洞に別の何かで満たそうとしています。ある人は仕事で成功することによって、また、ある人はお金や物を得ることによって、また、ある人は異性を求めることによって等、様々な方法でその空洞を埋めようとしているのではないか、と思います。

しかし、どんなにいろいろなものを試してみても、その空洞は決して埋めることができません。なぜなら、その空洞は、神様でしか埋められないからです。ですから、神様を心の内に迎え入れない限り、私たちの心のうちに、常に何か満たされないものが残るということになるのです。

  聖書の中にイスラエルで最も栄華を極めたソロモンという王がいます。この人は、人生を考えた時に

「空の空、空の空、いっさいは空である。」(伝道の書1:2)

と言いました。人生は空しいと言ったのです。しかし、ソロモンは何も持っていなかったのかというとそんなことはありませんでした。彼はありとあらゆる財産を持ち、知恵と知識に富んだ人であり、したいことはなんでもできた人でした。しかし、彼は「人生は空しい」と言ったのでした。なぜでしょうか? それは、やはり彼の人生にも神様が必要だったからなのです。

 
 彼は、さらにこう言っています。

「だれが神を離れて、食い、かつ楽しむことのできる者があろう。神は、その心にかなう人に、知恵と知識と喜びとをくださる。」

(伝道の書2:25~26a)

と。すなわち、人の人生に本当の喜びと満足が与えられるは、その人が神と出会い、神と共に生きる時にある、と言っているのです。

 
 愛する皆さん、もし、あなたが何をやっても何か空しさがある、もの足りなさがあると感じておられるならば、それはあなたの心に神様が必要であるというサインではないでしょうか。そんな時は、ぜひ、心を開いてあなたを愛し、あなたの心を満たしたいと願っておられる神様を心に迎えていただきたいのです。そして神様と共に生きる本当に満たされた人生を歩んでいただきたいと願います。

2017年8月  “Collateral Beauty 神様からの贈り物”

御影神愛キリスト教会 会員 中濱秀夫

 私は三度大きな喪失体験をしました。一度目は、22歳の時大きな失恋をしました。二度目は、36歳の時、妻を天国へ見送りました。三度目は、47歳のとき、再婚した妻を天国に見送りました。

この三度の喪失体験を通して、知ったことが二つあります。ひとつは、「決して悲しみに慣れることはない」ということ。もうひとつは、「しかしその悲しみからの回復の過程には大きな差がある」ということでした。悲しみに出会ったとき、「何故?」と問いかけます。人間の知恵によっては答えのないことを知っています。でも問いかけてしまいます。悲しみ、辛さが深すぎると、その時々に神様の与えてくださることを見逃してしまうようです。しかし、神様が差し出してくださったことをしっかり受け取ったとき、その後の歩みが変わってゆくことを知りました。

 一度目の失恋の時、イエス様とまだ出会っていませんでした。神様の愛、神様からの慰め、励まし、それらのことを知らずひたすら自分の力で堪えようとしました。様々なものでこころの空洞を埋めようともがいていました。

仕事、趣味、異性との交際。しかしそれらのもので満たされることは無く、長いトンネルの中を歩んでいました。二度目の時、夫婦でイエス様を信じ歩むものとなっていましたが、イエス様から頂いた救いの喜びをしっかり受け取れていませんでした。礼拝にも出席せず、教会を離れ生活していました。

そのような中で妻が倒れました。脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血でした。手術を行いましたが一度も意識が戻ることなく、脳死に至り天国に旅立ちました。

その過程で自分の中にある辛さや苦しさを解放してくれるものがないかと聖書の中に探し求めました。聖書のことばを味わうというようなものでなく、渇きを潤すものがないか、読みあさるというようなものでした。

倒れた日、妻あてに一通の便りがとどきました。教会を離れている私たちを気遣い教会のあるご婦人が下さったものでした。私はすがるような思いでその方に電話をしました。この事をきっかけに私たちのために祈ってくださり、励ましてくださる、先生方や兄弟姉妹のおられることを知ることになりました。

このお便りがなければ、私はもっと違った人生を歩んでいたかもしれません。このご婦人を通して神様が手を差し伸べてくださったことを知り感謝しました。

妻を天国へ見送り、8年過ぎた頃一人の女性と出会いました。信仰生活も10年を迎えようとした頃です。人生を共に歩むパートナーと考えていました。イエス様の救いを信じる者となって一緒に歩みたいと願い祈っていましたが、卵巣がんを患っていることがわかりました、二度の手術や抗がん剤の治療を受けましたが結果は思わしくありませんでした。闘病中にイエス様を信じ、結婚式の予定も立てていましたが、病気の進行が速く残された時間の少ないことを知りました。

淀川キリスト教病院のホスピスで結婚式を行い入籍し、結婚式から二日後に天国に旅たちました。実は、この女性は22歳の時失恋した相手です。

何故、今再び出会うのか、神様の想いを測りかねていました。また、病の事を知ったとき、あれから22年が経ち、今出会うことの意味を神様に問いました。私にとって、彼女にとってどういう意味があるのですかと。そして、彼女を妻として天国へ見送り、すべてのことを終えたとき、ひとつのことが心にとどまりました。「完結した」という思いです。

22年前、悲しみのなかで自分にできることがあればどんなことでもしたいと願ったことが、今、具体的なかたちで叶いました。この世での生活の最後を神様と共に見守るという役目でした。それが自分にとって最もふさわしい役目であり、最善のものであることを知り、心から感謝しました。神様が二人に与えてくださった、辛いけれど素晴らしい事でした。

先日、ある映画を観ました。日本での題名を「素晴らしきかな人生」、原題を「Collateral Beauty」と言います。Collateral Beautyという言葉を映画では「幸せのオマケ」と訳していました。「悲しみの中で添えて与えられる美しいこと」というような意味でしょうか。6歳の最愛の娘を脳腫瘍で亡くしたご夫婦の歩みを通して、Collateral Beautyを受け取った妻と、見逃した夫との対比が描かれていました。

私は、三度の経験を通して、確かに神様が与えて下さるCollateral Beautyがあることを知りました。神様が与えて下さる私への「贈り物」です。決してオマケなどではありません。そのような経験をしたものにしか受け取ることのできない、神様が特別に用意してくださった私のための「贈り物」です。

一度目はそのようなものがあることさえ知りませんでした。二度目はこの「贈り物」の存在を知り受け取ることができました。人を通して、聖書のことばを通して、神様が教えてくださいました。三度目はこの私に対する「贈り物」を、今この時にしか受け取れない「贈り物」としてしっかりと受け取ることができたと思います。悲しみの中にあっても、前向きに神様の想いを感じて歩むことができました。

神の愛は、闇のなかにも光のなかにも、私の悲しみのなかにも、喜びのなかにも存在していることを、そして神の愛なしには生きていけないことを知りました。三度目の経験を通して「完結した」との思いを受け取った私は、これからの人生は一人で歩むものと思っていました。

しかし、神様の計画は少し違っていたようです。それから7年後、54歳の時に、4人の家族が与えられました。妻と三人の子供たちです。一方的に神様が与えてくださった、素晴らしい「贈り物」です。全く考えてもみなかったことでしたが、神様が備えてくださる最善の「贈り物」を受け取ることができました。妻と二人で祈り、支え合って歩むことの素晴らしさを体験させていただいています。神様の恵みのなかを家族で歩むことのできる幸いを感謝しています。

今、悲しみのなか、辛さのなかを歩んでおられる方がいらっしゃいますか。是非知っていただきたいのです。あなたのことを理解し、愛してくださる神様が、今あなたのために、必要な「贈り物」を差し出してくださっていることを。その胸にしっかり受け取ってください。あなたへの神様からの贈り物を。

2017年8月 「感謝の日々を」

御影神愛キリスト教会 伝道師 杉本満子

 暑い夏がやってきました。「暑い!暑い!」と、つい口をついて出てきます。つい数か月前までは、「寒い寒い」と言っていたのに・・・。私たち人間は、よく呟き不平を言うものだなーと思わされます。

聖書の中にも「暑い暑い」と文句を言った人のことが出てきます。それは、ヨナと言う人物です。(この人について細かく説明しませんので、知りたい方は、旧約聖書のヨナ書を読んでください。)ある時、ヨナはニネベの街の高台に立って、その街の成り行きを見ていました。ニネベの街は、今からおよそ3000年前アッシリヤ帝国(BC900-607)の首都でした。ニネベはチグリス川の東岸にありましたから暑さが酷かったのです。

ヨナはカンカン照りの丘に立っていましたから、暑くてたまりません。その時、優しい神様は、ヨナのために一本の「とうごまの木」を生えさせてくださいました。「とうごま」は見る間にスルスルと伸びて葉を茂らせて、ヨナの頭の上に日陰を作ってくれました。ヨナは大変喜んで、気持ちよく街を眺めていました。しかし、神様は、翌日一匹の虫を送って、「とうごま」の根元をかじらせてしまいました。「とうごま」は、暑い太陽の熱の下でみるみる萎(しお)れ、枯れてしまいました。そこでヨナのつぶやき、不満の言葉が始まったのです。「こんな暑いなら、生きているより死ぬ方がましだ!」と、少々大袈裟ですね。聖書を読むと、ヨナは、よく呟く人、不平を言う人だなーと思わされます。

 ところで、私たちはどうでしょうか?物事がうまくいっている時は、良いのですが、少し自分の思い通りに行かないと、不平不満が出てきて、「神が愛ならば、どうしてこんなことが起こるのか?」と言って、悪いことはすべて神様のせいにしてしまうことはないでしょうか?
 私たちの神様は、私たちを苦しめたり、いじめたりする方ではないのです。良い人にも悪い人にも等しく愛を注ぎ、恵みを与えてくださる方です(マタイ5:45)。だから、どんな状況にあっても、神様にすべてをゆだねて、お祈りしていくならば、必ず良い方向に導いてくださり、良い解決を与えてくださるのです。

 よく知られている聖書の言葉に

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。」(Ⅰテサロニケ5:16~18)

という言葉があります。感謝しながら、喜びながら過ごしても一日は過ぎていきます。ブツブツとつぶやき、不平不満を持ちながらも一日は過ぎていきます。どちらが幸せな道でしょうか?

 まだまだ暑い日が続くと思いますが、四季に恵まれた日本に生まれたことを感謝しましょう。そして、大自然を造られた神様に感謝しながら日々を暮らしていきたいものですね。