Mikage Shinai Christ Church

神様との出会い

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2018年5月”神様との出会い”

御影神愛キリスト教会員 松本美智

私が神様に出会ったきっかけは、小学五年生の冬、 先輩から1つの本を頂いたことからです。イエス・キリストの生涯が書かれた本で、クリスマスに生まれた方という事に興味を覚え、その日のうちに夢中で読みました。読み終わる頃には感動して泣いていました。その後この先輩に教会へ連れて行ってもらい、通う様になりました。

 ある日曜日、私は風邪で高熱を出してしまいました。それでも教会には行きたく、フラフラしながら教会へ向かって歩いていました。道路を横切ろうと車道に入った時 、コートの襟をつかまれ 引き戻されました。その瞬間、バイクが猛スピードで私の前を通り過ぎました。私を引き戻してくれた方にお礼を言おうと後ろを振り返ってみると、誰もおらず私だけでした。

怖くなって急いで教会に行き、牧師にこの事を話すと「神様が守って下さったのですよ。」とおっしゃり、一緒に祈りました。その後 、不思議に熱も下がり、元気になりました。神様は遠い所にいるというイメージでしたが、この日から、近く感じる様になりました。感謝します。

2018年4月”神様との出会い”

”本物の神と出会いました”  御影神愛キリスト教会員 塚本謙一郎

 私は今年5月で60歳になります。これまでの人生を振り返ると、ただただ神への感謝しかありません。私のような欠点だらけのつまらない人間を受け入れ、愛し、訓練し、今日まで導いて下さった聖書の神は、たしかに存在しておられる唯一であり真(まこと)の神であると心から証言できます。

 私は牧師の家庭に生まれましたが、小学校に上がる前に事情により父が牧師を辞めたため、次第に教会にも行かなくなりました。中学生になり、英語が上手になりたいという思いで家の近くにあった宣教師の教会に行くようになり、17歳の夏にあらためてイエスさまを信じて六甲山中の川で洗礼を受けました。資生堂のモデルやキリスト教番組の司会をしていたヨアンナ・スィラバンさんをご存知の方もおられると思いますが、彼女とは小学校以来の幼なじみで(彼女は途中からインターナショナル・スクールに転校しましたが)、洗礼を受けたのも一緒です。

 洗礼を受けたら順風満帆の人生が始まったかというとそうではなく、むしろ波乱万丈の人生の始まりでした。父なる神は愛する者を訓練されると聖書に書かれている通りです。(笑) 詳しく書くには紙面がまったく足りませんが、神からの訓練=試練は、私たちにとって実に有益であるということが今ではよく分かります。また、私にはそれだけ訓練されなければならない部分が多かった(!)ということかもしれません・・。いや、それだけ神に愛されている(!)と解釈したいと思います。(笑)

 多くの試練を通り、(最近も大きな試練がありましたが)そのたびに神は生きておられる、私と共におられるという確信が強くなっていきました。数々の奇跡的な出来事を体験し、試練が祝福に変わっていきました。今の私は、大学で出会った美しいクリスチャン女性と結婚し、二男一女の素晴らしい子どもたちにも恵まれ、健康で、教師という仕事においても本当に充実した日々を送らせていただいています。それは試練の中で神とその御言葉を信頼し、神と共に歩む生き方を学ばせていただいた結果であると思います。聖書の神が確かに生きて存在しておられる方であるからこそ、であります。

  この間、神が私に繰り返し教えられたこと、そして祝福の秘訣となったのは、「神の御言葉を学び、正しく理解し、信じ、実行すること」であったと思います。私たちが数々の試練を通らされる目的の一つはそこにあるのではないかと思うほどです。

  神は不思議な方法で私たち人間に聖書を与え、旧約聖書~新約聖書全体を通して、神とはどのようなお方か、神が喜ばれること、悲しまれること、憎まれること、怒られることは何か、神が定められた正しい価値観(時代や場所が変わっても変わらない価値)とは何か、御子イエス・キリストを通して与えられる救いと永遠のご計画、聖霊のお働き、私たちへの神からのメッセージなど、十分すぎるくらいの情報を私たちに与えて下さっているのです。聖書を読まないことは、神の恵みを自ら放棄するようなものです。もったいない! 旧約聖書から新約聖書まで、少なくとも年に一回は通読しましょう。

  例えば、夫婦や家族のあり方について聖書は、「夫は妻の頭であり、妻は夫の助け手であり、子どもたちは両親を尊敬し従うように」と教えます。ある人はそれでは男尊女卑ではないかとか、子どもへの虐待につながるなどと批判するかもしれませんが、これには前提となる命令があるのです。まず、夫は妻を自分のように、またイエスさまが私たちのために命を捨てられたほどに愛さなければなりません。妻もまた「キリストに仕えるように」夫に仕え、子どもたちは「主にあって」両親に従うのです。ですから、そこにはふんぞり返って偉そうにしている夫の姿はなく、夫を尻に敷いている妻の姿もなく、両親にただ反抗する子どもたちの姿もなく、神の恵みにあふれた幸せな家庭が築けるのです。私の家庭が祝福されているとすれば、それは神の御言葉に従っているからであって、神を信じる人であれば、神はその祝福を誰にでも公平に与えられます。ぜひ試してみてください。

  私の人生も折り返し地点に来ました。残る60年(主が私を天に召されない限り!)をどのように過ごせばよいかを主に祈っています。今年は通信制の神学校でさらに御言葉を深く学び、神の国のために恩返しができるように準備をしたいと思っています。「イエスさまに従い、聖霊に導かれ、父なる神の御心を行う人生は素晴らしい!」 これが私のあかしです。

2018年3月”神様との出会い”

“驚くべき神様のご計画:最後の一滴” 御影神愛キリスト教会員 笹子 三津留

  昨年11月に大阪で開かれたアジアクリスチャン病院学会でのことでした。これは日本、韓国、台湾、タイの4か国からクリスチャン病院の医師、看護師、チャプレンなどが参加して毎年開かれる学会で、今年は大阪での開催でした。

私は主催者である淀川キリスト教病院柏木理事長から、「クリスチャン病院における福音伝道」というタイトルでこの会で講演をするように依頼されました。

新米クリスチャンである私になぜ?と驚いたのですが、神様が用意された機会であると考えお引き受けしました。このような講演が必要なのは、淀川キリスト教病院においてすら、クリスチャンはスタッフ全体の10%以下だからです。

多くの日本人にとって信仰は慣行行事と関連した風習でしかありません。お宮参りでは神社に祈願し、結婚式は牧師さんの前で愛を誓い、お葬式になると仏教の僧侶の出番です。

だれを拝んでいるのかを考えない人が大多数で、祈る目的は御利益です。だから、がんで死を目の前にしたとき、死んだらどうなるのか、どこに行くのか、がわからないことから急に不安を募らせます。

私はがん専門医なので、がんの患者さんやご家族が心に苦しみを抱えていらっしゃることは理解していましたが、精神的な問題と思っていました。

クリスチャンになってからは、それが精神的な痛み・悩みだけではなく、霊的なものであることに気付き始めました。この教会でさせていただいているメディカルカフェの活動を通してもそれは強く感じています。

最近は、死を間近に感じて不安な方、また手術を明日に控えて不安が強い方にはベッドサイドでお祈りをさせていただくようになりました。涙ながらに私のお祈りをじっと聞いておられる方もいらっしゃいます。

このように自分が救われて以来、救われる喜びを、神様を信じて得られる神様からの偉大な助けを、そして神様の大きな愛を私は日々伝えようとするようになりました。

学会は朝の礼拝でスタートしました。祈り、賛美する内に不安が消え去っていました。礼拝に続いて、演壇に上がった私は、不思議なほど落ち着いて、心を込めて、語りかけるようなお話が出来ました。柏木先生や多くのチャプレンの方にお褒めいただき、嬉しく感じました。妻はこの講演時間の間ずっと教会で祈ってくれていました

 講演後の昼食時、小柄な中年女性が突然話しかけてこられました。淀キリに20年以上勤務している看護師さんでした。「私、礼拝での牧師先生のお話、その後の笹子先生の講演を拝聴して決心しました。」と言われました。何を決心されたのかと思っていたら、「長年クリスチャン病院に勤務して、信仰も理解し、みんなにクリスチャンになるようにせっつかれていたんだけど、なぜか踏み切れなかったんです。でも今日先生のお話にすべて納得できて、何かつかえていたものが腑に落ちたんです。」彼女の目には涙が溢れ、私は驚きで身体が震えました。

涙ながらに「良かったですね。聖霊様があなたの心に触れられたんですね。おめでとうございます。」言葉はそれしか出ませんでした。固く握手をし、互いに涙顔で微笑むだけでした。どんな賛辞にも勝る喜びと恵みでした。

淀キリでは始業時に毎日15分の礼拝がありますが、長年その礼拝に出席し、みなに祈られ続けた彼女の心のコップは溢れる寸前、表面張力が災いして溢れずにいたのです。この日最後の一滴が落ちて、コップの中身が一気にこぼれ出したのだと思います。

クリスチャン病院での福音伝道のきっかけになれば良いと考えて講演をした私は、あまりにも結果が早すぎるのに驚きました。「神様、こんなに早くこんな恵みをいただいていいのでしょうか」と、心から神を礼拝し感謝をささげました。今回の講演は私にとって大きなチャレンジでしたが、神様が与えて下さったと信じ従った時に、神様は大きな恵みを与えてくださるということを体験しました。

今、私は医療の世界で福音を語ることの喜びと使命を強く感じています。信仰を与えられる前は、希望をなくし、なんとか生きていたような私でしたが、イエス様を知って生まれ変わり、そして今神様は、「このために生きよ」とはっきりと道を与えてくださいました。神様の導きの中で今年5月から淀キリで働くことになり、メディカルカフェの働きも祝福され、これから自分のするべきことがどんどん示されている気がします。

これからも、神様がどんなに素晴らしいことをしてくださる方であるかを、たくさんの方に伝えていきたいと思います。

2017年12月”神様との出会い”

“神様にゆだねる喜び” 御影神愛キリスト教会員 髙田 英子

ハレルヤ。主の聖名を崇めます。

 私が教会の礼拝に出席するようになったのは、先に次男が私の姉の家から教会の日曜学校に出席していたからです。当時私たちは宝塚に住んでいて、息子は幼稚園卒園と同時に土曜日から姉の家に泊まり、日曜日は教会学校に出席し、聖書のお話や同年輩のお友達も大勢いたので、教会が楽しかったようです。毎週出席し、皆勤賞を貰ったほどです。

月曜日からは、宝塚での学校生活があるので、日曜日には私たち夫婦が交代で迎えに行っていました。それから「お母さんも、お話聞いていかれては・・」と、声を掛けられました。息子が毎週お世話になっている事だしと、しぶしぶ礼拝に出席するようになりました。

お説教の中で「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」 (マタイ11:28)

と言う、みことばでした。とかく共働きの家庭の子は、問題を起こしやすいと言う、世間の風潮に悩まされ、仕事を断念しようとさえ思いましたが、聖書の御言葉を頂き「そうだ、神様を信じ、イエス様に全てを任せば、良い道を備えて下さる。」のだと信じ、洗礼を受けました。その後、女性も手に職を持たなくてはいけないと教えてくれた母と、長男も洗礼を受けました。母は今、天国にいます。

 子供たちは学校生活・社会生活の中で色々な困難や、悩みもありましたが、イエス様に頼み祈っているうちに、それぞれ解決し守られ日々平穏に暮らしています。私も、主に守られ無事定年退職することが出来ました。これからも、まだイエス様を知らない方々に、もっともっとイエス様の愛を知って頂きたいと思います。

最後に私の好きな聖句を、ご紹介します。

詩篇23篇
主はわたしの牧者であって、
わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、
いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ、
み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、
わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです

2017年11月 “神様との出会い”

 

“神様1番” 御影神愛キリスト教会員 有島真之

 私は、物心付く前から母親に連れられて教会に行っていました。自分自身が罪人だと、神様の存在を教えられたのはアメリカに居た幼稚園の時でした。教会学校のミニカーが欲しくてたまらず、手に握りしめて盗み持ち帰った時でした。教会学校の先生、母親に、そのミニカーは私のではない事、盗みは罪である事、天地を創造された神様はすべてをお見通しである事。そして、神様に背いた人がどうなるのかを教えられました。

罪人は裁かれる事(ヨハネの黙示録20章:15節)「このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた」

しかし、イエス様は私の罪のため、私の代わりに十字架にかかり罪を贖ってくださった事。その贖いを受けるためには、自分の口で罪を認め、神様を信じることを教えてくださいました。

(ヨハネ第一の手紙1章:9節)「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」

幼稚園児であった私は、神様に泣いて罪を告白し悔い改め、神様を信じる信仰告白をしました。その後の神様との関係は山あり谷ありです。御影神愛キリスト教会へは小学1年の時に姉の高校受験ため父が単身アメリカに残り日本に戻ることになり、西宮の仁川から御影へ阪急電車で母に連れられ遅刻しても最前列に座る母親の隣に座り礼拝に出席していました。

小学校の高学年になり、父がアメリカから戻り車で教会で行くようになりました。父はノンクリスチャンであったため、礼拝中は時間をつぶして、礼拝後迎えに来て、車で帰るようになりました。

日曜日には礼拝に出て帰る習慣となっていましたが、中学に入り、西宮から大阪に引越しました。大阪に引っ越し後は、石橋の神愛キリスト教会や単立の教会に通ってはいたのですが、反抗期が重なり徐々に教会から離れていきました。

中学生の時には、教会から完全に離れ、朝起きて祈ることもせず、聖書も読まず親に反抗し世的な生活を送っていました。罪を罪とも思っていない生活の状況下で、再び神様の元へ立ち返る機会があり悔い改めて、洗礼を受けたら何か変わるのではないかと思い洗礼を受けたのですが、何も変わらない感じがしました。劇的に変わるとかなく、高校生活でも夢も希望もないような生活をしてしまいました。

(No vision the people perish 箴言29章:18節(ビジョンのなき民は滅びる)

頭で神様のことは知っているが、洗礼を受けてから、聖書をちゃんと読むとかせず、名ばかりクリスチャンのような生活をしている中で全国聖会や、聖霊待望会などにも参加したりしても、何も変わらないなと思っていました。

そんな日々を過ごしている時、母親の神様に対する態度を見て、自分自身が頑張っている事に気が付きました。就職活動を始めたのですが、就職氷河期真っただ中と世間で言われていた状況下でしたので不安でした。毎晩神様に就職先について祈り求めました。

しかし、明確に答えが出ず、10,20社と受けていくうちに不安が募っていきました。2次、3次審査に進んだ会社、内定をもらった会社もありましたが、全然平安がなく、断りました。

しかし、神様は平安の時を用意してくれていました。今の就職先ですが、最終面接を受け終えたドアを閉めた時に、なぜか受かったと確信があり「ここですかと」尋ねると、にっこりと神様が微笑んでくれているような気がしました。

その時から平安があり、翌々日あたりに内定の電話があり即答でお願いしますと言いました。感謝で一杯でした。それまでは「神様、お願いします」の一辺倒の祈りでしたが、神様にゆだねる事、神様に尋ねる事、神様の前に静まって聴く事を学ばされました。

社会人になってからも、完全に自我が死んでいないことに気が付かされることがありました。社会人4年目に人事評価について、感情に任せてブチ切れて辞表を叩きつけ…。辞表を叩きつけた後に平安が無いこと、神様の悲しむ姿を気が付かされ、祈り求めて、平安の内に神様に与えられた職場を自分の手で捨てるのかと問いがあり、自分の愚かさを認め2日後に取り下げてもらった事もありました。

幸いにも、母の書棚には信仰本が沢山あり、通勤時間に読もうと思い読み出しました。十一献金について、お金だけではなく自分自身の時間を神様に捧げることが、書かれており、24時間の十分の一は無理やわと思い、少しずつでも神様との時間を設けるようにしていきました。

神様は愛である、祝福してくださる神と小さい時から聞いていた半面、神様に対する畏れがありました。特に旧約聖書に神様に背いた人たちがどうなったのか記載されているためです。

「あなたがたの神、主を試みてはならない」申命記6章16節

み言葉に主なる神を試みてはならないと書かれていましたが、神様第一にして生活してみたら、ホンマ祝福してくれるんかなと期待をもって神様を試みたことがありました。神様中心になるように生活をシフトする。

「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ6章:33)

おのずと神様は祝福してくださり、教会の青年部の活動を通して妻となる女性とも知り合い結婚しました。結婚して、父と母と姉と私と妻の5人で父の実家である富山へ行った帰りの高速道路のトンネルを抜けた道が凍結しておりでスリップした時、スピンして中央分離帯にぶつかって止まったのですが、大雪がクッションになり全員無事で車に傷一つなく神様に守られていると家族そろって主を賛美しました。

結婚後も人事評価に対する不平不満もあったりしましたが、娘が与えられ、単身赴任、仕事も祝福してくださり、二人目の娘も与えられました。神様にゆだねて生きると決める前までは、うまくいっているような気がしていただけで、それは最善の道ではなかったとはっきり理解することができました。

最後に「わたしたちは、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである」ローマ14章8節

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