Mikage Shinai Christ Church

神様との出会い

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2020年12月「主と共に歩む」

御影神愛キリスト教会員 O

 

 私は幼稚園の時に、友達の誘いで家の近所にある日曜学校に通い始めました。そこは、阪急御影の神愛子供ホームで、多くの方のおかげで、イエス様の存在を幼い心に刻むことができました。その後、キリスト教系の中学校に進み、日曜学校も高1から御影神愛キリスト教会の中高科に移り、高2の夏に主の救いを確信し、その冬洗礼を授けられました。高校の時は良き師、良き友に支えられた、素晴らしい信仰生活でした。

 翌年、大学に合格しました。「全力で努力し、主に祈れば結果が与えられる」事を知りました。ただ、「主の為に活動をしよう」と勇んで大学に入りましたが、自分のような人間力の乏しい者がイエス様の事や教会の事を話しても、周りの人には受け入れられず、「そんな話はしないで」と言われたり、「宗教は嫌だ」と言われ、苦しみました。友達にはイエス様の事を拒否され、教会での自分と大学での自分がかい離してくることに嫌気がさし、19才の時に教会から離れました。 教会を離れた自分は、卒業後、金融機関に就職しました。仕事は厳しく、何度も辞めようと思いましたが、職場で妻と出会い結婚。子供を2人授かり、家族という支えを得て、何とか仕事を続けることができました。

 しかし、40才を超えると、自分の力だけでこの社会を生きていく事に、心身ともに疲れ果て、パチンコやお酒に逃げるようになりました。眠れずに苦しんでいたある日、ふと「神様を見て仕事をすれば楽だよ」と寝床の中で思いました。そしてその時、「これまで自分は出世することを第一に考えて仕事をしていたこと」に気が付きました。「神様に喜ばれる仕事をしよう、神様の所に戻ろう」と思い、次の日妻に、「これから毎週教会に行きたいので、一緒に来て欲しい」と言ったところ、妻は「私も教会に行きたいと思っていた」と、驚くべき返事が帰ってきました。妻も子供のころ日曜学校に行っており、教会に行ってもいいかなと思っていたそうです。

 それから2人で御影神愛キリスト教会に行きました。妻には、自分がクリスチャンである事も言っていなかったので驚いていました。教会の皆さんは、26年ぶりに戻ってきた放蕩息子を暖かく迎えてくださいました。自分は、改めて謝罪と感謝の祈りを捧げました。妻は一年後に、洗礼を授かりました。本当に感謝です。

 教会に戻り、自分は少し変わりました。優しくなったと思います。26年間吸った煙草も、ある日突然吸いたくなくなり止めました。仕事も、「どうすれば主が喜ばれるのか?」を考えると、正しい回答がすぐに出るようになりました。これからも、「全力で頑張る。そして主にお委ねする」を人生のモットーに歩んでいきたいと思います。

 

「貴方のしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、貴方の計画はゆるがない。(箴言第16章3節)」

主に感謝。

2020年11月「主が良くして下さったこと」

御影神愛キリスト教会 T

 

 高校生の頃ぐらいから生きる目的がわからず悩んでいました。人間とは何か。なぜ生まれてきたのか。何か満たされない空しい思い。人や物に依存するばかりで、生きづらさを感じていました。そのせいで付き合っていた夫を沢山傷つけてしまっていました。高校卒業後介護の仕事をしていました。1年ぐらい働きましたが、勝手に辞めて家を出ました。認知症、病の中にいる人をみて、「何の希望もない。楽しいことも一時的でうそくさい。生きているうちになんでも好きなことをしてみよう」と思ったからでした。しかし、1人暮らしの大変さに挫折。「神様助けて」と行き詰まり近くの教会に行くことになりました。両親がクリスチャンで、全知全能、天地創造の聖書の神様を信じていました。牧師は、ホスピス病院で働く医師でもあり、天国や希望について沢山学ぶことができました。そして看護師になりたいと夢を持ちました。

実家を離れてみて、生活する苦労を味わい、初めて両親の有難みを知ることができました。また、聾唖者であるのに私以上に幸せそうであり、何かに満たされていることに気付きました。障害をもって生きる中で、様々な苦悩や苦労があったそうですが、

「この人に神のわざが現れるためです。‐ヨハネ9:1~3

により救われ、いつも主が助けて下さると信仰と希望をもち、喜んで主と共に今も歩んでいます。私も悔い改めて神様を信じたいと思いました。付き合っていた夫にも謝り、赦してもらいたいと思いました。人は神様を褒め称えるために生かされていると教えていただいた時、「そうだったのか!」と腑に落ちるのを感じ、洗礼を受けました。しかし、正直なところイエス様、十字架がよくわかりませんでした。聖書を読んでいて理解できるところは増えたのですが、洗礼を受けたら劇的に自分が変わると思っていたので、「何も変わらない」と虚無感は残っているようでした。

 そのような中、教会の説教で

「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。‐ヨハネ14:27

から、私がほしいのは平安なのだと気づきました。神様に平安をくださいという祈りが始まりました。そして、神様が平安を下さらないと辛すぎてどうしようもないという中、「イエスの御名によって祈るとはどういうことだろう」という思いが与えられました。「イエス様ならば絶対に救ってくださる。信仰をもって祈ろう」と祈りました。祈った後すぐに奇跡が起きました。不思議な平安、何か温かいものに心が満たされる感じが突然に与えられたのです。導かれるように聖書をぱっと開くと、長血の女が信仰を持ってイエス様の衣に触りさえすれば癒されるという場面でした。そして

「あなたの信仰があなたを直したのです。‐マタイ9:22

とイエス様は優しく御言葉を通して私に語ってくださったように思いました。「イエス様が神様だった。イエス様は今も生きておられる。イエス様の十字架は、自分の罪の為だった」と、はっきり分かった出来事でした。感動と神様に対する恐れ、自分の罪深さが一気にこみ上げて、恥ずかしく思い、「神様ごめんなさい。」と心からの悔い改めをしました。こんな自分を愛して、いつも見守ってくださっていた「神の愛」をまた、知ることができたのでした。心がすっかり癒され、「私を造った神様を礼拝したい、賛美したい」という思いに変えられました。聖書の御言葉に従えず、毎日が、1日何回も悔い改めです。しかし

「求めなさい。そうすれば与えられます。‐マタイ7:7

と、神様を求め祈り続けることにより、道が開かれていきます。敵、悪魔、悪霊との戦い方、御霊によって生きることを教えてくださいました。更なる癒しや解放も与えてくださいました。辛く苦しいこと、失敗もありますが、神様が全てご存知であり、全てを益と変えてくださる。四六時中神様と共に生きる喜び。たくさんの牧師先生、兄弟姉妹との出会い。お祈りと慰め、訓戒、励ましをいただき心より感謝しています。

 今年4月に神様の憐みによって、夫が受洗の恵みをいただきまし。イエス様の十字架のもとにいつもへりくだり、感謝して、神を愛し、隣人を自分のことのように愛する者になりたいです。

 

 

2020年10月「神の計画に生きる」

御影神愛キリスト教会  S

 夏も終わり、過ごしやすい季節になってきましたが皆さまいかがお過ごしでしょうか?

 こんにちは。私は横浜の金沢というところで生まれました。金沢ですが石川県ではありません。金沢の一番有名な場所を挙げるなら八景島シーパラダイスがあります。地元の小学生は大体年間パスポート(こども7,400円)をもっていて、中学生にもなると大体海の動物たちに飽き飽きしてくるようになります。「横浜だがほぼ横須賀」が、私が生まれ育った町です。「神戸でいう須磨だろ」と、THさんに言われました。小中高と地元で過ごし、大学は東京にあるキリスト教系の大学である青山学院大学に通いました。(青学の聖書がここにありますね。)その後食品卸の会社に就職し、一発目の配属がここ神戸になり現在に至ります。

 今日はこの場で「神からは逃げられない」ということを証させていただきたいと思います。私は生れる前から教会にいました。いわゆるクリスチャンホームです。子どもの頃は、日曜日は教会に行くということが当たり前の生活でした。若者の活動がとても盛んで中高科にもなると楽器を練習して自分たちで礼拝を造りあげたり、夏休みには他教会に伝道旅行に行き、交わりや奉仕をしたりと、素晴らしい時を過ごすことができました。そのような経験の中で鍛えられ、信仰が育まれていきました。教会全体として苦しい時期を過ごした事もありましたが、1度も離れることなくここまでこれたことを感謝します。

 クリスチャンホームの子どもあるあるだと思うのですが、「救いの証」が難しいということがあると思います。神様の事は信じているが子どもの頃からの当たり前のことすぎて、何をきっかけに救われたのかと聞かれると分からないという状態です。私もそうでした。しかし今は「神様が私の人生を導いてくれている」ということを私が歩んできた人生の中に確信を持つことができています。学生時代の事は先にもいろいろ書いたので省略しますが、社会人になってからもその導きを強く感じることができているので共有したいと思います。

 1つ目は近くに教会があったことです。御影のことではありません。神戸に来る前に2か月間広島で現地研修の時間がありました。広島駅目の前のマンスリーマンションに住んでいたのですが、そこから1駅行ったところに「三滝グリーンチャペル」というアッセンブリーの教会があり毎週そこに通う事ができました。初めて教会に行く前々日に行った広島焼屋の店主がその教会にいたというサプライズもありました。おかげですんなりなじめました。(笑)

 2つ目は日曜日が休みということです。私の職種は各スーパーマーケットに食品を届ける為の物流センターの運営や新規開設です。その中でも今は現場の管理者として物流センターに勤務しています。皆さんご存知の通りスーパーは土日関係なく営業しているので物流センターも土日稼働していることがほとんどです。しかし私が配属された場所は土日休みの場所でした!同じ部署の同期は土日休みでない人も多くいました。教会が好きで日曜日は教会に行くのが当たり前の自分なので非常に感謝な出来事でした。

 3つ目は近くに教会があることです。次は御影です。私の会社は全国規模の会社なので北海道から沖縄まで全国350カ所以上の営業所や物流センターがあります。その中で私の配属は魚崎にある物流センターでした。そのことが言い渡されたとき真っ先に地図を開き近くに教会があるかを調べたのを覚えています。そして私の家(六甲道)から一番近いアッセンブリーの教会として「御影神愛キリスト教会」がありました。家⇔教会⇔職場がバイクで15分圏内の環境が与えられました。遠い教会に通うという概念のない私にとっては素晴らしい環境でした。

 4つ目は素晴らしい教会と素晴らしい人たちに出会えたことです。様々な交わりや中高科の手伝い、ワーシップでのドラムの奏楽、プレイズでの活動など快く受け入れてくださり感謝します。楽しい教会生活を送ることができています。

 いろいろ書かせていただきましたが、このような人生の中で私は神様の計画を感じざるを得ません。どう考えても神様は私を教会に行かせようとしています。(笑)また私が母教会で学んできたことを存分に発揮できるような環境があり、この教会に来るべくして今の会社に就職をし今の職場に配属になったと感じています。エレミヤ書29章11節には

「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災いを与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」

とありますが、まさに私の人生の中にそれを確信しています。しかし私たちは、神様の計画は人間的に見て全てがプラスな出来事ではないということを知っています。例えばヨナはニネベに行きたくなくて逃げ続けたけれども、神様の計画からは逃れることができませんでした。結果、神様の栄光が表されることになりましたが、ヨナは不満満々でした。私のこれからの人生にも「なぜ」と思うことが起きると思います。しかしそれは私たちの宿命と思います。エペソ1章5節には

「わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。」

とあります。私たちはこの道を自分で決めたわけではなく、神様に選ばれて、信じて、クリスチャン人生を歩んでいます。選ばれている私たちは神様の計画を疑うまでもありません。全責任は神様にあり、そこには将来と希望があるということを信じてこれからの人生を全うしていきたいです。

 

2020年9月「神様との出会い」

御影神愛キリスト教会  Y

 

 今日は、私が神様に出会うまでの話をしたいと思います。

 私は生まれてからずっと、教会とは無縁の生活を数年前まで送ってきました。高校生の頃からなぜ自分はこの世に生きているのか、時に自問自答しつつ、日々いろんなことに向き合い成長し、今の仕事、職場へと就職し毎日を送っていました。

 ある日、職場の同僚に弱音を吐いていると、いつものようにアドバイスをもらっていたのですが、ふと、何故この人には弱音を吐けるのか、また、その人の言葉には重みがあるのか気になりました。その話をしてみたところ、その人は洗礼は受けていないものの、神様を信じていると言うことを知りました。

 次第に、自分も神様とはどんな人なのか興味を持つようになりました。思ったらすぐに行動する私は、早速パソコンで近隣の教会を検索、自宅からは少し距離はありますが何故かここの教会が目にとまりました。調べると、ろう者礼拝があり、学生時代に手話を習い色々な場で活かしていましたが、最近は離れつつあった私にとって、再び勉強出来るかもしれないと思いここに決めました。なにもわからないまま、その日のうちに、今週の日曜日に伺っても大丈夫か確認の電話を教会にしていました。

 迎えた日曜日、はじめて降りた御影の駅、教会に入った瞬間、笑顔で迎えてくださった方々。今でもその笑顔に安心したことを鮮明に覚えています。その後は沢山の人に支えられて、神様を信じ、受け入れ、神の子として生きる生活が始まりました。

 まだまだ、神の子としての日々は短いものの、神様はずっと私のことを呼んでいて、ここの教会に来ること、今、手話通訳をしていることなど、すべてが神様の計画の中にあったのだと知りました。今、私を教会へと導いてくれた人は難治性の病と闘っています。これにもまた、神様の計画があると信じます。

 日々悩みや不安は尽きませんが、私の心の支えでもある「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災いを与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。エレミヤ書29:11」を信じてゆっくり歩んで行きたいと思います。

2020年8月「神様との出会い」

御影神愛キリスト教会  I

 私には三人の子供がいます。末娘は高機能広汎性発達障害です。この障害が理解されず小学校の二年生の2学期から学校へ行けなくなり、三年生からは、なかよし学級へと移りましたが、行くことができず先生が家に来てくださり、四年生からは、先生と一緒に卒業まで学校に行くことができました。

 中学校は先生と相談のうえ、校区外の中学校を探すことになり見学にも行き、その中学校の生徒さんとも仲良くなり、その中学校への受け入れを先生方が話をして下さいましたが、答えはいつも「無理です」でした。何度もお願いをしましたがいつも同じ答えでした。最後に校長先生が直接学校へと足を運んで下さったのですが、やはり「無理です」でした。そして校長先生から、他の中学校を探すことになりましたと言われ、娘にはなんと説明しようかと悩みました。

 悩んでいる時、以前、家庭集会のクリスマスに参加した教会へ行くことになり、礼拝後、教会の方々とお話をしている中で、「何か祈ってほしいことがありますか」、と聞かれましたが、その頃は祈りが聞かれるということなど何もわかっていなかったので、別に無いと思いましたが、私の口から出た言葉は娘の中学校の話でした。そして数名の方が祈ってくださいました。

数日後、中学校の校長先生から学校へ来てくださいと連絡が入りましたが、受け入れてもらえないのにどうして学校へ、と思いながら校長室に入りました。校長先生から、「受け入れないとは言っていません。受け入れましょう。」という言葉でした。そして、「先生をもう一人付けてもらえるように市教へお願いしますが、これは期待しないでください」と言われ、その時は神様が祈りを聞いてくださったこともわからないまま入学式に行くと、先生が二人になっていました。

それからは本当に神様が娘にとって最善の道を用意してくださり、小学校では参加できなかった運動会や他の行事にも参加することができました。また先生にも恵まれ、中学卒業後は特別支援学校へ進み、生徒会の一員として集会の司会をしたり、親友もでき、毎日楽しい学校生活を送ることができました。そして卒業後もやりたかった仕事をすることができています。

 十数年前に祈ってくださった姉妹に会うたびに「今も祈っているよ」と声をかけてくださることに感謝しかありません。今も娘に神様が共にいてくださることに感謝!

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