Mikage Shinai Christ Church

神様との出会い

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2018年7月”神様との出会い”

“東南アジアにいのちの水を届ける” 御影神愛キリスト教会客員 古澤あかり

 
「アジア人になろう」それがすべての始まりでした。新卒で入った会社を1年でやめ、転職活動真っ最中のことでした。新しい仕事を探すために無我夢中で転職サイトを見ていました。しかし、なかなかピンとくる仕事が見つからない。焦燥感に駆られ、スーツ姿のサラリーマンを見ては、自分は仕事をしていないのだという罪悪感に苛まれていました。

 もともと英語が得意だったので漠然と海外の仕事がしたいと考えていました。「アジア人になろう」今まで想像もしなかったキーワードに強く心が惹かれました。

 学生時代は北海道で獣医関係の勉強をしていました。世界中から留学生が来ていたのですが、特に多かったのが東南アジアの留学生。私にとって彼らはとても身近な存在でした。学生時代の前半、教養科目で歴史を勉強する中で日本が戦時中にアジアに対して犯してきた数多くの過ちを知り、さらに交友関係で大きな挫折を経験。自分が日本人であることに罪悪感を覚え、日本人であることを受け入れられず、ひたすら英語を勉強して英語をしゃべることで、自分が日本人であることを忘れようとしていました。

そんな私に日本の良さを教えてくれたのはアジアの仲間でした。アジア人として、いつか恩返しがしたい。そんな気持ちが私の心の奥底に眠っていたのだと思います

『先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。 見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。』(イザヤ43:18-19)


 今まで何があったかではなくて、これから神様が何をしてくださろうとしているのか。前の仕事のこと、学生時代のトラウマ…etc。解決していない問題が山積していましたが、一旦それらを脇に置いて。新しい仕事、新しい職場、新しい仲間がすでに与えられていると信じて、これからのことのために祈り始めました。

 それから難なく最終面接まですすみ、ここだ!と確信を得たものの思わぬ事態が…。私の希望する部に女性社員を採用するのは会社始まって以来のことだったらしく、待ったがかかったのです。「苦労してやっとやりたい仕事が見つかったのに。私、なんで女なんかに生まれたんだろう。今さら性別も変更できないし。」ぶつけようのない怒りでいっぱいでした。

気晴らしに映画でもと考え、赤毛のアンを観に行きました。働き手として男の子を養子にしたいと考えていたマリラ。しかし、実際に来たのは女の子のアン。うわぁ~最悪!とアンに冷たく接していたマリラが、最後の最後にはアンをかけがえのない家族の一員として受け入れる。すばらしいストーリーでした!元気が出てきたところで、気を取り直してまた祈り始めました。

そして祈り続けてようやく、2017年6月24日。道が開かれて、新しいスタートを切ることができました。あれからもう1年も経つなんて信じられません。

 今は営業担当国がラオス、台湾、中国、フィリピン、マレーシア。インフラの海外営業のだけあって国際協力の仕事に携わる機会が多いです。特にラオスに力を入れています。ラオスはあまりなじみのない方も多いと思うので、ちょっとここで紹介しておきます。

ラオスはアジアの内陸国で、タイ、ベトナム、中国、ミャンマー、カンボジアの5カ国に囲まれています。ラオスの経済成長率は年7%。日本は1%なので、かなりの成長スピードです。人口は649万人ほど。2015年に日本と国交60周年を迎えています。一番多いのはラオ族ですが、49からなる多民族国家です。目まぐるしい経済成長を続けているものの、都市部と農村部の格差が広がっており、農村部ではインフラが追いついていないのが現状です。

女性や子どもたちが水汲みのため過度に労力が費やされているので、少しでもそういった方々の負担を軽減できるようサポートしていきたいです。特にラオスの未来を担う子どもたちの力になりたいと思って、日々仕事に励んでいます。

『この水を飲む者はだれでも、また渇くであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、渇くことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。』(ヨハネ4:13-14)


 東南アジアに水を届けるだけでなく、いのちの水を届けられるようになりたい。この1年を振り返ると、みんなに水を届けるには、まず自分自身がしっかり神様の愛を受け取っていくことが大切なのだと実感しました。干からびているスポンジから、なんとかして水を絞り出そうとしてしまいがちな自分の姿に気づかされました。これから蒸し暑い日が続きますが、喉が渇いたなぁと感じたときは水分補給ももちろんですが、しっかりと神様の愛を充電するのを忘れないようにしたいと思います!

2018年6月”神様との出会い”

御影神愛キリスト教会員  坂口望美

 

 はじめましての方もいると思うので、軽く自己紹介をしたいと思います。2015年の冬頃から、この教会に通っています、坂口望美と申します。一昨年のクリスマスに若松ひかり姉妹(旧姓:柴田)と一緒に教会でお芝居をしました。そちらの方が記憶に残っている方が多いかもしれません。3月半ば、私は約3年ぶりにアメリカに帰りました。アメリカで通っていた教会の友人の結婚式に参加するためです。アメリカで再び主は私に主の計画の素晴らしさを教えてくれました。それも私にしか当てはまらない、私専用の私にぴったりの方法で。このみかげだよりでは、私が主を信じるまでの証を絡めて、久しぶりのアメリカで主に教えてもらったことをシェアしたいと思います。どうか、この証で少しでも主に栄光が帰されますように。

 

アメリカで私が通っていた教会は日本人教会でした。その教会の牧師先生が、今でもメッセージでよく話す、私のストーリーがあります。私はアメリカでの年末、ECというアメリカにいる日本人クリスチャンのカンファレンスに参加していました。わたしは、その時、自分がクリスチャンになるということは想像しておらず、ただ一人での年越しよりも、教会のみんなと年越しがしたいがために参加を決めました。私はまだ主を信じていなかったので、seekersというノンクリスチャンのプログラムに参加しました。

 

年越ししてしばらくたったころ、私のスモールグループのリーダーが「神とはなんだ」と苦しんでいる私を見て、「あ、のんちゃん、もうそろそろ信仰告白をするのでは」と期待し、牧師先生と奥さんを私の元へ集めたことがありました。けど、私はまだその時、主を受け入れる準備ができていませんでした。

 

そしてここからが、牧師先生が大好きなパート・リーダーの「もし明日地球が滅びるとして、今主を信じていたら、のんちゃんは天国に行けるんだよ」という問いかけに私はこう答えました、

 

「私はもし明日地球が滅びるとしても神さまを信じない」今思い出してもパワーワードでしかないこの台詞。呼び出された牧師先生の口はしばらく開いたままふさがらなかったそうです。けど、その約5か月後、私は洗礼を受けました。年明けに考えたことなど消え去って、自然とわたしは救われたいと思えることができたからです。主は本当に根気強くコツコツとゆっくり私にわかりやすいように自身のことを私に教えてくれました。本当にコツコツと。

 

そして、その1か月後、教会の兄弟の結婚式に参加した翌日、礼拝を捧げ証をし、教会のみんなに見送られ私は日本に帰国しました。ちなみに私はその結婚式で皆さんご存知の塚本良樹兄弟に出会いました。帰国後、私は教会探しを始めました。牧師先生に事前に紹介してもらった教会を回っていったのですが、どこもピンとは来ませんでした。

 

もちろんどの教会も素晴らしく恵みに溢れてましたが、私はどうしてもアメリカの教会を思い出してはさみしくなって泣いていました。はたから見たら主に触れられて泣いているように見えたかもしれませんが、事実、私はホーム(チャーチ)シックで泣いていました。紹介してもらった教会全て回り、どこもピンとこず、教会探しが嫌になった私は牧師先生に助けを求めました。そして、最後に紹介されたのが塚本良樹兄弟の母教会である、この御影神愛キリスト教会でした。良樹兄弟は私が通っていた教会の献身者の友人で、その彼の結婚式に参加した後、フラー神学校で学びながら、私がアメリカで通っていた教会で献身者として働いていました。なんだか本当に主の計画で素晴らしいな、と改めて振り返って思います。

 

 

その時からわたしはこの御影神愛キリスト教会に通っています。この教会に出会って、ピンと来たり、あー、この教会がわたしに与えられた教会だ、と深い衝撃を受けたわけではありません。ただ、アメリカで教会に通い始めたのと同じように、この教会にはまた会いたいと思える人たちがいたのです。

 

友人の結婚式に参加して帰国したわたしは、今年の三月、友人の結婚式に参加するため、帰国して三年ぶりに再びアメリカの地に足を踏み入れました。そして三年ぶりに母教会での礼拝に出席しました。正直なところ、わたしは少し礼拝に出席するのが怖いと思っていました。もし礼拝に出席して、懐かしさのあまり、また母教会に通いたい、と思ってしまったらどうしよう、と。日本に帰って御影の礼拝に出席したときにアメリカの教会に戻りたいと、またホーム(チャーチ)シックになったらどうしよう、と。

 

事実、御影の教会に通い始めてからも、わたしはたびたび母教会を思い出してはなんだか寂しくなっていたのです。その状態に戻ってしまうのではないかと、わたしは内心恐れていました。けど、その心配は杞憂に終わりました。  

 

久しぶりにアメリカでの礼拝に出席して、聞かれました。久しぶりのアメリカでの礼拝はどうだったか、と。わたしは、めっちゃ懐かしいとか、戻りたいとは思わなかった、と答えました。質問の主は、良かった、と深く言ってくれました。

 

そう、確かに久しぶりのアメリカでの礼拝は懐かしかったです。けど、戻りたいとは思いませんでした。恵みに溢れていた礼拝でした。でも、日本で過ごした3年間をわたしはアメリカで過ごしたかったとは思いませんでしたし、御影の教会で過ごした二年半をアメリカの教会で過ごしたかったとも思いませんでした。主は今回のアメリカの旅を通して、わたしに教えてくれました。わたしは日本という地で主に仕えるのだということ、そしてわたしが日本で与えられた教会は御影の教会だということ。わたしは与えられた教会が御影ではないと疑っていたわけではありません。ただ主はいつものように、わたしにぴったりの方法で、わたしが一番心にストンと落ちるように、とても丁寧に時間をかけてわたしに教えてくれたのです。

 

神のなされることは皆その時にかなって美しい。人は、神のなされるわざを初めから終りまでみきわめることはできない。”(伝道の書3:11)

 いつからか、わたしのホーム(チャーチ)シックはなくなっていました。いつから泣かなくなったのかあまり覚えていません。そして、それがぶり返すことはこれから先ないでしょう。主は毎日毎日わたしを変えてくれているのでしょう。けど、わたしがそれを理解するのは、または主がわたしにそれを伝えてくれるのは、とても先の話だったりします。なんて計り知れないのだろう、と思います。なんて、素晴らしいのだろう、と思います。

 

主は毎日わたしになにかを与え、わたしを変えています。それが何なのか、わたしは“今”知ることはできません。でも、確かに毎日わたしは変えられているのです。主に出会えたこと、母教会を与えられ、そしてこの御影神愛キリスト教会を与えられたこと、全てに感謝して、これから主がわたしに何を与え、何を教えてくださるのか期待して、この文章を終えたいと思います。ありがとうございました。

2018年5月”神様との出会い”

御影神愛キリスト教会員 松本美智

私が神様に出会ったきっかけは、小学五年生の冬、 先輩から1つの本を頂いたことからです。イエス・キリストの生涯が書かれた本で、クリスマスに生まれた方という事に興味を覚え、その日のうちに夢中で読みました。読み終わる頃には感動して泣いていました。その後この先輩に教会へ連れて行ってもらい、通う様になりました。

 ある日曜日、私は風邪で高熱を出してしまいました。それでも教会には行きたく、フラフラしながら教会へ向かって歩いていました。道路を横切ろうと車道に入った時 、コートの襟をつかまれ 引き戻されました。その瞬間、バイクが猛スピードで私の前を通り過ぎました。私を引き戻してくれた方にお礼を言おうと後ろを振り返ってみると、誰もおらず私だけでした。

怖くなって急いで教会に行き、牧師にこの事を話すと「神様が守って下さったのですよ。」とおっしゃり、一緒に祈りました。その後 、不思議に熱も下がり、元気になりました。神様は遠い所にいるというイメージでしたが、この日から、近く感じる様になりました。感謝します。

2018年4月”神様との出会い”

”本物の神と出会いました”  御影神愛キリスト教会員 塚本謙一郎

 私は今年5月で60歳になります。これまでの人生を振り返ると、ただただ神への感謝しかありません。私のような欠点だらけのつまらない人間を受け入れ、愛し、訓練し、今日まで導いて下さった聖書の神は、たしかに存在しておられる唯一であり真(まこと)の神であると心から証言できます。

 私は牧師の家庭に生まれましたが、小学校に上がる前に事情により父が牧師を辞めたため、次第に教会にも行かなくなりました。中学生になり、英語が上手になりたいという思いで家の近くにあった宣教師の教会に行くようになり、17歳の夏にあらためてイエスさまを信じて六甲山中の川で洗礼を受けました。資生堂のモデルやキリスト教番組の司会をしていたヨアンナ・スィラバンさんをご存知の方もおられると思いますが、彼女とは小学校以来の幼なじみで(彼女は途中からインターナショナル・スクールに転校しましたが)、洗礼を受けたのも一緒です。

 洗礼を受けたら順風満帆の人生が始まったかというとそうではなく、むしろ波乱万丈の人生の始まりでした。父なる神は愛する者を訓練されると聖書に書かれている通りです。(笑) 詳しく書くには紙面がまったく足りませんが、神からの訓練=試練は、私たちにとって実に有益であるということが今ではよく分かります。また、私にはそれだけ訓練されなければならない部分が多かった(!)ということかもしれません・・。いや、それだけ神に愛されている(!)と解釈したいと思います。(笑)

 多くの試練を通り、(最近も大きな試練がありましたが)そのたびに神は生きておられる、私と共におられるという確信が強くなっていきました。数々の奇跡的な出来事を体験し、試練が祝福に変わっていきました。今の私は、大学で出会った美しいクリスチャン女性と結婚し、二男一女の素晴らしい子どもたちにも恵まれ、健康で、教師という仕事においても本当に充実した日々を送らせていただいています。それは試練の中で神とその御言葉を信頼し、神と共に歩む生き方を学ばせていただいた結果であると思います。聖書の神が確かに生きて存在しておられる方であるからこそ、であります。

  この間、神が私に繰り返し教えられたこと、そして祝福の秘訣となったのは、「神の御言葉を学び、正しく理解し、信じ、実行すること」であったと思います。私たちが数々の試練を通らされる目的の一つはそこにあるのではないかと思うほどです。

  神は不思議な方法で私たち人間に聖書を与え、旧約聖書~新約聖書全体を通して、神とはどのようなお方か、神が喜ばれること、悲しまれること、憎まれること、怒られることは何か、神が定められた正しい価値観(時代や場所が変わっても変わらない価値)とは何か、御子イエス・キリストを通して与えられる救いと永遠のご計画、聖霊のお働き、私たちへの神からのメッセージなど、十分すぎるくらいの情報を私たちに与えて下さっているのです。聖書を読まないことは、神の恵みを自ら放棄するようなものです。もったいない! 旧約聖書から新約聖書まで、少なくとも年に一回は通読しましょう。

  例えば、夫婦や家族のあり方について聖書は、「夫は妻の頭であり、妻は夫の助け手であり、子どもたちは両親を尊敬し従うように」と教えます。ある人はそれでは男尊女卑ではないかとか、子どもへの虐待につながるなどと批判するかもしれませんが、これには前提となる命令があるのです。まず、夫は妻を自分のように、またイエスさまが私たちのために命を捨てられたほどに愛さなければなりません。妻もまた「キリストに仕えるように」夫に仕え、子どもたちは「主にあって」両親に従うのです。ですから、そこにはふんぞり返って偉そうにしている夫の姿はなく、夫を尻に敷いている妻の姿もなく、両親にただ反抗する子どもたちの姿もなく、神の恵みにあふれた幸せな家庭が築けるのです。私の家庭が祝福されているとすれば、それは神の御言葉に従っているからであって、神を信じる人であれば、神はその祝福を誰にでも公平に与えられます。ぜひ試してみてください。

  私の人生も折り返し地点に来ました。残る60年(主が私を天に召されない限り!)をどのように過ごせばよいかを主に祈っています。今年は通信制の神学校でさらに御言葉を深く学び、神の国のために恩返しができるように準備をしたいと思っています。「イエスさまに従い、聖霊に導かれ、父なる神の御心を行う人生は素晴らしい!」 これが私のあかしです。

2018年3月”神様との出会い”

“驚くべき神様のご計画:最後の一滴” 御影神愛キリスト教会員 笹子 三津留

  昨年11月に大阪で開かれたアジアクリスチャン病院学会でのことでした。これは日本、韓国、台湾、タイの4か国からクリスチャン病院の医師、看護師、チャプレンなどが参加して毎年開かれる学会で、今年は大阪での開催でした。

私は主催者である淀川キリスト教病院柏木理事長から、「クリスチャン病院における福音伝道」というタイトルでこの会で講演をするように依頼されました。

新米クリスチャンである私になぜ?と驚いたのですが、神様が用意された機会であると考えお引き受けしました。このような講演が必要なのは、淀川キリスト教病院においてすら、クリスチャンはスタッフ全体の10%以下だからです。

多くの日本人にとって信仰は慣行行事と関連した風習でしかありません。お宮参りでは神社に祈願し、結婚式は牧師さんの前で愛を誓い、お葬式になると仏教の僧侶の出番です。

だれを拝んでいるのかを考えない人が大多数で、祈る目的は御利益です。だから、がんで死を目の前にしたとき、死んだらどうなるのか、どこに行くのか、がわからないことから急に不安を募らせます。

私はがん専門医なので、がんの患者さんやご家族が心に苦しみを抱えていらっしゃることは理解していましたが、精神的な問題と思っていました。

クリスチャンになってからは、それが精神的な痛み・悩みだけではなく、霊的なものであることに気付き始めました。この教会でさせていただいているメディカルカフェの活動を通してもそれは強く感じています。

最近は、死を間近に感じて不安な方、また手術を明日に控えて不安が強い方にはベッドサイドでお祈りをさせていただくようになりました。涙ながらに私のお祈りをじっと聞いておられる方もいらっしゃいます。

このように自分が救われて以来、救われる喜びを、神様を信じて得られる神様からの偉大な助けを、そして神様の大きな愛を私は日々伝えようとするようになりました。

学会は朝の礼拝でスタートしました。祈り、賛美する内に不安が消え去っていました。礼拝に続いて、演壇に上がった私は、不思議なほど落ち着いて、心を込めて、語りかけるようなお話が出来ました。柏木先生や多くのチャプレンの方にお褒めいただき、嬉しく感じました。妻はこの講演時間の間ずっと教会で祈ってくれていました

 講演後の昼食時、小柄な中年女性が突然話しかけてこられました。淀キリに20年以上勤務している看護師さんでした。「私、礼拝での牧師先生のお話、その後の笹子先生の講演を拝聴して決心しました。」と言われました。何を決心されたのかと思っていたら、「長年クリスチャン病院に勤務して、信仰も理解し、みんなにクリスチャンになるようにせっつかれていたんだけど、なぜか踏み切れなかったんです。でも今日先生のお話にすべて納得できて、何かつかえていたものが腑に落ちたんです。」彼女の目には涙が溢れ、私は驚きで身体が震えました。

涙ながらに「良かったですね。聖霊様があなたの心に触れられたんですね。おめでとうございます。」言葉はそれしか出ませんでした。固く握手をし、互いに涙顔で微笑むだけでした。どんな賛辞にも勝る喜びと恵みでした。

淀キリでは始業時に毎日15分の礼拝がありますが、長年その礼拝に出席し、みなに祈られ続けた彼女の心のコップは溢れる寸前、表面張力が災いして溢れずにいたのです。この日最後の一滴が落ちて、コップの中身が一気にこぼれ出したのだと思います。

クリスチャン病院での福音伝道のきっかけになれば良いと考えて講演をした私は、あまりにも結果が早すぎるのに驚きました。「神様、こんなに早くこんな恵みをいただいていいのでしょうか」と、心から神を礼拝し感謝をささげました。今回の講演は私にとって大きなチャレンジでしたが、神様が与えて下さったと信じ従った時に、神様は大きな恵みを与えてくださるということを体験しました。

今、私は医療の世界で福音を語ることの喜びと使命を強く感じています。信仰を与えられる前は、希望をなくし、なんとか生きていたような私でしたが、イエス様を知って生まれ変わり、そして今神様は、「このために生きよ」とはっきりと道を与えてくださいました。神様の導きの中で今年5月から淀キリで働くことになり、メディカルカフェの働きも祝福され、これから自分のするべきことがどんどん示されている気がします。

これからも、神様がどんなに素晴らしいことをしてくださる方であるかを、たくさんの方に伝えていきたいと思います。

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