Mikage Shinai Christ Church

神様との出会い

アホにもわかる神様の恵み

御影神愛キリスト教会 壮年部 前田 晋

 

某外資系製薬企業の営業職に勤務し、順調に売上を伸ばしていたある日、大きな取引先の病院が脱税、横領罪で摘発され経営が悪化。当然依存して売上成績を伸ばしていた私の営業成績にも影響が及びマイナス成長と言う厳しい状況に陥る事となりました。そんな私に対し「縄をやるから、その病院玄関で首を吊ってこい。人間一人死んだら相手も売上を戻してくれるだろう。」・・・直属上司からその様に言われ、周りで見ていた同僚は面白がるばかり・・・。出社恐怖症からアパートの部屋に閉じこもり何もせずに座り込んでいた経験は今でも脳裏に残っています。人間不信に陥っていた25歳の私を救いの道に導いてくれた人は学生時代からの友人でした。彼女は常に明るく、鬱になっていた私は彼女の明るさに興味を持ち「なぜそんなに前向きになれるの?」と質問をしました。彼女の回答はまだクリスチャンではない私にとって驚くべきものでした。「イエス様が居て下さるからです。」私は愕然としました。少しは日曜学校の経験もありましたが、単なる歴史上の人物程度にしか認識しておらず、イエス様が居るから物事をポジティブに捉える事が出来ると言う回答は理解出来ませんでした。しかし、この境遇から脱出したいと藁をも掴む思いで彼女から紹介された御影神愛キリスト教会を一度訪問する事に決めました。

私は2度程、通っていた教会を拒否した経験もあり罪悪感もありましたが、不思議な示しにより1983年1月9日、礼拝に伺わせて頂きました。教会音楽のイメージで学生時代から続けていたドラムや一般的に騒がしいとの扱いを受ける音楽も止める決心と共に足を運びましたが礼拝堂を覗いた瞬間、その決心は我目を疑う風景と共に消え失せました。奏楽者はエレクトリック楽器、ドラムでポップス調にアレンジした聖歌を奏で、当時主管牧師であった杉本牧師も楽しそうに賛美している姿は本当にキリスト教会なのかと疑いたくなりました。しかし、彼女が紹介してくれた教会に間違いはないと考え、牧師を始め多くの信徒と交流を持たせて頂きました。その後、皆さんの祈りに支えられ教会に通う日々を過ごしておりました。その日々は同時に信仰の告白が出来ない状況の日々でもありましたが、最大に心を動かされた瞬間を迎える日が参りました。

300人以上の集会に参加した時の事です。当時、和歌山で牧会をされておりました平岡牧師が集会メッセージを司られておりました。平岡先生のお話しも終り、いよいよイエス様を受入れる決心を求められる時間となったその時です。平岡牧師から「ちょっと待って下さい。今、神様から示された事があります。この中に一人、この様に考えている男性が居ると思います。今、あなたが思い感じている事・・・あなたの頭でもし理解できたら、神様はあなた以下と言う考え方。それで良いのです。神様はあなた以上です。考えても解るわけがないのです。さあ、安心してイエス様を神と受け入れて下さい。」・・・檀上から私に言われた平岡牧師の招きは衝撃的でした。信仰決心に悩む私のイエス様に対する考え方は誰にも告白していないにも関わらず、平岡牧師はその思いを言い当て説得下さったのです。これはもう神様からの啓示としか思えない。その瞬間、イエス様を主なる神として受入れる決心の右手を大きく掲げた事を強く覚えております。

この様に信仰決心をしましたが、更に私の信仰が守られた理由は大きく3つあります。①御影神愛キリスト教会に導かれた事。②ニューグロリアプレイズへの参加。③妻との出会いです。ニューグロリアプレイズのメンバーとの出会いは、私の音楽に取組む姿勢を大きく変化させ、神様との関係強化に導いて下さいました。そしてメンバーであった妻との出会いを作ってくれた場所でもありました。妻は現在でも私の信仰を励まし支えてくれております。信仰の告白、洗礼、結婚と信仰生活を歩む中、仕事先における人間関係も整えられ、その会社も神様の導きにより昨年、定年までの年収を超える退職金と共に円満早期退職させて頂きました。現在、以前より描いておりましたイラストレーターとしての仕事の準備を進めており、主が与えて下さったタラントを活かし地上での第2の人生を始めさせて頂いております。新しく始める仕事も既に神様は準備を整えて下さっていると感じる毎日です。学ぶべき内容も多く、何から始めれば良いのかと思う前から必要なアドバイザーを教会信徒の中に存在させて下さっている神様に日々感謝し、これからも神様に相談しながら歩んで参りたいと願います。

 

 

神に導かれて

 

御影神愛キリスト教会 神学生 塚本良樹

 

私がクリスチャンとして生きていることの最初のきっかけは、両親がクリスチャンという日本社会では非常に特殊な家庭環境で生まれたことです。そう言うと、「やっぱりそうですか」と言われそうですが、親がクリスチャンであることと、私がクリスチャンであることは必ずしも関係ないと思っています。もちろん、小さいころから聖書の話を聞くことができたことは、本当にありがたいことです。ある時期、「劇的にクリスチャンになった人がうらやましい」と思っていましたが、今ではクリスチャンの両親に生まれたことに本当に感謝しています。

ともかく私は、聖書に記された、神様がイエス・キリストを通してなされた救いの物語を小さい頃から信じていました。その意味では、私の罪はすべて赦され、天国に行く切符をもらってはいました。しかし、このことがどれだけありがたいことかということを知ったのは、つまり、クリスチャンとして生きていられることがどれだけ素晴しいことかということを知ったのは、大学に入ってからだったのです。

私は大学進学のため、生まれ育った神戸から東京に行きました。1年生の前期は、今から思えば、死んでいました。今だから言えることですが、当時の僕の心は自分の将来の夢(学者になりたかったのですが)といかにして彼女を作るかということにばかり向いていました。クリスチャンであるのに、日曜日に活動がある野球サークルに入り、そうであったとしても何らかの形で礼拝に行くべきであったのにそうせず、たまに行ける日があっても土曜の夜遅くまで飲み会などで騒いで次の日は起きたら昼だったというようなこともあり、だんだんと教会から足が遠のいていきました。聖書は読まず、もちろん聖書で言っていることを実行することもなく、人を見下し、人をうらやみ、自己中心的に生きていました。

おそらく普通の基準で見れば、そんなに悪いことをしていたわけではないかもしれません。しかし大切なのは、神様のことを考えれば、神様がどう見ているかを考えれば、あるいは神様が愛しておられる一人一人の人間の本当の尊厳を考えれば、ありえない生き方であります。神を信じているのに、神が悲しんでいることを一切気にせず、神を無視して生きていたのです。

その夏、私はいくつかの教会が集まる合宿に参加しました。合宿の講師は罪について語りました。それが、当時の私の姿そのものでした。「もちろん自分は十字架を信じているから罪は赦されている。でも、それにもかかわらず、こんなにも神を悲しませてきた。なんて申し訳ないんだ。」―なぜであるかは分かりません。しかし、そのように素直に思わらされたのです。そして、イエス・キリストの十字架が語られました。不思議なのですが、そのとき私は本当に感動したのです。ものすごく主観的で、感覚的な話なのですが、とにかく「すごい」と思わされたのです。

それから、私は毎週教会に行き始め、「神が悲しむ生き方ではなく、喜ぶような生き方をしよう!」という人生を目指すようになりました。しかし、クリスチャンはあくまでも「赦された罪人」に過ぎません。それからも、神様のことを忘れて、神様が悲しむことをして、人を傷つけたことも多かったです。

そのなかで助けとなったのは、KGK(キリスト者学生会)という大学生のキリスト教サークルでした。ともに聖書を読むなかで、疑問などを話し合ったり、祈り合うなかで、神様がどれほど偉大であるか、十字架の赦しがどれほど重いものであるか、聖書がどれだけ面白いか、教会がどれほど大切かということを何度も教えられました。神様はすばらしい方です。私を救ってくれたばかりか、アフターサービスとして、たくさんの仲間を与え、多くの励ましと気づきを与えてくださいました。だからこそ、私のような者でも、今クリスチャンとしてギリギリ生きていられるのだと思います。

私はこれから、アメリカの大学院で、さらに聖書を学ぶ予定です。神様のすばらしさをますます知り、それを全世界に伝えたいと願っています。

 

 

私が救われた時

御影神愛キリスト教会 壮年部 久保健二

 

私の父は大工で母は専業主婦でした。私は3人兄弟の次男として生まれました。今から39年前の昭和51年3月に私は高校卒業後、阪神間を本拠地とする信用金庫に就職しました。就職と同時に親元を離れて会社の独身寮に入り、これからは誰にも頼らずに自分自身の力で生きていくと決意し、社会の荒波に飛び込んでいきました。最初に配属されたのは尼崎市内の駅前の支店でした。私は最初、定期預金係となりましたが、3年後には営業係になり、地元の市場や商店を担当して毎日朝から夜遅くまで働き、休日は疲れて寮で一日中寝ているというような日々を過ごして10数年が経過しましたが、自信過剰気味だった私にも次第に大きな壁にぶつかるようになりました。自分自身の目的を見失い、一体何のためにこんな人生を歩んでいるのかと考えるようにもなりましたが、そんな私に人生の転機が訪れました。

今から24年前、私は西宮市内の支店で営業係として取引先を訪問しておりましたが、その中に薬局を経営している取引先があり、私はその取引先に大変失礼なことをしてしまいました。その薬局は店先にたばこの自動販売機を置いており、専売公社(いまはJT日本たばこ産業といいます。)より、たばこの仕入れの支払いに小切手を振出していたのですが、その取引先は当座預金の口座に残高を置かずに小切手を振出していた為、小切手が交換で回ってくると残高不足となり、その取引先に入金の督促の電話を架けて集金のため訪問することが続き、ある時、私は経営者のご婦人に「当座預金はあらかじめ残高を入れて置いて小切手を振り出すものですよ、このように残高不足の状態を続けると不渡り事故が発生する危険が伴いますよ。」と説教じみた物言いをしてしまいました。経営者のご婦人は私に当座預金は利息が付かないから残高を置いておくのはもったいないと言いましたが、私は更に追い打ちをかけるように、「おっしゃるとおり、小切手や手形の決済口座である当座預金には利息が付きませんがそのかわりに残高を置いておけば信用がつきます。」と企業先ならともかく、個人事業の取引先に対してもっともらしく言ってその経営者のご婦人を怒らせてしまい、取引が疎遠となってしまいました。その後、暫く経って先ほどの薬局経営者のご婦人のご主人が亡くなられ、近くの教会でお葬式が行われることを知りました。担当地区内でのお葬式には取引の有る無しに関わらず、すべて参列するのが中小金融機関の習わしとなっており、私は初めての教会でのお葬式に戸惑いながらも営業店の代表として参列致しました。その翌日、私は薬局のご婦人に電話で呼び出されました。あの日以降一度も薬局には訪問しておらず、急な電話だったことから、私はご主人のお葬式に参列したことが気に障ったのかなと思い、お詫びするつもりで訪問したところ、ご婦人から、思いもよらず丁寧なお礼の言葉を戴き、亡くなられたご主人が教会の信徒で長年病気療養中であったこと、神奈川県平塚市にいる息子夫婦もクリスチャンであり、自分だけがどうしても信仰を持てずにいることを話されました。そんな話を伺った後、私の方からも先日の失礼な物言いで怒らせてしまったことをお詫びしました。このことがあってご婦人から取引を再開してもらえることとなり、更に近所で文房具店を経営するお姉さんにも取引を紹介して頂きました。

ある時、薬局のご婦人から、私個人のことについて尋ねられ、私が当時30歳を過ぎていてまだ独身でいることを聞いて、その年の11月頃になって先ほどの文具店のお姉さんを通じて私に一人の女性を紹介されました。年が替わって1月に初めて会ったその女性は私より7歳半年下の方で、この御影神愛キリスト教会の信徒でありました。その女性に誠実さを感じた私は女性の勧めに従い、次の週の日曜日に初めて御影神愛キリスト教会の礼拝に出席し、その日以降毎週日曜日にこの教会に通うことにしました。そして受洗講座を受けることになり、自分が罪人であること、私の罪のためにもイエス・キリストが死なれたこと、そしてイエス・キリストを信じることによって罪が許されて救われることを知り、信仰を決意し、洗礼を授けて戴きました。

それから暫くして私は別の支店に転勤となり、転勤の挨拶の為、薬局を訪問してご婦人に私がクリスチャンになったことを告げたところ、そのご婦人は大変喜ばれ、ご婦人自身もようやく信仰を受け入れる決心をしたことを私に話されました。私は大変驚きましたが、私とご婦人が救われたのは主のご計画だったのだと確信しました。その年の6月に私は、主が私の妻に選ばれた先ほどの女性「とも子」と結婚しました。主は私たちと私たちの家庭を恵まれ、長男祐輝と次男豊の2人の子供を与えられました。2人の子供は健やかに成長し、長男の祐輝に続いて2年前に次男の豊にも信仰が与えられ、また近所に住んでいた妻のお母さんをお迎えし、3世代のクリスチャンホームとなりました。途中、阪神淡路大震災を経験するという試練もありましたが、いつも主の恵みに満たされていたことに感謝しています。

 

 

与えられた環境

 

御影神愛キリスト教会 会員 甲斐智教

私は「自分はいま○○歳だから死ぬまでは○○年くらい」 「まだ若いし、そんなすぐに死ぬことはない」「今はする時間がないから、いつか年をとって時間ができたらやろう」と、自分の人生は神様のご計画に従って御旨のままに~と口では言いながら、無意識に人生のレールを敷いて終着駅までの行程を勝手に決めてしまっている生き方を、少なくとも10年以上前まではしてきました。

数年前にとても大切な家族を30代という若さで突然天に送ることになり、今日と同じ明日を迎えられるというのは必然ではなくて奇跡的なことだということを痛感しました。若いから、年だからとかそんなこと関係ないんだと。それから死というものを以前よりずっと身近に感じるようになりました。

今年で東日本大震災からもう4年が経ちますが、発生から2ヵ月後の2011年5月のゴールデンウィークに私と妻の2人で福島県いわき市に支援活動に行きました。同じアッセンブリー教団のいわきアッセンブリー教会を拠点にし、周辺の小中学校や公民館などの避難所に救援物資を届けたり、炊き出しをしたり、いわき市は温泉街なので入浴のできない避難所に温泉を足湯として届けたり。避難所で布団は支給されるが枕がなく、眠れないという話があったので周辺の教会と協力して枕を作って届けたりもしました。バプテストや福音教会など現地の様々なキリスト教会はもちろん関東の教会から来られた海外の方達とも協力し、教団・教派を超えた支援活動になりました。

ただ私たちが行った5月というのは震災からすでに2ヶ月経っていたため、食べる物や着るものという最低限必要なものはある程度揃っているころでした。物資をお届けすることはもちろん大事ですが、それよりもただお話をお聞きするということが最重要活動項目でした。

大抵は、震災の時、何をしていて、誰とどこにいて、直後に~に向かって逃げて、~が助けてくれて、その後は~の避難所にいて、こういった体験談を話されてから、私たちに対してどこから?なぜ来たのか?を聞かれることが多かったように思います。

神戸のキリスト教会から来たということをお話すると、遠方からの訪問、それも同じく震災を経験した土地から来たことにとても感謝され、とてもありきたりな言葉ですが逆に励まされる思いでした。

その活動の中で当時避難所になっていたある小学校で炊き出しをしていたところ、あるご婦人とお話をする機会が与えられました。自分の現在置かれた境遇の大変さや様々な話をされましたが、その中で「とりあえず、まず今日を生きるしかないわな」とポツリと言われたことが今でも忘れられないです。

環境に恵まれることで幸いなこともあるし不幸なこともあると思います。神様が備えて下さっている物であったり時間であったり置かれた環境であったり、いつの間にか恵みに麻痺して、与えられた素晴らしいものに感謝をすることを忘れてしまいます。当然あるものと思っていたものが、取り去られることで初めてその価値に気付かされる、そんなことに改めて気付かされた日々でした。

今日と同じように明日が迎えられる、ただそのことに日々感謝して。

 

 

「神様の愛」

 

御影神愛キリスト教会 会員  後藤洋子

私が初めて神様に出会ったのは幼稚園の頃でした。家ではクリスチャンホームではなかったのですが、母がミッション系の学校出身だったからか「イエスの生涯」とか「聖書物語」という題名の絵本を私によく読んでくれました。そして「困ったときは神様にお祈りしたら必ず助けてくれるからね」と教えられました。子供心に神様はすごい人なんだと思いました。

中学生の時、母にクリスチャンというのは、どういう人がなれるのかを聞いた時、母は「洗礼っていうのを受けたら誰でもなれるけど、うちの家は仏教だからあなたはダメよ。クリスチャンの家にお嫁に行ったらいいけどね・・・。」というようなことを言いました。

高校生の時、私にすごく不思議な事件が起こりました。ある冬の寒い日、熱がでて学校を休みました、私の部屋は2階でしたが、高熱で階段の上り下りがつらく、おまけに部屋には暖房器具もなかったので、1階のリビングのソファーで寝ていました。父と母は「そこでじっと寝ていなさいよ。」と言い残して家に併設してある仕事場に行ってしまいました。しばらく、ウトウトしていたのですが、ふっと心の中に「やっぱり部屋に行こうかなぁ」という思いがわきました。すると「いや、部屋は寒いヨ」という声が聞こえ、「やっぱり自分の部屋の方が落ち着くョ」・・・という声が次々聞こえました。外国のアニメで主人公を悪魔が誘惑し、反対側から天使が引き止めている場面がよく出てきますが、まるでその状態のようでした。私が悩んでいると「さっさと部屋に行きなさい!」といきなり怒鳴られ、思わず「ハイ!」と返事して自分の部屋に行きました。ベッドに入って布団をかぶった瞬間、ドーンとすごい音がして、家がグラッとゆれました。「何だろう?」と思いましたが熱で頭もぼーっとしていたので、そのままウトウトしていると下で父と母が大きな声で私の名前を読んでいるのが聞こえ、完全に目が覚めました。リビングに行くと、天井のしっくいが剥がれ落ちて床一面がれきの山でした。私がついさっきまで寝ていたソファーも埋もれ、父たちはがれきを除きながら私を探していたのでした。あのまま寝ていたら・・と思うとゾッとしましたが、この時は、まだ私はすごい幸運の持ち主だという風に考えていました。その後、大学生になり、なぜか関学の神学部の人達と話をする機会がありました。5~6人でワイワイ話していると、その中の一人が急に聖書について熱く語り出し、「神様の奇跡って、案外起こったときは気づかなかったりするけど、あとで思い起こしたときにわかるものだ」と言うことを妙に力説していて、その時に私はあの天井事件を思い出し、あれは神様が助けてくれたのだと知りました。

小学生の頃、日曜学校に少し行っていたときもありましたが、うちの家は日曜日は家族で遊びに行ったりして過ごすことが多く、1回休み、2回休み・・・しているうちに行かなくなりました。その後は私自身、なぜだか神様にとても興味があり、教会にも行きたい気持ちを持っていましたが、その機会がないまま、何年も経ってしまいました。ですから、主人と付き合いだした頃に主人が、「家族がクリスチャンでぼくはまだちがうけど、教会に行こうと思う・・・」と行った時には本当にびっくりしました。そうして、この教会に導かれてくることができました。

結婚が決まり、婚約式の前に洗礼を受けました。この時も母の言葉が頭に浮かび、式が終わってからにしようか悩みました。その頃通っていた学校の神父さんが私が何もいっていないのになぜか私を職員室に呼び、「神様はずっとあなたの心の扉をたたいておられます。あなたはそれを素直に受け入れるだけでいいのです。あとは神様が、すべてあなたにいいようになさってくださいます。」とおっしゃり、それを聞いて私は洗礼を受ける決心をしました。私の家族には結婚式が終わってから報告しました。

「お証し」するにあたり、小さい時からのことをいろいろ思い出しているといろんな場面で常にずっと神様がそばにいて下さり、クリスチャンでなかった私でも守って下さり、すばらしい恵みを与えてくださっていたことを感じました。クリスチャンになってから30年と少し経ちますが、私自身、その間、少しも成長していないように思います。それでも神様は私を見捨てないでいて下さることに本当に感謝しています。