Mikage Shinai Christ Church

教会だより

2017年12月”神様との出会い”

“神様にゆだねる喜び” 御影神愛キリスト教会員 髙田 英子

ハレルヤ。主の聖名を崇めます。

 私が教会の礼拝に出席するようになったのは、先に次男が私の姉の家から教会の日曜学校に出席していたからです。当時私たちは宝塚に住んでいて、息子は幼稚園卒園と同時に土曜日から姉の家に泊まり、日曜日は教会学校に出席し、聖書のお話や同年輩のお友達も大勢いたので、教会が楽しかったようです。毎週出席し、皆勤賞を貰ったほどです。

月曜日からは、宝塚での学校生活があるので、日曜日には私たち夫婦が交代で迎えに行っていました。それから「お母さんも、お話聞いていかれては・・」と、声を掛けられました。息子が毎週お世話になっている事だしと、しぶしぶ礼拝に出席するようになりました。

お説教の中で「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」 (マタイ11:28)

と言う、みことばでした。とかく共働きの家庭の子は、問題を起こしやすいと言う、世間の風潮に悩まされ、仕事を断念しようとさえ思いましたが、聖書の御言葉を頂き「そうだ、神様を信じ、イエス様に全てを任せば、良い道を備えて下さる。」のだと信じ、洗礼を受けました。その後、女性も手に職を持たなくてはいけないと教えてくれた母と、長男も洗礼を受けました。母は今、天国にいます。

 子供たちは学校生活・社会生活の中で色々な困難や、悩みもありましたが、イエス様に頼み祈っているうちに、それぞれ解決し守られ日々平穏に暮らしています。私も、主に守られ無事定年退職することが出来ました。これからも、まだイエス様を知らない方々に、もっともっとイエス様の愛を知って頂きたいと思います。

最後に私の好きな聖句を、ご紹介します。

詩篇23篇
主はわたしの牧者であって、
わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、
いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ、
み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、
わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです

2017年11月 “神様との出会い”

 

“神様1番” 御影神愛キリスト教会員 有島真之

 私は、物心付く前から母親に連れられて教会に行っていました。自分自身が罪人だと、神様の存在を教えられたのはアメリカに居た幼稚園の時でした。教会学校のミニカーが欲しくてたまらず、手に握りしめて盗み持ち帰った時でした。教会学校の先生、母親に、そのミニカーは私のではない事、盗みは罪である事、天地を創造された神様はすべてをお見通しである事。そして、神様に背いた人がどうなるのかを教えられました。

罪人は裁かれる事(ヨハネの黙示録20章:15節)「このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた」

しかし、イエス様は私の罪のため、私の代わりに十字架にかかり罪を贖ってくださった事。その贖いを受けるためには、自分の口で罪を認め、神様を信じることを教えてくださいました。

(ヨハネ第一の手紙1章:9節)「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」

幼稚園児であった私は、神様に泣いて罪を告白し悔い改め、神様を信じる信仰告白をしました。その後の神様との関係は山あり谷ありです。御影神愛キリスト教会へは小学1年の時に姉の高校受験ため父が単身アメリカに残り日本に戻ることになり、西宮の仁川から御影へ阪急電車で母に連れられ遅刻しても最前列に座る母親の隣に座り礼拝に出席していました。

小学校の高学年になり、父がアメリカから戻り車で教会で行くようになりました。父はノンクリスチャンであったため、礼拝中は時間をつぶして、礼拝後迎えに来て、車で帰るようになりました。

日曜日には礼拝に出て帰る習慣となっていましたが、中学に入り、西宮から大阪に引越しました。大阪に引っ越し後は、石橋の神愛キリスト教会や単立の教会に通ってはいたのですが、反抗期が重なり徐々に教会から離れていきました。

中学生の時には、教会から完全に離れ、朝起きて祈ることもせず、聖書も読まず親に反抗し世的な生活を送っていました。罪を罪とも思っていない生活の状況下で、再び神様の元へ立ち返る機会があり悔い改めて、洗礼を受けたら何か変わるのではないかと思い洗礼を受けたのですが、何も変わらない感じがしました。劇的に変わるとかなく、高校生活でも夢も希望もないような生活をしてしまいました。

(No vision the people perish 箴言29章:18節(ビジョンのなき民は滅びる)

頭で神様のことは知っているが、洗礼を受けてから、聖書をちゃんと読むとかせず、名ばかりクリスチャンのような生活をしている中で全国聖会や、聖霊待望会などにも参加したりしても、何も変わらないなと思っていました。

そんな日々を過ごしている時、母親の神様に対する態度を見て、自分自身が頑張っている事に気が付きました。就職活動を始めたのですが、就職氷河期真っただ中と世間で言われていた状況下でしたので不安でした。毎晩神様に就職先について祈り求めました。

しかし、明確に答えが出ず、10,20社と受けていくうちに不安が募っていきました。2次、3次審査に進んだ会社、内定をもらった会社もありましたが、全然平安がなく、断りました。

しかし、神様は平安の時を用意してくれていました。今の就職先ですが、最終面接を受け終えたドアを閉めた時に、なぜか受かったと確信があり「ここですかと」尋ねると、にっこりと神様が微笑んでくれているような気がしました。

その時から平安があり、翌々日あたりに内定の電話があり即答でお願いしますと言いました。感謝で一杯でした。それまでは「神様、お願いします」の一辺倒の祈りでしたが、神様にゆだねる事、神様に尋ねる事、神様の前に静まって聴く事を学ばされました。

社会人になってからも、完全に自我が死んでいないことに気が付かされることがありました。社会人4年目に人事評価について、感情に任せてブチ切れて辞表を叩きつけ…。辞表を叩きつけた後に平安が無いこと、神様の悲しむ姿を気が付かされ、祈り求めて、平安の内に神様に与えられた職場を自分の手で捨てるのかと問いがあり、自分の愚かさを認め2日後に取り下げてもらった事もありました。

幸いにも、母の書棚には信仰本が沢山あり、通勤時間に読もうと思い読み出しました。十一献金について、お金だけではなく自分自身の時間を神様に捧げることが、書かれており、24時間の十分の一は無理やわと思い、少しずつでも神様との時間を設けるようにしていきました。

神様は愛である、祝福してくださる神と小さい時から聞いていた半面、神様に対する畏れがありました。特に旧約聖書に神様に背いた人たちがどうなったのか記載されているためです。

「あなたがたの神、主を試みてはならない」申命記6章16節

み言葉に主なる神を試みてはならないと書かれていましたが、神様第一にして生活してみたら、ホンマ祝福してくれるんかなと期待をもって神様を試みたことがありました。神様中心になるように生活をシフトする。

「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ6章:33)

おのずと神様は祝福してくださり、教会の青年部の活動を通して妻となる女性とも知り合い結婚しました。結婚して、父と母と姉と私と妻の5人で父の実家である富山へ行った帰りの高速道路のトンネルを抜けた道が凍結しておりでスリップした時、スピンして中央分離帯にぶつかって止まったのですが、大雪がクッションになり全員無事で車に傷一つなく神様に守られていると家族そろって主を賛美しました。

結婚後も人事評価に対する不平不満もあったりしましたが、娘が与えられ、単身赴任、仕事も祝福してくださり、二人目の娘も与えられました。神様にゆだねて生きると決める前までは、うまくいっているような気がしていただけで、それは最善の道ではなかったとはっきり理解することができました。

最後に「わたしたちは、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである」ローマ14章8節

2017年10月 “神様との出会い”

 

“神様の導き” 

御影神愛キリスト教会員 河本ふさえ

 私は岡山県の北方、津山という小さな街で5人兄弟の長女として生まれ育ちました。勿論、キリスト教とは全く無縁の生活でした。結婚し3人の男の子に恵まれ、子どもたちを丈夫に育てたいという思いから、友人に誘われ有機無農薬の野菜の会に入り、その活動の中で数人のクリスチャンの方とのはじめての出会いがありました。その方たちの穏やかな人柄に惹かれて誘われるままに家庭集会に出たりしていました。

 そんな時、私は子宮ガンの宣告を受け、手術を受けることになりました。下の子供が小学校6年生の時です。「どうして私が!」今まで信じていなかった神様を恨んだり、布団の中で涙したりしていました。そんな時、親しくしていたクリスチャンの友人に頂いた手紙にずいぶん励まされ、また心に平安をいただきました、また、同室にクリスチャンの方がおられ、「手術後は痛みがあると思います。こう祈ってみてください。」と祈りの言葉を教えていただき、手術後は教えられたとおり祈りを繰り返しました。そして一度も痛み止めの注射を打っていただくことはありませんでした。このことは私の不思議な体験です。

退院後、近くの教会に通い始めましたが、忙しさに紛れ、いつの間にかそれも遠のいてしまいました。

 子どもたちは順調に成長し社会人となりそれぞれ結婚しました。それは喜ぶべきことなのですが、私の心にはぽっかり穴が開いたようで寂しさを覚え、また人との関係においてもつまずきを覚えるようになりました。

自分なりに努力してもなかなか通じ合わず、夜も眠れなくなりました。そんなとき、「教会に行ってみよう!」との思いが沸き上がり、主人の姪を通して、クリスマスなどで行ったことのあった御影神愛キリスト教会に導かれました。

 その時の牧師先生のお話は「神はあなた方をかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい」(ペテロの第一の手紙5章7節)でした。

大勢の方たちの前でのメッセージなのに、私一人のために語ってくださっているように思えました。聞いているうちに涙でいっぱいになり、重かった心がスーッと霧が晴れるように軽くなりました。帰り道は心も足取りも軽くなり、来てよかったと思いました。

 それから日曜毎に1日も欠かさず教会に通い、1年半後に主人の承諾を得て洗礼を受けました(と言っても主人は長男であり先祖を守る立場にありましたから渋々ながらの承諾です)。キリスト教とは全く無縁だった私でしたが、神様は様々な人を通して私に呼びかけてくださっていたことを想います。「全てのことに時がある」と聖書にあります。時間がかかりましたがこうして神様のもとへと導かれたことを感謝しています。神様を信じ、神様に全てを委ねて生きていくことで、今はいつも心に平安をいただいて過ごせています。感謝!

 次に主人のことを書かせてください。主人のためにも教会の方々と共に祈り続けていましたが、かたくなに心を閉ざしていました。昨年は入退院を繰り返し、病床の中で「僕は天国へ行けないかな~」と弱音を吐くようになりました。そんな時、お見舞いに来て下さった牧師先生の「イエス様を信じますか」との問いに「ハイ!信じます!」全身の力をふりしぼって信仰告白をし、病床洗礼を受けました。

その2週間後、主人は天国へと旅立ちました。神様は祈りに必ず応えて下さることを実感し、感謝で一杯です。

「なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすればそのとおりになるであろう。」(マルコによる福音書11章24節)

2018年1月 “神様との出会い”

“主の山に備えあり”

昨年のクリスマスで、私は2001年12月に青森市の教会で洗礼を受けて16年になります。今回は「教会だより1月号」への寄稿の声を掛けていただき、主と出会い過ごした時間を振り返りたいと思います。少しお付き合いいただければ幸いです。

私は今年で49歳になります。幼少は父が百貨店に勤めており、転勤で香港で小学生4年生までの5年間を過ごしました。当時は、父の会社が香港日本人倶楽部で毎年、従業員の家族を招きクリスマス会を催し、その時に子供は精一杯のおめかしをして大きなプレゼントを貰います。

当然ながらクリスマスの意味を理解していませんでしたが、今でも非常に楽しみにしていたことを鮮明に覚えております。

そんな私が教会と縁を持ったのは、妻と1998年に結婚した大津支店の時です。翌年に長女を授かりました。産後に妻の調子が悪く、連れられて近くの教会に行くようになってからです。今までは運よく思い通りに物事を進めていた私にとって初めて努力しても展望が開けない経験でした。1年程でしょうか、夫婦で祈りました。

そんな中で2000年の年末に青森支店に転勤の辞令が出ました。その冬は特に寒く、引っ越しで届く荷物は凍っており、関西で育った私たちは自然の厳しさを感じました。長女の幼稚園を決めるのに教会の付属であることを妻が望みましたので青森バブテスト教会の礼拝に親子で出席するようになりました。

初めて迎えた青森の春は冬の反動もありそれは素晴らしいものでした。雪解けの後、4月から5月にかけて梅、桜、林檎の花が一斉に咲いていく様子には感動しました。そしてその年に洗礼を受けました。妻もすっかり回復し、私は主への感謝でいっぱいでした。その後、長男が生まれしばらくして神戸に越しました。

御影神愛キリスト教会へは大津の教会の紹介で伺いました。こちらで青森の教会の牧師にお名前をうかがっていたTさんに声を掛けていただき縁を感じお世話になることになりました。次女は神戸に来て翌年に生まれました。生まれた時に心臓に疾患が見つかり直ぐに手術を行いました。その時は教会の皆様方の祈りに支えていただき有難うございました。早いもので2月に次女も11歳になり、今では我が家のム-ドメ-カ-です。

現在は勤務先が岸和田になり、毎日、神戸の自宅から通っております。ここ数年感じるのは観光客の増加です。朝の7時過ぎの特急ラピ-トが満席になり百貨店も売り上げが増加しているようです。仕事が証券会社の営業ですので変化を感じる毎日ですが、これからが楽しみです。

今迄も色々な困難、試練がございましたがこれも主からのプレゼントであったと今では感じます。これからもピンチはチャンスと信じて祈り主に尽くしてまいろうと思います。
「主の山に備えあり」(創世記 22:14)

最後に妻と子どもたちに「ありがとう」と感謝の言葉で終わりたいと思います。

2017年9月 “神様との出会い”

御影神愛キリスト教会員 高倉 紀子

 私が初めて教会に行くきっかけとなったのは、高校2年生のときです。学校から帰ると、郵便ポストに、「中高生のつどい 6月1日(日)午後4時」と書かれてあるチラシと、当時、人気音楽グループ“ゴダイゴ”のメンバーであったスティーブ・フォックスさんのメッセージが入っていました。

その頃の私は、友人関係がうまくいかず、鬱(うつ)になっており、学校に行くのが嫌で仕方がありませんでした。音楽を聴くのが好きで、ラジオも勉強しながらよく聴いていました。朝5時過ぎから、ラジオ関西の“ルーテルアワー 心に光を”を時々聴いており、キリスト教に少し興味を持つようになっていました。

メッセージの中に「神様を信じることで、君の問題が解決できないほど複雑だと思い違いをしないでほしい。」

「イエスは言われた、『人にはそれはできないが、神には何でもできないことはない。』」マタイ19:26

この個所を読んで私は、神様を信じたら解決できるのかなと思い、すがる気持ちで教会へ行きました。しかし、初めてのところに一人で入るのはとても勇気がいります。

教会の入口に立っておられた一人の女性が声をかけてくださり、中へ連れて行ってくださいました。礼拝堂に入ると、二人の女性が暖かく迎えてくださいました。そのとき、ここは世の中とは、かけ離れた別世界に来たような印象を持ちました。

牧師先生のメッセージを聞いているうちに、今まで自分がしてきた良くない行い等が思い出され、涙が出てきて心から悔い改めました。信じると決心した人は前に出て来て下さいとの招きに、前に出て行き祈っていただきました。

それから毎週、日曜学校と礼拝に出席するようになり、その年の12月7日に洗礼を受けました。徐々に鬱も治り、友人関係も少しずつ回復していきました。

私の家は、先祖代々の仏壇があり仏教徒でした。洗礼を受ける時も相談せず、あとで報告すると反対はされませんでした。2年間通いましたが、人見知りする性格なので、中々馴染めず教会に行かなくなってしまいました。10年間、神様から離れていました。

その間、同居していた父方の祖母が亡くなり、仕事に行き詰まりを感じるようになっていた時、昔、教会に行っていたことを思い出し、再び教会へ行きました。イースターの日でしたが、今さら行っても入れてもらえるだろうかと不安でしたが、入口に日曜学校でお世話になっていた先生と同クラスだった女性の方が私に気付いてくださり、とても喜んでくださり、ほっとしました。

3年後、阪神淡路大震災に遭い、私の家は全壊し、家を再建する間、父の単身赴任先の高松に1ヶ月、借家の石橋で1年間暮らしました。偶然、高松も石橋も、家のそばに教会があり、礼拝に出席することができました。

昨年、父が亡くなりましたが、危篤状態になったとき、牧師先生や教会の方々に祈っていただき、私がイエス様のことを語ったところ、父がイエス様を信じる決心をしてこの世を去りました。母も礼拝に出席するようになり、いつかは弟家族も、神様のタイミングで救ってくださると信じ、祈り続けて行きます。

「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。」
使徒行伝16:31