Mikage Shinai Christ Church

教会だより

2020年5月「いつまでも残るもの 」

御影神愛キリスト教会 牧師  瀬古 慎二

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。」

コリント人への第一の手紙13:4~8

 

  新型コロナウイルスの感染の拡大が始まって、2か月ほどになるでしょうか。多くの方々が不安や恐れの中にあることと思います。こういった状況になると、それぞれ人の持っているものが如実に露わになって来るものかと思わされます。先日、ある町で、家族の中でコロナに感染した人がいるというのが分かったため、その家族は町中の人から白い目で見られ、誹謗中傷を受けたそうです。確かに誰もが見えない恐怖に恐れを抱くのはわかります。しかし、コロナ以上に恐ろしいのは、そのような人の思いではないかと思わされます。

  しかし、また反対に良い心を持って生きる人もいます。このような状況の中にあっても、人への感謝、人への親切を忘れずに、人を励まし、支え合う人たちもいます。ある国での出来事ですが、病院で清掃のお仕事をされている方が、仕事を終えて帰宅すると、アパートの住人たちが、その方がフロアを一階上がるごとに、その方を拍手で迎えてくれたというのです。なんと心温まるお話でしょうか。

  私たちが、問題や恐れを乗り越える力、それは、互いに思いやる愛の力ではないでしょうか。私たちは自分のことばかりではなく、他の人のことを思いやる心、大切に思う心を忘れずに生きていきたいものです。そして、その愛の力を与えて下さる方こそ、神様なのです。なぜなら、「神は愛である。」(聖書)からです。私たちが、愛の源である神様を信じ、神様と共に生きるとき、神様からいただく愛によって、人々にも愛を分かち合うことができる人に変えられていくのです。神様を信じて歩んでいきましょう。そして、この困難を共に乗り越えていきましょう。

  皆様の上に神様の限りない愛と恵みがありますよう祝福をお祈りしています。

2020年5月「夫を失った私を守って下さった神様」

御影神愛キリスト教会員 K

 結婚して12年目に夫が交通事故により他界しました。それがイエス様を信じるきっかけとなりました。それまでの私は、生まれつきの聴覚障害者でしたが、負けず嫌いで、我慢強い性格であったせいか、色々な問題や悩みがあっても、努力したり我慢したりして解決したつもりで、神様を信じようとは思いませんでした。ところが、いつものように元気に車を運転して仕事に出かけた夫が、夜遅く帰る途中、突然の交通事故であっという間にいなくなったので、悪夢を見ているのか、喧嘩ばかりしていた私のせいでこんな事になったのかと思ったりして、恐ろしくてたまりませんでした。多くの友達に慰められたけど、一人になると涙が出て、とても辛かった。その時の息子は、まだ9歳で小学3年生でした。一人息子なので、私一人で育てていけるか、将来はどうなるか、非行に走らないかなど、次から次へ心配事が湧いてきて不安でたまりませんでした。

 そんな時に、クリスチャンの友達に誘われて教会へ行くようになりました。聖書のみことばに、

「主を信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」

使徒16:31

とあったので、神様にすがりたい気持ちになりました。そして一年後の夏に洗礼を受けました。それからもう33年・・・その33年間を振り返ってみると、本当に波乱万丈、色々な事がありました。交通事故、詐欺被害、転職、引越し、会社での人間関係等、色々なトラブルがあり、困難で苦しかったことが何度もありました。しかし、神様にお祈りすると、その度に助けられ解決していったのです。

その2つをお話しさせていただきたいと思います。

(1) 詐欺の事:夫が亡くなった後、知らないヤクザっぽい男性三人が突然家に来られ、亡夫に貸した500万円を返せと借用書を出してしつこく脅かされた事があったので、本当か?と亡夫の友達に確認に行ったり警察に助けを求めたりしたけど、解決出来ず困りました。教会の先生に相談して、紹介して下さった弁護士さんのアドバイスにより、無事に損害もなく解決出来たのです。助かった、詐欺の恐怖から守られたと安堵しました。

(2) 就職の事:昔から障害者だから事務職は無理だと言われましたが、夢に見ていた一流建築会社になんと入社出来たことに、驚きと喜びも忘れられませんでした。人間関係や仕事の厳しさなど色々の苦労もあったけど、何とか定年退職まで続ける事が出来ました。いつもお祈りして神様に聞いていただいて守られたのだと感じました。

「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」

コリント第一10:13

 大きくなった息子も、高校一年の時に洗礼を受けました。今は、神様から与えられた賜り物をいかした仕事に就き、6年前に独立、デザイン事務所を設立して頑張っています。それから息子の妻も、結婚する前に神様を信じて洗礼を受けました。私の良き話し相手になってくれています。
 イエス様のお陰で、今も心は平安です。いつも神様に感謝しています。ハレルヤ!

2020年4月「神様のご計画」

御影神愛キリスト教会員 下田政子

  1983年のある日、会社の帰りバイクで阪神住吉駅付近まで来た時、御影神愛キリスト教会婦人部主催の「米子さん」という映画の看板が目にとまりました。少し前、当時、鳥取県米子に在住の甥から「米子さん」の小さな冊子を送って来ていて読んでいたのです。その時、初めて家の近くに教会がある事を知ったのです。

映画会は午前中で、当日、会社を抜け出して映画を観に行きました。そしてその夜、早速、甥に米子さんの映画を観に行った事を手紙に書き知らせました。甥は非常に喜んで、それ以降、いろいろな御言葉が書かれた絵葉書を送ってくれました。このように神様は不思議な出来事を体験させて下さるお方です。もし米子さんの冊子が届いていなかったら、また婦人部の特伝の映画がなかったら、御影の教会を知る事もなかったのです。

その後、受洗講座を受け、洗礼式には甥と婚約者が来る事になっていましたが、教会の都合で早くなり、それは叶いませんでした。ですから、その一週間後、二人と共に教会の礼拝に行き、礼拝後、杉本牧師夫妻、甥、婚約者、瀬古さんと一緒に玄関で写真撮影し、良い記念写真となりました。

甥の証しとなりますが、甥は鳥取大医学部5年生の冬のクリスマス・イブの日、たまたま散歩道にあった福音ルーテル教会を訪れ、翌年4月19日のイースター礼拝の日に受洗、その後、家族と親族の救いの為に祈っていましたので、感謝なことに主はまず最初に叔母の私を信仰に導いて下さいました。私は幼い頃から甥を可愛がっていたのでとても嬉しく思いました。その後、甥の妹二人も救われました。彼は鳥取の病院に勤務して4年程経った頃に、キリスト教主義の病院で働きたいという思いが湧いてきて、祈っていたところ、沖縄の親友から来ないかと声がかかり、沖縄の琉球大学の精神科医局に入局し、研修を受けた後、医療法人葦の会オリブ山病院に就職しました。その病院は職員の40%がクリスチャンとの事でした。何年か後、鎌倉に移住し日本基督教団鎌倉雪ノ下教会客員として、奥さんは子供から手が離れ小説を書いています。その中の一冊に「勝海舟とキリスト教」があり、その他もすべて福音関係の小説です。叔母として大変誇りです。

そんな中、旧会堂の頃には毎月、杉本牧師先生より会堂前に貼り出す御言葉を聞き、筆で書いていました。私にとっていろいろな面で勉強になりましたので、最後に一言、心から感謝させて頂きます。

私の好きな御言葉 「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。」 

2020年4月「イースターを前に 」

御影神愛キリスト教会 伝道師  杉本満子

 

  四月と言えば日本では新年度の始まりですね。学校も企業もみな新しいステップを踏み出すのではないでしょうか?「ピッカピカの一年生」とか「フレッシュマン」という言葉を耳にすると、何か心が躍る明るい気持ちになりますね。けれども今年はどうでしょう。新型コロナウイルスによる感染症が世界中に蔓延して、私たちも何時感染するか?わからない状況にまでなっています。

 聖書の中にこのようなみ言葉があります。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。また大地震があり、あちこちに疫病やききんが起り、いろいろ恐ろしいことや天からの物すごい前兆があるであろう。」ルカ21:10~11

 このみ言葉は、今の時代の終わりが近づいていることを言っているのです。時々聞く言葉に「末の世」と言うのがありますね。この世界は永遠に続くものではなく、何時の日か終わりの時が来る。と言うことを多くの人は漠然と考えているのです。そうです、実際にこの世界には、世の終わりが来ると言うことを聖書は語っているのです。そして、その前兆を記して、警告を与えているのです。それでは、私たちはどうしたら良いのでしょうか?それは世界を創造し、私たち一人一人を造り、生かしていて下さる神様の許に帰ることです。人類は、神様と共に生きるようにと、神様によって造られたのです。けれども多くの人々は、この神様を信じることなく自分の思うように生活しているのです。このことを聖書は罪とよんでいるのです。この罪を持ったまま、人は天国、即ち神の許に行くことは出来ません。そこで人々の罪を赦し、みんなが天国に行けるようにとイエスキリスト様がご自分を犠牲にして、私たち人間の罪を代わりに背負って、十字架上で死んで下さったのです。しかし、死んだままではなく、三日目に墓から生き返って下さり、ご自分が神の御子であり、人類を罪から救う者であることを示されたのです。ですから私たちは、このイエスキリスト様を「わたしの救い主」「わたしの罪を赦して天国に導いて下さる方」と信じて、従うなら、わたしたちの罪は赦され、神の子となることが出来るのです。

 イエスキリスト様は、あなたのため、わたしのために十字架の苦しみを経験し、死んで三日目に生き返って下さったのです。教会では、この日をイースターと言って私たちクリスチャンの喜びの日、感謝の日となっているのです。

 今年のイースターは四月十二日です。あなたもこの救い主イエス・キリスト様を信じて新しいステップを踏み出して下さい。共にイースターを祝いましょう。

 

2020年3月「自分の弱さを愛すること」

御影神愛キリスト教会員 久保祐輝

「生まれることはできなかったけど、祐輝には双子の兄弟がいたんだよ」

 おぼろげではありますが、物心が付いた頃にそう親から教わった事を、僕は覚えています。それを聞いた当時の僕は、その事実の裏にあったであろう大人達の悲しみや、悔しさの思いを想像する力もなく、「そうなんだ、会ってみたかったな」といった感想を抱くことしか出来ませんでした。しかし、クリスチャンの家庭に生まれ、教会で聖書の教えに触れていた僕は、神様とそのご計画の存在を知ると共に、こういう疑問を持つようになりました。どうして神様は僕を選んで下さったんだろう。

小さい頃の僕はとても泣き虫でした。事あるごとに泣きわめいていたので、思い返すとちょっとした名物だったんだろうなと笑ってしまいます。ですがその本質は、どうしたのと駆け寄ってもらう事で周囲からの愛情を確かめること、または上手くいかない事に対するいらだちを吐き出すこと、にあったと思います。この頃から僕は、自分を主張する事が苦手でした。そういった弱さを自覚し始めた頃、僕は自分の事を好きになれなくなりました。包み隠さず言うなれば、いらちで、ものぐさで、負けず嫌い、注意散漫等、こんなちっぽけな自分を知られるくらいなら、押し黙って良い子を貫いていた方がましだ。本気でそんなことを思い、自分の殻にとじ込もっていました。

そんな僕が変わるきっかけとなったものは、大学生の頃始めた音楽です。幼い頃から教会で歌や奏楽に触れていたため、音楽自体に興味はあったものの、気恥ずかしさから一歩踏み出せない状態にいました。ですが、何故かその時は固い意志を持って楽器を手に取る事が出来たのです。

そして、教会でも憧れだった奏楽の奉仕を与えられるようになったのですが、逆に、当時の僕にとってはそれが想像以上の重荷となっていきました。技術的な問題もありましたが、それ以前に、会堂中に響く音で演奏をすることが、今まで押し隠していた自分をさらけだすような感覚であることに気が付き、抵抗を覚えるようになったからです。そうやって、悩むようになっていた頃からでした。聖書の言葉や、礼拝で語られる先生のメッセージが響いて鳴り止まない、という経験を何度もするようになりました。今まで他人事のように聞いていた言葉が、自分に向けてのものだと思えるようになりました。

 

 『ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。』                          コリント人への第二の手紙 12:9

 

神様が、僕の双子の兄弟であった彼を先に引き上げられたのは悲しい事実ではありますが、同時に弱い僕を選んで用いて下さったという事実でもあります。これからの僕は、神様に愛されている事実に胸を張って、笑顔で賛美を捧げていきたいです。