Mikage Shinai Christ Church

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2020年7月「見えないものに目をとめて 」

御影神愛キリスト教会 牧師  瀬古慎二 

 

 私たち、人間が生きていくために必要なものとは何でしょうか。食料や水、着る物や住居といった物質的な必要もあるでしょう。しかし、本当に人が人として生きていくためには、目には見えませんが、愛や希望といった欠かすことのできないものがあると思います。今回は、特に希望について考えてみたいと思います。私たち人間が生きていくためには、希望が必要である、というのは誰もが認めるところではないかと思います。しかし、この希望も何に信頼を置くかで大きく変わってくると思います。もし、不確かな、移り変わりやすいものに信頼を置いているなら、その希望もいつか失望に変わる可能性があるでしょう。私たちは、確かなもの、永遠に変わることのないものに信頼を置き、希望を見出す必要があると思います。

 

 皆さんは、「夜と霧」という本をご存知かと思います。この本は、ユダヤ人で精神科医であったビクトール・フランクルという方が、第二次世界大戦中にナチスの強制収容所で収容されていた時のことを書いたものです。彼が、強制収容所に収容されていた時、こんなことがあったそうです。それは、1944年12月のことです。クリスマスから新年に掛けての期間、収容所内で未だかつてないほどに大勢の死者が出たそうです。なぜ、そんなに大勢の人が亡くなったのでしょうか。その理由は、過酷な労働でも、飢餓でも、伝染病でもなかったそうです。ある時、どこからともなく「クリスマスには休暇が出て、家に帰ることができる。私たちは解放される。」といううわさが収容所内に拡がったのです。そのうわさを信じた人たちは、期待を胸にクリスマスを待ち望んでいたのです。しかし、その期待は見事に裏切られてしまいました。クリスマスに何も起きなかったのです。そして、うわさを信じていた人々は失望落胆し、力尽き、多くの死者を生むことになったのです。この話は人が生きるために希望がいかに必要であるかということを教えてくれます。それと同時に、不確かなものに信頼を置くなら、失望落胆する時がやって来るということも教えていると思います。

 

 私たちは、確かな変わることのないものに信頼を置き、希望を見出す必要あるのです。それでは、確かな希望を与えてくれるものとは何でしょうか。聖書は、こう言っています。

 

「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」(Ⅰコリント4:18) 

 

この見えないものというのは、神様のことです。神様は目には見えませんが、確かにおられて変わることなく、私たちを助け、励まし、最善の道へと導いて下さる方なのです。この神様に信頼を置く人は、決して希望が失望に終わることはないのです。

 フランクルの話にもどりますが、あの過酷な収容所で生き残った人たちがいます。その人たちの特徴は、感受性豊かな人たちであり、神様を信じ、神様に祈る人たちだったそうです。彼らは、収容所に入っても、その心の自由は奪われてはいませんでした。彼らは、神様に祈り、神様を礼拝する時に自由が与えられ、生きる力、希望が与えられていたというのです。

 

 どうが、皆さんも目には見えませんが、確かに生きて働いておられる神様を信じ、神様にある希望を受け取ってください。あなたの上に神様の限りない愛と恵みがありますよう祝福をお祈りしています。

2020年6月「新しいこと 」

御影神愛キリスト教会 伝道師   瀬古博子

 

  見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。(イザヤ43:19)
 
 この教会だよりが皆さんの手元に届くころには緊急事態宣言が解除されているでしょうか。そう願いますが、ここ数か月、私たちは今まで経験したことのないようなことを経験させられました。

 私自身は病気のためにあまり外に出かけず、家にこもりっきりの生活をしていました。3月位からコンスタントに礼拝に出席し、4月位からは日曜日の午後の集まりに出て、等と計画を立てていましたが、3月の上旬には「リスクのある方は礼拝に来ないように」との教会方針となり、4月イースターからは「教会での礼拝はなくなりました、インターネットでどうぞ」という状態になりました。元気な方も家に居るようにという政府からのお達しの中で、生活が一変したのです。こんなことになるとは今年のお正月に誰が思っていたでしょうか。冒頭に挙げさせていただいた聖書の言葉は紀元前8世紀頃に書かれたイザヤ書からの抜粋であります。これは将来バビロン帝国が滅びることを預言して書かれているものではありますが、実はこれからの私たちが経験するであろうこととしても書かれているといわれているのです。

 ここに新しい事を神様がなされると書いてあります。新しい事とは心わくわくさせるものであり、期待感を生じさせます。内容は荒野に道を設け、さばくに川を流れさせるというのです。それでは荒野に道を設けるとはどういうことでしょうか。荒野とは砂漠と同じで岩や砂しかない不毛の地です。その不毛の地に道を設けるということはどういうことでしょうか。徐々に人の手で道を作っていくというより、一気に道が出来上がるという状況に思えます。その為に、今まで起こったことのないことが起こり、道が出来上がるのです。またさばくに川を流れさせるということもどういうことでしょうか。砂しかない場所にどこからか水の流れがやってきて、砂に吸収されることなく水が溜まり、流れとなっていくのです。この業は紅海を真っ二つに割って人を通らせるより、大きな奇跡でなければできることではないと、ある先生が言っておられたようですが、どちらも人の考えでは、また今までの常識ではありえないことが起こるというのです。

 そんなことが起こるはずがないと今までの私たちなら思っていたかも知れません。でも昨今、当たり前と思っていたことが当たり前でなくなり、起こってはおかしいことが起こることを経験している私たちにとってはあり得ると考えられるのではないでしょうか。

 これから神様が私たちに何をされようとしているのかは私にも皆さんにもわからないでしょう。でも、大きな御手をもって祝福を与えようとする時に、それを神様からの祝福と認識して、受け取りたいと思いませんか。ぜひ、心のチャンネルを神様に合わせて、新しい事がいつ来ても良いように準備しましょう。

2020年5月「いつまでも残るもの 」

御影神愛キリスト教会 牧師  瀬古 慎二

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。」

コリント人への第一の手紙13:4~8

 

  新型コロナウイルスの感染の拡大が始まって、2か月ほどになるでしょうか。多くの方々が不安や恐れの中にあることと思います。こういった状況になると、それぞれ人の持っているものが如実に露わになって来るものかと思わされます。先日、ある町で、家族の中でコロナに感染した人がいるというのが分かったため、その家族は町中の人から白い目で見られ、誹謗中傷を受けたそうです。確かに誰もが見えない恐怖に恐れを抱くのはわかります。しかし、コロナ以上に恐ろしいのは、そのような人の思いではないかと思わされます。

  しかし、また反対に良い心を持って生きる人もいます。このような状況の中にあっても、人への感謝、人への親切を忘れずに、人を励まし、支え合う人たちもいます。ある国での出来事ですが、病院で清掃のお仕事をされている方が、仕事を終えて帰宅すると、アパートの住人たちが、その方がフロアを一階上がるごとに、その方を拍手で迎えてくれたというのです。なんと心温まるお話でしょうか。

  私たちが、問題や恐れを乗り越える力、それは、互いに思いやる愛の力ではないでしょうか。私たちは自分のことばかりではなく、他の人のことを思いやる心、大切に思う心を忘れずに生きていきたいものです。そして、その愛の力を与えて下さる方こそ、神様なのです。なぜなら、「神は愛である。」(聖書)からです。私たちが、愛の源である神様を信じ、神様と共に生きるとき、神様からいただく愛によって、人々にも愛を分かち合うことができる人に変えられていくのです。神様を信じて歩んでいきましょう。そして、この困難を共に乗り越えていきましょう。

  皆様の上に神様の限りない愛と恵みがありますよう祝福をお祈りしています。

2020年4月「イースターを前に 」

御影神愛キリスト教会 伝道師  杉本満子

 

  四月と言えば日本では新年度の始まりですね。学校も企業もみな新しいステップを踏み出すのではないでしょうか?「ピッカピカの一年生」とか「フレッシュマン」という言葉を耳にすると、何か心が躍る明るい気持ちになりますね。けれども今年はどうでしょう。新型コロナウイルスによる感染症が世界中に蔓延して、私たちも何時感染するか?わからない状況にまでなっています。

 聖書の中にこのようなみ言葉があります。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。また大地震があり、あちこちに疫病やききんが起り、いろいろ恐ろしいことや天からの物すごい前兆があるであろう。」ルカ21:10~11

 このみ言葉は、今の時代の終わりが近づいていることを言っているのです。時々聞く言葉に「末の世」と言うのがありますね。この世界は永遠に続くものではなく、何時の日か終わりの時が来る。と言うことを多くの人は漠然と考えているのです。そうです、実際にこの世界には、世の終わりが来ると言うことを聖書は語っているのです。そして、その前兆を記して、警告を与えているのです。それでは、私たちはどうしたら良いのでしょうか?それは世界を創造し、私たち一人一人を造り、生かしていて下さる神様の許に帰ることです。人類は、神様と共に生きるようにと、神様によって造られたのです。けれども多くの人々は、この神様を信じることなく自分の思うように生活しているのです。このことを聖書は罪とよんでいるのです。この罪を持ったまま、人は天国、即ち神の許に行くことは出来ません。そこで人々の罪を赦し、みんなが天国に行けるようにとイエスキリスト様がご自分を犠牲にして、私たち人間の罪を代わりに背負って、十字架上で死んで下さったのです。しかし、死んだままではなく、三日目に墓から生き返って下さり、ご自分が神の御子であり、人類を罪から救う者であることを示されたのです。ですから私たちは、このイエスキリスト様を「わたしの救い主」「わたしの罪を赦して天国に導いて下さる方」と信じて、従うなら、わたしたちの罪は赦され、神の子となることが出来るのです。

 イエスキリスト様は、あなたのため、わたしのために十字架の苦しみを経験し、死んで三日目に生き返って下さったのです。教会では、この日をイースターと言って私たちクリスチャンの喜びの日、感謝の日となっているのです。

 今年のイースターは四月十二日です。あなたもこの救い主イエス・キリスト様を信じて新しいステップを踏み出して下さい。共にイースターを祝いましょう。

 

2020年3月「 正しい選択 」

御影神愛キリスト教会 伝道師 瀬古博子 

「心をつくして主に信頼せよ」(箴言3:5)

 私の癌との付き合いが始まってから半年ほどの月日が経ちました。半年というのは癌を患っておられる方にとったら短い期間になると思いますが、私にとってはとても長く、また色々なことを経験させられた期間でした。

 最初の頃は、何も頑張らずに平安が与えられ、すべてが感謝でした。しかし、闘病生活が長くなっていく中で、下痢の苦しみ、食べては吐くことを繰り返す苦しみ、体力がなくなり立つこともできなくなる苦しみ、身の置き所の分からなくなる苦しみ、また病室から聞こえてくる他の患者さんからの愚痴を聞かなければならない苦しみ…このような苦しみを経験する中で、何度も神様に苦しさを訴えたり、早くここから脱出させてくれないことへの恨みごとを言ったりと口から良くないものが出るようになりました。それでも神様は愛の神であって、その時その時、状態に合った薬を与えて下さったり、人を連れて来てくださったり、聖書の言葉で励まして下さったりと、助けを与えて下さるということを何度も経験しました。

 しかし、神様への信仰を持ったり、失ったりの繰り返しをするようになっていました。 信仰を持てる時は前向きになり元気になれるのですが、信仰を失う時は、もともとしんどい時に失うのですから、考えることは否定的です。そのため、ますます病状を悪くさせていたのではないかと思います。

 最近、なぜ病気になった当初はあれだけ前向きに信仰を持てていたのに、今は上がったり下がったりの繰り返しをしていて、何が違うのかを考えるようになりました。そして出た結論が「選択」でした。当初は神様の憐れみで私が選択しなくても、神様が私に信仰を与えて下さったので、努力することなく信仰を持ち、前向きに感謝が出来ていました。

 でも今はその段階が終わり、正しい選択を自分でするようにという神様からの新しいチャレンジなのだということに気が付いたのです。状況に関係なく神様を信頼する・・・具体的には神様は良い神であって、必ず私に良いことをしてくださると信じることを自分の判断によって選び取らなければならないことがわかったのです。それからはどんな状況になっても私は正しい選択をすることを神様の前に決断し、誓いました。そうするとやはり心は平安になり感謝が出てくるのです。多分、これからの治療などによって辛い時に悪い選択をするようにという誘惑がやってくると思いますが、その時もやはり正しい選択をし続けようと思っています。そしてその苦しさの中での神様の愛をもっと体験出来たらと期待しています。

 正しい選択をすると必ず心に平安がやって来ます。皆さんもぜひ状況に関係なく正しい選択をしませんか。

 

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