Mikage Shinai Christ Church

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2019年9月「御子(イエス様)を信じる者は滅びない」

御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本俊輔

私をイエス・キリスト様を信じる信仰に導いてくれた牧師先生には、六人のお子さんが居ました。お子さんたちは、大変優秀で評判の良い子供達でした。後に全員牧師や牧師夫人になり、神様に仕える者になっています。だいぶ昔のことですが、ご長男のK先生の証を聞きました。

「私は終戦の年、昭和20年H市で生まれました。父は牧師、母も祖父母もクリスチャンでしたから、敗戦の困難な時代でも、家庭はキリスト様が中心でした。毎朝家庭礼拝があり、その中で父母はよくこんな話をしていました。『お父さんが牧師でもお母さんがどんなに一生懸命イエス様を信じていても、牧師の子供がそのまま天国にいけるんじゃないよ。イエス様を信じなけりゃ地獄に行っちゃうよ。』しかし、幼かった私には、地獄はあまり関心のない所でした。あるかもしれない、せいぜいそんな感覚でした。ところが、私はやがて良心に引っかかってどうしても取れない一つの罪を犯してしまいました。それは父の教会の献金を盗んで使ってしまったことです。聖書の言葉で培われてきた良心がよみがえり、父にその罪を謝りました。しかし、心に平安がありませんでした。罪赦されたとの確信がなかったのでしょう。そして地獄が本当にあるような気になって不安でした。しかし、中学三年生の時、ある特別集会に出席しました。この時の講師先生は、『神はそのひとり子(イエス・キリスト)を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである』(ヨハネ3:16)と言う御言葉の中にあなたの名前を当てはめて言ってごらんなさいと言われました。そこで私は、「世」というところに自分の名前を当てはめて読んでみました。『神は・・・このKを愛して下さった・・・滅びないで永遠の命を得るためである』と。幼いころから何度も聞いたことのある神様の御言葉がその時初めて私のものとして実感しました。」と証されました。

イエス・キリスト様は、本当に素晴らしい神様です。信じる人を誰も差別しないで神の子として救ってくれるのですから。生まれや育ち行いに関係なく愛し赦して下さるのです。だから福音なのですね。

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」
マタイ11:28

さあ、愛の神様に自分の心と身を委ねましょう。

 

2019年7月 「すべての人を照らすまことの光」

御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古慎二

  聖書に「すべての人を照すまことの光があって、世にきた。」(ヨハネによる福音書1:9)

という言葉があります。ここで言われている「光」とは、何のことを言っているのでしょうか。それは、イエス・キリストのことを言っているのです。なぜイエス・キリストのことを「光」それも「まことの光」と言っているのでしょうか。

 

 それは、イエス・キリストは「光」のような方だからです。「光」というものは大変良いものです。夜、町を歩いていても街灯が道を照らしてくれていると安心して道を歩くことができます。また、光は、人間の健康維持や植物の成長のためにも必要なものです。また、強い光で顔を照らすと少々のしみやしわは見えなくしてしまう力もあります。

光が与えてくれる良い影響のことを考え出したら切りがありません。まさにイエス・キリストは、「光」のような方なのです。私たちの人生の道を照らしてくれる光なのです。イエス・キリストを信じて人生を歩んで行く時、私たちは、どこへ進んで行けば良いのか、何が正しく、何が間違っているかをハッキリと知ることができて安心して進んで行くことができるのです。

また、イエス・キリストは、私たちの内に生きる力を与えて下さる方です。また、私たちの心の中にしみのように染み込んでいる罪の性質もその光で照らし、きよめて下さる方なのです。

 

 そして、この光であるイエス・キリストは、「すべての人を照らすまことの光」としてこの世に来られたのです。すなわち、イエス・キリストは、約2000年前にユダヤに生まれたのですが、その当時のユダヤ人のためだけに来られたのではありません。時代を超え、あらゆる国民、民族、人種を超えてすべての人の光として来られたのです。

ですから、今日の私たちが、イエス・キリストを心に信じ受け入れ、自分の人生に来て頂くなら、だれでもこの光を自分の内に持つようになるのです。そして、人生に光を灯し、安心してその道を歩み、どんな時でも生きる力を頂き、罪からも解放された人生を生きることができるようになるのです。

あなたの人生にもまことの光であるイエス・キリストを迎えてみませんか。あなたの上に神様の祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。

 

2019年6月”進化論?創造論?”

御影神愛キリスト教会伝道師 瀬古 博子

 

 あなたは命あるものの起源を考えたことがありますか?多くの方が学校で習ったことを真実として進化論の方法でこの世の全てが造られたと思っておられるのではないでしょうか?

 

 起源についての「論」はいくつかあり、進化論はその中のひとつです。なぜか教科書では進化論以外を習うことはなく、進化論が正しいと私たち日本人は習ってきているのです。進化論は正しいのでしょうか?これを確かめる方法は今の私たちにはありません。しかし、進化論がなんであるのかの検証はできます。

 

進化論は一言で言うと「偶然の賜物」によって造られた世界です。数学的には不可能という偶然が重なり、空気ができ、命が生じ、人間が存在するようになったということなのです。それでは私たちの周りにある自然界、物、人間は必然的なものと言えるでしょうか?その答えは「いいえ」です。偶然にできたものなので、あっても良かったかもしれないけど、なくても良かったのです。私たちの存在価値は居ても居なくてもどちらでもいい存在なのだということになるのです。

 

 それでは聖書で言っている創造論はどうなのでしょうか?「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。」(創世記2:7)と書いてあり、人は神の手によって造られたと示しているのです。ただ形を神の手によって造られたのではなく、神と交わりを持つことができる為の霊である息を鼻に吹き入れられ、存在するようになったのです。そこには神にとって人間は居ても居なくてもいいと言う存在ではなく、わたしの友となって欲しいという神の強い人間に対する存在価値と目的を持って造られたということがわかるのです。

 

確かにこのことも事実であるかを確かめる術は私たちにはありません。しかし偶然に存在させられた存在価値と神の愛を注ぐ対象として造られた存在価値とどちらを握ることが私たちの幸せでしょうか?偶然に存在してしまったので、どのように生き、どのように死ぬのか誰も教えてくれない生き方をすることと、造りっぱなしではなく、私たちの人生の責任を持って導こうとして下さり、死後の面倒までみようとして下さっている神についていけばいいのだという生き方をするのとどちらが幸せなのでしょうか?

 

あなたは神に愛される為に造られ、神に与えられた目的があり今も生きているのです。

2018年12月”本当のクリスマス”

御影神愛キリスト教会  伝道師 瀬古博子

 

 12月になりました。12月といえば、年末、宝くじ、冬休み・・・・と思い出すことはたくさんあるかもしれませんが、クリスマスというのも思い出される上位に入るイベントではないでしょうか。

 皆さんにとってクリスマスはどういうものでしょうか。子供の頃は単純にプレゼントを貰えたり、ケーキを食べるチャンスをくれたりという楽しいイベントの時であると思います。青年期に入ると彼氏・彼女を作って時間を過ごす日であって、その相手を見つけられるとハッピーな日となり、見つけられなければ惨めさを感じる日であり、年が行けば値段に変動を与える日と、それぞれの立場でクリスマスを体感するのではと思います。それぞれ感じ方は違っても、華やかさや暖かさを感じるちょっとしたイベントになっているのではと思います。

それでは本当のクリスマス、またクリスマスの喜びの影に何があるのかを考えたいと思います。もともとクリスマスはイエス・キリストが生まれた誕生日であります。イエス・キリストは母マリヤからは生まれましたが、それは普通の人としての誕生ではなく、神の子であり神そのものであったのに人を救いに導くためにマリヤのお腹を借りて人として生まれてくださったのです。それまでイエス・キリストは神の子として天国で苦しさも悩みも病気も死もないところで生活をしていたのにも関わらず、罪の結果生じた苦しさや悩みや病気や死のあるこの地上に来て下さったのです。

 

そしてそれだけではなく、私たち人間を不幸にする根源の罪を処理するために十字架に掛かるという大きな目的のために生まれたのです。イエス・キリストの誕生日というのは彼にとって苦しみの第1歩の日だったのです。

 

このように考えるとクリスマスの華やかさや暖かさはイエス・キリストの犠牲の上に成り立つものといえるのではないでしょうか。でもその犠牲は私たちに与えられている愛の印であり、愛そのものであるのです。

 ぜひ、今年のクリスマスは「ただ楽しい時間を過ごす時」ではなく、イエス・キリストの犠牲があって与えられた時であるということを思い出していただきたいと思います。

『しかし、まだ罪人であった時、私達のためにキリストが死んで下さった事によって、神は私達に対する愛を示されたのである。』ローマ5:8

2018年11月”神は 『笑い』 で満たされる”

御影神愛キリスト教会  牧師 瀬古 慎二

 

 ことわざに「笑う門には福来る」という言葉があります。このことわざの意味は「いつもにこにこしていて笑いが満ちている人の家には自然と幸福がめぐって来る。」というものです。

  実際、いつもにこにこしている人というのは、見ているだけでも気持ちがいいものです。また自分自身も心から笑った時などは、実に清々しい気持ちになります。笑うという行為は、自分にも周りの人にも良い影響を与える力があるかと思います。また「笑い」の効用についていろいろ研究がされているようで、科学的にも「笑い」が私たちの身体に大変良い影響を与えてくれることが分かってきているようです。

 

例えば、糖尿病の患者に漫才を聞いてもらった後、血糖値を計ると数値が下がったそうです。また関節リウマチの患者に落語を聞いてもらったところリウマチを悪化させる物質の数値が下がり、その後も一か月ぐらい痛みが和らいだそうです。他にもがんの予防や気管支喘息、アトピー性皮膚炎、膠原病にも笑うことが役に立つと言われているそうです。聖書の中にもこのような言葉があります。「心の楽しみは良い薬である、たましいの憂いは骨を枯らす。」(箴言17:22)私たちは、心にいつも喜びを持って生きる者でありたいですね。ただ、私たちは人間です。時としていつも笑ってばかりもいられないということもあるかと思います。でもそんな私たちに神は、喜び、希望を与えたい、心からの「笑い」を与えたいと願っておられます。

 

聖書の中にアブラハムとサラという夫婦の物語があります。この夫婦には、一つの痛みがありました。この夫婦の間には子供がなかったのです。彼らは年も寄っていたので子供が与えられることはあきらめていました。しかし、そんな彼らに神は、子供を与えられたのです。そして、二人は子供に「イサク」という名前を付けました。「イサク」というのは「笑う」という意味です。彼らは、子供がないことをあきらめ、失望していました。しかし、神は彼らに子供を与え、失望を希望に変え、心からの「笑い」、喜びを与えて下さったのです。

 

愛する皆さん、私たちは人生の中でうまくいかず、失望し希望も喜びも失う時があるかも知れません。しかし、神は、私たちに祝福を与え、希望と喜び、本当の「笑い」を与えて下さる方です。神を信じ神と共に歩む人生の素晴らしさを知っていただけると幸いです。

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