Mikage Shinai Christ Church

未分類

1 2 3 19

2021年4月「最も大事なこと」

御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古 慎二

 

 今年も春の季節がやって来ました。やっぱり春は良いですね。桜をはじめ、あちらこちらに美しい花を観ることができます。春というだけで、希望が生まれてくる感じがします。キリスト教会においても、春の季節は、特別な時です。それは、毎年、この時期に「イースター」というお祝いの時があるからです。キリスト教会にとってイースターというのは、クリスマスと同じくらい、いや、それ以上に重要な意味を持つ日なのです。なぜなら、イースターがるからこそ、私たちがキリストを信じる意味があるからです。

 では、イースターとは、いったい何なのでしょうか。「イースター」というのは、日本語で言えば「復活祭」と呼ばれるわけですが、それは、十字架に架かられて死なれたイエス・キリストが、三日目に死からよみがえられたことを記念してお祝いする日なのです。

  聖書の中に、パウロという人が、最も大事なこととして語った言葉があります。 
「わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパ(ペテロ)に現れ、次に、十二人に現れたことである。そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。」(Ⅰコリント15:3∼6)

 キリスト教信仰の中で、最も大事なことが、ここに描かれています。それは、キリストが私たちの罪の身代わりとなって十字架で死なれたこと、そして三日目に死からよみがえったことです。なぜ、キリストの復活がそんなにも重要なのでしょうか。キリストは、この世で生活をしていた時、人々に「わたしは神の子キリスト(救い主)である。」と語っていました。でも、その「神の子」も、死んで葬られたままなら、普通の人間に過ぎなかったということになります。そして、人が、どんなに「イエス・キリストが私の罪のために死んで下さった救い主だ。」と信じたとしても、ただの人間を勝手に救い主だと言っているだけに過ぎず、その信仰には、私たちの罪を赦す力も何もないことになるのです。

 しかし、聖書は、確かにキリストは、死なれた後、三日目によみがえり、今も生きているまことの救い主だ、と言っているのです。そして、このキリストの十字架と復活を信じる者に、神は、罪の赦しと永遠のいのち、そして神の子となる力を人に与えて下さるのです。

 確かにこのことは、信じがたいことであるかも知れません。しかし、このことを信じるようになった多くの人々の内にキリストは、確かに生きて働き、救いの喜び、永遠のいのち、神の子どもとして生きる希望を与え続けているのです。あなたも、この、今も生きて働いておられるキリストを救い主と信じ受け入れてみてください。必ず、あなたの人生に真の神のいのちが宿るようになります。皆さんが、主イエス・キリストと出会うことができますようにお祈りしています。

2021年3月「穏やかな日々」

御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本満子

 

 私の家には聖書のみ言葉の日めくりがあります。カレンダーではないので何年でも使うことができます。何年も使っている間には、同じみ言葉が何回も出てきます。けれども同じみ言葉に出会っても、不思議なことにいつもそれを新鮮に受け取ることが出来るのです。そしてみ言葉を読む度に、心は清々しく、明るくなり、感謝が湧いてくるのです。とても幸せです。

 近年、私たちの日常生活は、多くの情報や騒音が溢れていて、静かな時を持つことがむずかしくなっているのではないでしょうか。私たちはその多くの情報や、取り巻く様々な事柄によって、知らない間に心や思いが影響されてしまっていることに気付くのです。

 さて、皆さんは、ドン・キホーテの話をご存じのことと思います。最近は同名のお店もあるようで、多くの人々に彼の名はよく知られていることと思いますが、ここでドン・キホーテのお話を簡単に考えてみたいと思います。これはスペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスと言う人が書いた風刺物語です。主人公のドン・キホーテは騎士物語を読みすぎて、現実と物語の区別がつかなくなり、瘦せ馬にまたがって、冒険旅行に出かけました。その途中、風車と巨人を見間違えたり、羊の群れを敵の大群と勘違いするなど、滑稽な冒険や失敗を重ねるというお話です。

 このお話から、人は日々の生活で、何を見、何を聞き、何に関心を持って生活しているかと言うことが、非常に大切だ、と言うことに気づかされるのです。自分の周囲を取り巻く様々な事柄にだけ目を向け、耳を傾け、心を注いでいると、どうしても近視眼的な生活に陥ってしまうのではないでしょうか。

 聖書に

「目を高くあげて、だれがこれらのものを創造したかを見よ」(イザヤ40:26)

と言うみ言葉があります。多くの人々は、日常の事柄に忙殺されて高い空を見上げるなどと言うことが、少なくなっているのではないでしょうか?昼は太陽が、夜は月星が大自然の中で輝いています。これらの物は一体どのようにして出来たのでしょうか?

 

 人類は、宇宙を征服しようと懸命になっています。けれどもこの広大な全宇宙を征服することなど到底出来ません。このような偉大な宇宙を創造し、そこに私という存在を置いて下さった方はどなたでしょう。

聖書は、

「主はとこしえの神、地の果ての創造者であって」(イザヤ40:28)

と記しています。この大自然を創造し、支配しておられる神はあなたという一人の人をも、大切に見守っておられるのです。

 

そして

「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」(詩篇50:15)

とも記されています。そうです、日毎に聖書の神を思い、聖書のみ言葉を読み、聞く時、私たちの心は、さまざまな心配事や雑音から解放されて、穏やかな平安に包まれるのです。

 あなたは今、不安に襲われていませんか?心配事を抱えていませんか?聖書の神様を見上げましょう。そして神様により頼みましょう。神様からの平安と喜びが与えられますように。

2021年2月「幸せな人生を送るためのメッセージ」

御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本俊輔

 人は、何故この世に生まれてきたのですか?幸せな人生を送るためです。しかし、現実は反対で多くの人は、悩んだり、苦しんだりしています。その理由は、まことの神様=救い主イエス・キリスト様を抜きにして人生を送ろうとしているからです。どんなに輝いて見えても偽物は偽物で人を落胆させるだけです。実の親の所を離れて子供は真の平安を得られないのと同じように、まことの神様を無視して真の幸せ・平安はありません。イエス・キリスト様は、わたしたちの真の親ですから、イエス様と一緒に生活すべきです。

 イエス・キリスト様は何時もわたしたちに適切な助けの手を伸べてくれています。

イエス様の言葉に「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」マタイ11:28~29 

キリスト様は、私たち人間がしあわせな人生を送るためには不可欠なお方です。そこでキリスト様はご自分を私たち人間が理解しやすい譬えでご自身を教示して下さいました。

 第一は 「光であるキリスト」

「キリストは、いつの時代にも生きておられます。キリストは神なのです。このキリストが、すべてのものをお造りになりました。そうでないものは一つもありません。キリストには永遠のいのちがあります。全人類に光を与えるいのちです。そのいのちは、暗やみの中でさんぜんと輝き、どんな暗やみも、この光を消すことはできません。イエス・キリストこそほんとうの光です」ヨハネ1:1~5 

イエス・キリスト様は、特定の時代、特定の地方、特定の民族、特定の階級の人、また、生まれや育ちに関係なく、すべての時代の全人類を照らすまことの光です。

 第二は 「いのちの水であるキリスト」

イエスが答えて言われた。「この水を飲んでも、すぐにまた、のどが渇きます。けれども、わたしがあげる水を飲めば、絶対に渇くことはありません。わたしがあげる水は、それを飲む人のうちで、永久にかれない泉となり、いつまでも、その人を永遠のいのちで潤すからです。」と言われたのです。ヨハネ4:13~14

 第三は 「いのちのパンであるキリスト」 

ヨハネ福音書の6章を読むと偉大な奇跡に出会います。ある時ユダヤ国にあるガリラヤ湖の北にある丘に、イエス様のメッセージを聞くために多くの人が集まってきました。時間が経ち群衆は空腹でした。その時イエス様は弟子の一人ピリポの信仰を試そうとして尋ねました。「どこからパンを買ってきてみんなに食べさせようか」ピリポはこんなに大勢の人では、一財産あっても足りないでしょうと答えたのですが、その時アンデレという弟子が口を挟みました。「この子が大麦のパン五つと魚二匹を持っていますが、こんなに大勢では焼け石に水かなあ」と言った時、イエス様は、群衆を草むらに座らせなさいと命じました。そして、パンを取り神様に感謝してから人々に配らせました。魚も同じようにしたのです。男の人だけでも5000人も居ました。みんなが満腹しました。イエス様は言われました。みんなの食べ残したパンを集めなさい。すると残り物だけで12の篭に一杯になったのです。これを見て人々は熱狂しました。この方こそ預言者だメシヤだと叫びました。この時イエス様は騒ぎの中そっと抜け出し、山に退きました。次の日群衆はガリラヤ湖の北端の町カぺナウムでイエス様を見付けました。

その時イエス様は言いました。「あなたがたがわたしの側に居たがるのは、わたしを信じたからではありません。パンを食べさせてあげたからですね。それよりも永遠のいのちを手に入れなさい。」その後イスラエル人なら誰でも知っているお話をされたのです。昔イスラエルの民が出エジプトをした時、シナイの荒野で食べる物がなく飢え死にしそうになった時、神様は、毎朝「マナ」というパンを与えて40年の旅路を生かしてくれました。それと同じようにイエス様は 「いのちのパンは私です」 わたしのところに来る人は、二度と飢えることはありません。と言われました。感謝

2021年1月「時を戻そう」いや「戻らない」

御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古慎二

 昨年の流行語大賞にノミネートされた言葉の一つに「時を戻そう」というものがありました。 これは、お笑い芸人の「ぺこぱ」さんのネタの一つです。そのネタをご存じない方のために意味 を紹介いたしますと・・・「これは、コントのオチまで進め、別バージョンを披露するため、コントの冒頭に戻す時に用いられる。」とネットでは説明されていました。

 どうでしょうか。皆さんも時を戻せるものなら戻したいと思ったことはないでしょうか。きっ と人生で一度や二度は、「あ~本当に時を戻せるものなら戻したい。」「戻れるものなら、もう 一度あの頃に戻って人生やり直したい。」と思ったことがあるのではないかと思います。 私も高校生の頃に「中学2年生ぐらいからやり直したいなぁ。」なんて思った記憶があります 。また、今、あえて言うなら、「家内が元気だったあの頃に戻れるものなら戻りたい。」と思わないこともありません。

 しかし、残念ながら「時は戻らない」のです。どんなに願 っても、どんなに科学が発展しても 、やっぱり「時は戻らない」「戻せない」のです。では、私たちは、この「時の法則」に対して どのように考え、どのように向き合っていけば良いのでしょうか。

 聖書の一節に

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神 がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ人への 手紙8:28(新改訳))

という言葉があります。 ここに「すべてのこと」とありますが、これは、「成功や失敗、嬉しい事や悲しい事も、全部 」という意味です 。そして、「神にあっては、私たちの人生で起こるすべてのことは益とされる 。」と言っているのです。

 実際、私たちは、成功や嬉しい出来事よりも、失敗や悲しい出来事からの方が、学ぶこと、成 長させられることが多いことを知っていると思います。ただ、そうは言っても、一人で失敗や悲 しい出来事に向き合い、そこから何かを学び取り、成長する機会とすることは、時に大変で難し いものではないかとも思います。 しかし、そんな私たちのそばにいて私たちを慰め、励まし、また、力と知恵を与え導いて下さ るのが、神様なのです。そして、私 たちは神様からの愛と力、知恵を頂いて、「できることなら 最初から・・・」と思うような出来事ですら、「あ~私の人生これで良かった。むしろ、あの出 来事があったからこそ、今の私がある。すべてが感謝です。」という人生を歩むことが出来るよ うになるのです。

 これから始まる新しい年も、いろいろなことが起こるでしょう。でも何があってもそれを益と して下さる神様と共に歩むことが出来るとしたら、なんと幸いでしょうか。今、私もそれを学んでいる最中ではありますが、一緒にこの神様を信じて歩んで行きませんか 。皆様の上にすべてのことを働かせて益として下さる神様の祝福をお祈りしています。

2020年12月「喜びのおとずれ」

御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本満子

 

 新しい生命の誕生、それは素晴らしいこと、そして、喜ばしいことですね。

今年、私の身内でも新しいいのちの誕生がありました。二人目の曾孫の男子の誕生でした。予定日が近づいてきたら、いつ連絡がくるかと、毎日毎日待ち望みました。両親、祖父母、曾祖父母またその周辺の人々に待ち焦がれつつの誕生です。私たちにとっては大きな喜びです。

 さて、今からおよそ2000年前、ユダヤの国(現在のイスラエル)のベツレヘムと言う村に一人の男の子が生まれました。「毎日世界中で何万人もの男の子が生まれているのに、何故その子だけが取り上げられるのですか?」と問われるかも知れません。実はその赤ちゃんは、特別な赤ちゃんだったからです。この赤ちゃんの誕生は、それより700年近くも前に、預言者によって預言されていたのでした。それは、人々の罪を赦して、神の子とするために、神御自身が人間の身体をとって、人として、救い主・メシヤとしてこの地上に誕生すると言うことでした。この神様の約束の成就としての誕生でした。多くの人々は救い主・メシヤの誕生を待ち望んでいました。しかし、それは何時のことか、誰も知りませんでした。予定日は知らされていなかったのです。ですから人々のメシヤ待望は漠然としたものでした。

 しかし、ある時、ナザレという村に住んでいた、心の美しい一処女の許に天使が神様から使わされて参りました。そして言ったのです。

「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます。・・・あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう」ルカ1:28.31~32

マリヤは恐ろしくなって、私にはヨセフと言う婚約者は居ますが、まだ結婚をしていません。「どうしてそんなことがあり得ましょうか」と尋ねました。すると

「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう」ルカ1:35

と言われたのです。マリヤは素直にその御使いの言葉を受け入れたのです。神の御子の誕生ですから、それは、それは立派な美しい宮殿での誕生と思われるかも知れません。しかし、現実はそれとは真逆の環境でした。

 

 当時ユダヤの国は、ローマ帝国の支配下にありました。そこでローマ皇帝アウグストは、人口調査をするために、「ユダヤ人は全員自分の故郷に帰るように」と命令を出しました。そこで、ヨセフもマリヤも自分の郷里ユダヤのベツレヘムへと帰って行ったのです。と言うことは、彼らだけではなく国中の人が故郷へ故郷へと帰っていたのですから「民族大移動」が始まったのです。道も宿も一杯の人。日本のゴールデンウイークのようだったかも知れません。ヨセフは身重のマリヤを気遣いながら、マリヤを家畜に乗せてゆっくりと移動して行ったことでしょう。だから彼らが遅れてベツレヘムに到着した時には元気な人々は、すでに宿屋に到着して、旅の疲れを癒していたことでしょう。だから、ヨセフはどんなに探してもすべての宿は一杯でその夜泊まる宿を見つけることは出来ませんでした。だんだん日も没し暗くなり、冷え込んできました。そこでようやく一軒の家畜小屋を借りることが出来たのです。そして、その晩神の御子イエス・キリストは誕生したのでした。そこには、ヨセフとマリヤ以外にイエス様の誕生を喜ぶ人はいませんでした。しかし、天においては大きな喜びがあったのです。その喜びの訪れを天の御使いたちが持ってきました。そこは真っ暗な野原でした。そこでは、当時最も貧しい仕事と言われていた羊飼いたちが一晩中、羊を守るために寝ずの番をしていました。真っ暗な原野に突然眩しい光が射してきたのです。そして、天使からのメッセージが語られたのです。

「恐れるな、見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町(ベツレヘム)に、あなたがたのために救い主がお生れになった。この方こそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである。」ルカ2:10~12

というメッセージでした。それと同時に大勢の天使が現れて、神様への讃美を歌い歓びを表したのです。羊飼いたちはびっくりしたことでしょうね。彼らは天からの眩しいばかりの光を見たのです。そして、神様からのメッセージと天使たちの美しい讃美を聞いたのです。夢を見ているのかと思ったでしょうね。しかし、それは、現実だったのです。彼らは天使が語られたことを思い出して早速示された家畜小屋に行ったのです。そこには、天使が言った通り、幼な子が飼葉おけの中に寝かされていました。羊飼いたちは、自分たちが待ち望んでいた、神の子救い主が生まれたことを知り、直接その場に行って御子にお会いし、礼拝することが出来たのです。

 神の御子キリストの誕生のお知らせは、王や学者や偉い人々に伝えられたのではなく、最も貧しく底辺の人と言われていた羊飼いたちに知らされたのです。彼らはどんなに嬉しかったことでしょう。羊飼いたちは、天使の語ったメッセージを自分たちの目で見、神様の素晴らしい約束の成就を喜んだのです。彼らは、お祝いの品など何も持たずに走って行きました。そして、神の御子にお会いして、礼拝を献げ喜びに満たされて「讃美しながら帰って行った」ルカ2:20と言うのです。神の御子の誕生、そこには飾りもなく、お祝いのプレゼントもありませんでした。が、そこには、救い主の誕生を祝う、喜びと平安と讃美が満ちていたのです。

 これが最初のクリスマスです。クリスマスは神の御子の誕生日です。みなさん一緒に、本当のクリスマスを祝いましょう。

 

1 2 3 19