Mikage Shinai Christ Church

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2021年6月「主にゆだねよ」

御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本満子


詩篇37:5「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」  (新改訳聖書)


 人は自分の人生について色々と考えますね。若い時は、将来はあのようになりたい、このようになりたいと、夢を描くのではないでしょうか?一昔前までは、「女の子はケーキ屋さんになりたい」とか、男の子は「新幹線の運転手になりたい」という夢をよく聞いたものです。けれども最近は、プログラマーになりたいと言う子供が増えているそうですね。時代の違いを感じます。

けれども、年齢が進むに従って、夢が不安に変わったり、心配事に変わったりすることが多くなるのではないでしょうか?受験生は入試の合否が心配になるし、ある人は就職の心配・家庭を持てば家族への心配もありますね。今の時代は、コロナに感染しないかと多くの人々が心配しているのではないでしょうか。


 人生には不安とか、心配事はつきものだなーと思います。先に記した聖書の御言葉は、「あなたの道を、即ち人生を主に委ねよ」と言っています。それは、あなたの人生の軌道は、あなたが自分で運転して走るのではないと言っているのです。では、誰が私の人生の軌道を走らせてくれるのですか?と言うならば「主に信頼せよ。主が成し遂げて下さる」と言っているのです。主とは誰でしょうか?勿論主人という意味もあります。主人とは、所有権のある方を指している言葉ですが、創世記の始め、2章4節を見ると「主なる神が地と天とを造られた時」と記されています。即ち、この天地宇宙を創造された神様を「主なる神」と呼んでいるのです。聖書の神様は、全世界を創造し、それを支配しているお方、全宇宙の所有権を持っておられるお方なのです。このお方(神様)があなたの人生を導いてくださるのだから、このお方を信頼して人生をお任せして走っていくならば、あなたの人生を「成し遂げて下さる」、即ち最善に完成させて下さると言うのです。


 私たちは、何か作品を作っている時、それが難しいと言うか、困難であればあるほど完成した時の喜びは大きいのではないでしょうか?私たちの人生も途中には時々行き詰まったり、もうダメ!と言って投げ出したくなる時もあるかも知れません。けれども、主なる神様により頼み、お任せして歩んでいくならば、必ず完成させて下さる。そして最後には「私の人生は素晴らしかった、感謝でした。」と言える生涯を送らせて下さると言っているのです。若い皆さんには、こんな人生の終わりの話など、縁起でも無いと思われるかも知れませんね。けれども人生の終わりの日のためには、今日という日、今という時が大切なのだという事を覚えていただきたいのです。


 イスラエル第三代目の王となられたソロモンは、次のように言っています。

伝道の書12章1節「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」

と言うようにならない前に」と。人生の終わりなんて考えたくない。と思っても、終わりの日は、誰にでも必ず来ます。その日のためには、今という時が大切だと聖書は教えています。それではどうすれば良いのでしょう?「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ」そうです、天地宇宙万物を創造し、それを御手の中に支配しておられる主なる神様に、あなたの人生を委ねてごらんなさい。そうするならばあなたの人生は「良かったね」「幸せだったね」と言える人生へと導いて下さるのです。あなたの人生はどうですか?神様に委ねて安心軌道を走っていますか?それとも自分で苦労しながら頑張って日々の生活をしていきますか?最後の日に「私の人生は幸せだった、素晴らしかった、完成した」と喜べる人生を送りたいですね。

2021年5月「キリスト教の三大祭り」

御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本俊輔

 

クリスチャンには、三つの大切な祭りがあります。

 1.「クリスマス」  

 神様は私たち全人類を罪から救って下さるために、神様の御子イエス・キリスト様をこの世に贈って下さった誕生日です。12月25日に礼拝と感謝の祝会をします。「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」 ヨハネ3:16

 

2.「復活祭」=「イースター」 

 イエス・キリスト様が私たちの罪を負うて死んで下さり、三日目に復活されました。「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」に感謝の礼拝をします。キリスト様は生ける神様です。キリスト様の復活の記録は四福音書のすべてに記録されています。 マタイ28章、マルコ16章、ルカ24章、ヨハネ20章~21章です。 

 

3.「キリスト教会の誕生日」=「聖霊降臨日」=「ペンテコステ」=「五旬節」です。

クリスチャンにとってのこの三つの祭りは、二千年間何があっても大切に守られて参りました。ペンテコステと言うのは、ギリシャ語で五十番目を意味する言葉です。「過ぎ越しの祭り」から数えて五十日目の祭りです。即ちイエス・キリスト様の復活から数えて50日目なのです。そして、この日にキリスト教会は誕生したのです。今年は5月25日です。… Continue reading

2021年4月「最も大事なこと」

御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古 慎二

 

 今年も春の季節がやって来ました。やっぱり春は良いですね。桜をはじめ、あちらこちらに美しい花を観ることができます。春というだけで、希望が生まれてくる感じがします。キリスト教会においても、春の季節は、特別な時です。それは、毎年、この時期に「イースター」というお祝いの時があるからです。キリスト教会にとってイースターというのは、クリスマスと同じくらい、いや、それ以上に重要な意味を持つ日なのです。なぜなら、イースターがるからこそ、私たちがキリストを信じる意味があるからです。

 では、イースターとは、いったい何なのでしょうか。「イースター」というのは、日本語で言えば「復活祭」と呼ばれるわけですが、それは、十字架に架かられて死なれたイエス・キリストが、三日目に死からよみがえられたことを記念してお祝いする日なのです。

  聖書の中に、パウロという人が、最も大事なこととして語った言葉があります。 
「わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパ(ペテロ)に現れ、次に、十二人に現れたことである。そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。」(Ⅰコリント15:3∼6)

 キリスト教信仰の中で、最も大事なことが、ここに描かれています。それは、キリストが私たちの罪の身代わりとなって十字架で死なれたこと、そして三日目に死からよみがえったことです。なぜ、キリストの復活がそんなにも重要なのでしょうか。キリストは、この世で生活をしていた時、人々に「わたしは神の子キリスト(救い主)である。」と語っていました。でも、その「神の子」も、死んで葬られたままなら、普通の人間に過ぎなかったということになります。そして、人が、どんなに「イエス・キリストが私の罪のために死んで下さった救い主だ。」と信じたとしても、ただの人間を勝手に救い主だと言っているだけに過ぎず、その信仰には、私たちの罪を赦す力も何もないことになるのです。

 しかし、聖書は、確かにキリストは、死なれた後、三日目によみがえり、今も生きているまことの救い主だ、と言っているのです。そして、このキリストの十字架と復活を信じる者に、神は、罪の赦しと永遠のいのち、そして神の子となる力を人に与えて下さるのです。

 確かにこのことは、信じがたいことであるかも知れません。しかし、このことを信じるようになった多くの人々の内にキリストは、確かに生きて働き、救いの喜び、永遠のいのち、神の子どもとして生きる希望を与え続けているのです。あなたも、この、今も生きて働いておられるキリストを救い主と信じ受け入れてみてください。必ず、あなたの人生に真の神のいのちが宿るようになります。皆さんが、主イエス・キリストと出会うことができますようにお祈りしています。

2021年3月「穏やかな日々」

御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本満子

 

 私の家には聖書のみ言葉の日めくりがあります。カレンダーではないので何年でも使うことができます。何年も使っている間には、同じみ言葉が何回も出てきます。けれども同じみ言葉に出会っても、不思議なことにいつもそれを新鮮に受け取ることが出来るのです。そしてみ言葉を読む度に、心は清々しく、明るくなり、感謝が湧いてくるのです。とても幸せです。

 近年、私たちの日常生活は、多くの情報や騒音が溢れていて、静かな時を持つことがむずかしくなっているのではないでしょうか。私たちはその多くの情報や、取り巻く様々な事柄によって、知らない間に心や思いが影響されてしまっていることに気付くのです。

 さて、皆さんは、ドン・キホーテの話をご存じのことと思います。最近は同名のお店もあるようで、多くの人々に彼の名はよく知られていることと思いますが、ここでドン・キホーテのお話を簡単に考えてみたいと思います。これはスペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスと言う人が書いた風刺物語です。主人公のドン・キホーテは騎士物語を読みすぎて、現実と物語の区別がつかなくなり、瘦せ馬にまたがって、冒険旅行に出かけました。その途中、風車と巨人を見間違えたり、羊の群れを敵の大群と勘違いするなど、滑稽な冒険や失敗を重ねるというお話です。

 このお話から、人は日々の生活で、何を見、何を聞き、何に関心を持って生活しているかと言うことが、非常に大切だ、と言うことに気づかされるのです。自分の周囲を取り巻く様々な事柄にだけ目を向け、耳を傾け、心を注いでいると、どうしても近視眼的な生活に陥ってしまうのではないでしょうか。

 聖書に

「目を高くあげて、だれがこれらのものを創造したかを見よ」(イザヤ40:26)

と言うみ言葉があります。多くの人々は、日常の事柄に忙殺されて高い空を見上げるなどと言うことが、少なくなっているのではないでしょうか?昼は太陽が、夜は月星が大自然の中で輝いています。これらの物は一体どのようにして出来たのでしょうか?

 

 人類は、宇宙を征服しようと懸命になっています。けれどもこの広大な全宇宙を征服することなど到底出来ません。このような偉大な宇宙を創造し、そこに私という存在を置いて下さった方はどなたでしょう。

聖書は、

「主はとこしえの神、地の果ての創造者であって」(イザヤ40:28)

と記しています。この大自然を創造し、支配しておられる神はあなたという一人の人をも、大切に見守っておられるのです。

 

そして

「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」(詩篇50:15)

とも記されています。そうです、日毎に聖書の神を思い、聖書のみ言葉を読み、聞く時、私たちの心は、さまざまな心配事や雑音から解放されて、穏やかな平安に包まれるのです。

 あなたは今、不安に襲われていませんか?心配事を抱えていませんか?聖書の神様を見上げましょう。そして神様により頼みましょう。神様からの平安と喜びが与えられますように。

2021年2月「幸せな人生を送るためのメッセージ」

御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本俊輔

 人は、何故この世に生まれてきたのですか?幸せな人生を送るためです。しかし、現実は反対で多くの人は、悩んだり、苦しんだりしています。その理由は、まことの神様=救い主イエス・キリスト様を抜きにして人生を送ろうとしているからです。どんなに輝いて見えても偽物は偽物で人を落胆させるだけです。実の親の所を離れて子供は真の平安を得られないのと同じように、まことの神様を無視して真の幸せ・平安はありません。イエス・キリスト様は、わたしたちの真の親ですから、イエス様と一緒に生活すべきです。

 イエス・キリスト様は何時もわたしたちに適切な助けの手を伸べてくれています。

イエス様の言葉に「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」マタイ11:28~29 

キリスト様は、私たち人間がしあわせな人生を送るためには不可欠なお方です。そこでキリスト様はご自分を私たち人間が理解しやすい譬えでご自身を教示して下さいました。

 第一は 「光であるキリスト」

「キリストは、いつの時代にも生きておられます。キリストは神なのです。このキリストが、すべてのものをお造りになりました。そうでないものは一つもありません。キリストには永遠のいのちがあります。全人類に光を与えるいのちです。そのいのちは、暗やみの中でさんぜんと輝き、どんな暗やみも、この光を消すことはできません。イエス・キリストこそほんとうの光です」ヨハネ1:1~5 

イエス・キリスト様は、特定の時代、特定の地方、特定の民族、特定の階級の人、また、生まれや育ちに関係なく、すべての時代の全人類を照らすまことの光です。

 第二は 「いのちの水であるキリスト」

イエスが答えて言われた。「この水を飲んでも、すぐにまた、のどが渇きます。けれども、わたしがあげる水を飲めば、絶対に渇くことはありません。わたしがあげる水は、それを飲む人のうちで、永久にかれない泉となり、いつまでも、その人を永遠のいのちで潤すからです。」と言われたのです。ヨハネ4:13~14

 第三は 「いのちのパンであるキリスト」 

ヨハネ福音書の6章を読むと偉大な奇跡に出会います。ある時ユダヤ国にあるガリラヤ湖の北にある丘に、イエス様のメッセージを聞くために多くの人が集まってきました。時間が経ち群衆は空腹でした。その時イエス様は弟子の一人ピリポの信仰を試そうとして尋ねました。「どこからパンを買ってきてみんなに食べさせようか」ピリポはこんなに大勢の人では、一財産あっても足りないでしょうと答えたのですが、その時アンデレという弟子が口を挟みました。「この子が大麦のパン五つと魚二匹を持っていますが、こんなに大勢では焼け石に水かなあ」と言った時、イエス様は、群衆を草むらに座らせなさいと命じました。そして、パンを取り神様に感謝してから人々に配らせました。魚も同じようにしたのです。男の人だけでも5000人も居ました。みんなが満腹しました。イエス様は言われました。みんなの食べ残したパンを集めなさい。すると残り物だけで12の篭に一杯になったのです。これを見て人々は熱狂しました。この方こそ預言者だメシヤだと叫びました。この時イエス様は騒ぎの中そっと抜け出し、山に退きました。次の日群衆はガリラヤ湖の北端の町カぺナウムでイエス様を見付けました。

その時イエス様は言いました。「あなたがたがわたしの側に居たがるのは、わたしを信じたからではありません。パンを食べさせてあげたからですね。それよりも永遠のいのちを手に入れなさい。」その後イスラエル人なら誰でも知っているお話をされたのです。昔イスラエルの民が出エジプトをした時、シナイの荒野で食べる物がなく飢え死にしそうになった時、神様は、毎朝「マナ」というパンを与えて40年の旅路を生かしてくれました。それと同じようにイエス様は 「いのちのパンは私です」 わたしのところに来る人は、二度と飢えることはありません。と言われました。感謝

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