Mikage Shinai Christ Church

瀬古牧師からのメッセージ

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2020年9月「困った時の神頼み」

御影神愛キリスト教会 伝道師 杉本満子

 

 世の中には、「私は無神論者だ、神に頼るのは弱い人間のする事だ、私は自分の力で人生を切り開いていく」という人が時々居られます。私たちの人生が自分の計画通り、理想通りに進んでいったら、きっと楽しいでしょうね。けれども中々そう上手く行かないものです。時折、自分が考えもしなかった様な事柄に遭遇して、慌てたり、嘆いたりすることを誰しも経験しますね。そのような時、多くの人々は、神様に頼りたい、神様にお願いして解決して欲しいと思うのではないでしょうか。普段は強いことを言いながら、困難な時だけ、「神様神様」と言うのは「困った時の神頼みだ」と人々は揶揄するかも知れません。しかし、キリスト教の神様は「それでも良い」と言って下さっているのです。

 旧約聖書詩篇50篇15節に次のような御言葉があります。

「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」。

神様は、私たちがどんな人であっても、どんな状況の中にあっても、「わたしに助けを求めてくるならば、あなたを助けてあげるよ」と語っておられるのです。神様は、何と心の広い愛に満ちたお方でしょうか。

 皆さんは、世界的に有名な、そして多くの人々に愛唱されている「アメイジンググレイス」(驚くばかりの恵み)という賛美歌を御存じでしょうか?教会に行ったことのない人でも、どこかで耳にしたことのある曲だと思います。この賛美歌を作った人はジョン・ニュートンという英国国教会の牧師です。彼のお母さんは大変熱心なクリスチャンでした。しかし、彼は若い時、神様を信じるどころか、黒人を家畜のように扱い、売買する奴隷貿易商人になったのです。ある時、彼はいつものように、奴隷たちを船に詰め込んで海を渡っていた時、思いがけない嵐に遭遇し、船が転覆しそうになったのです。彼は命の危険を感じ、恐怖に襲われ、神様に助けを求めて必死に祈りました。すると不思議なことに神様は彼の祈りを聞いて嵐を静めて下さり、彼の命を助けて下さったのです。その時彼は、神様は本当に生きていて、私の祈りを聞いて下さったということがわかったのです。それと同時に彼は、自分の行っていることがどんなに悪いことか、神様の前に罪深いことかということに気がついたのです。そこで彼は、神様の前に罪悔い改めて、赦しを求めて祈りました。そしてクリスチャンになり、奴隷貿易商を止めて神学校での学びに導かれ、後に、英国国教会の牧師にまでなったのです。それだけではなく、多くの賛美歌を作り、人々に神様の愛を伝える人になったのです。前述の「アメイジンググレイス」もその中の1つの賛美歌です。

 彼は、決して人々に褒められるような人生を送った人ではありませんでした。しかし、困難の中で、神様に助けを求めた時に、神様は、彼をその困難の中から助け出し、正しい人生を歩む人と変えて下さったのです。

 あなたは、奴隷売買商人のような悪い人生は送っていないと思います。あなたが正しい生活を行っているか、否か、そのようなことは問題ではありません。あなたが困難に遭った時、苦しみに会った時に、神様は「助けを求めなさいそうすれば、あなたを助けてあげるよ」と語っておられるのです。

 主イエス・キリスト様に助けを求めてお祈りしてみましょう。神様はあなたの声を聞いて良い解決を与え、苦しみや困難から助け出して下さいます。

 「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」ローマ10:13

2020年8月「わたしの神様」

 御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本俊輔

 

 わたしたちの信じる神様は、神様を信じる人に、信仰と希望と愛を分け隔てなく与えて下さる神様です。それは、求めるすべての人に与えられるものです。そこで今日は、その大切な真理に目を向けましょう。

 その1は、神様は全知全能の神様ですから、わたしたちが先回りして思い煩ったり、無理して我を張る必要はないのです。また、進むべき道がわからない時は、神様に祈り、助けを求めるならば必ずイエス・キリスト様が「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」とマタイ7:7で言われたように道を開いて下さいます。だからクリスチャンには行き詰まりはないのです。祈れば必ず最善の道が開けます。

 その2は、誰でも平安で、幸せな人生を願うことでしょう。しかし、時として思わぬ問題、災難に遭うことがあります。健康を害したり、経済的に行き詰まったりする事もあるでしょうが、神様に全てを委ねて進んでいきましょう。全能の神様は、大きな事も小さな事も最善に成し遂げて下さるからです。Ⅰペテロ5:7に「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。」と言ってくれています。

 今から70年ほど前、私がクリスチャンになったばかりの時、活ける神様は、わたしたちの小さい祈りをも聞いて下さるのだと言うことを体験しました。それは、私を信仰に導いて下さった牧師先生の小学生の愛娘が突然重い病に冒されてしまった時のことです。この子は、いつも明るく元気な子供でした。この子については、小学校の教師をしていた私の姉の教え子でしたからよく知っていました。しかし、ある祈祷会の夜、集会が終わった時、牧師先生が兄弟姉妹にお願いがあります。祈って下さい。実は、私の娘が今国立病院に入院しています。先ほど主治医から突然連絡があり「お嬢様は危篤です。わたしたちは、全力を尽くしましたが今晩が山です」と言われました。信徒の皆さん、奇跡をなさる癒しの神様に祈って下さい。そこで、私達信徒は、先生の後を追って病院に駆けつけました。信徒の私達は病室には入れませんので病室の外の軒下で、みんなで小声でしたが、一晩中一生懸命に主に癒しの祈りをしました。東の空が白み始めた頃、病室の中が騒がしくなりました。何かが起こりました。しばらくして牧師先生は、病室の外にいる私達の所にきて、「感謝、娘は助かりました。有難う、皆さんの祈りが神様の奇跡を生んだのです。」ハレルヤ! この娘さんは、成人した後に、京都の教会の信徒と結婚され幸せなクリスチャンホームを形成しています。

 その3は、神様は、神様に従う人を、常に正しい道に導いてくれます。へブル13:8に「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変わることがない。さまざまな違った教えによって、迷わされてはならない。」と教えています。さて、人祖アダムとエバは神様から与えられた楽園(エデン)で何不自由なく楽しく平和な生活をしていましたが、時に、サタン(悪魔)が二人の幸せな生活を妬んで、誘惑をしました。二人は神様の言葉に従って生活すれば幸せですと言ったのですが、サタンが「神様は本当にそう言われたのですか?」創3:1と言った時、二人はいとも簡単に神様のご命令を捨てて、神様が「取って食べてはいけない」と言われた木の実を取って食べてしまったのです。即ち神様の言葉を捨てたのです。人類の悲劇はここから始まりました。

この世界では、「何が正しく」「何が誤り」かを教えて下さるのは聖書だけです。私達は、神様の言葉を信じて、神様の賜物である信仰と希望と愛をいただきながら生活をしたいものです。

2020年7月「見えないものに目をとめて 」

御影神愛キリスト教会 牧師  瀬古慎二 

 

 私たち、人間が生きていくために必要なものとは何でしょうか。食料や水、着る物や住居といった物質的な必要もあるでしょう。しかし、本当に人が人として生きていくためには、目には見えませんが、愛や希望といった欠かすことのできないものがあると思います。今回は、特に希望について考えてみたいと思います。私たち人間が生きていくためには、希望が必要である、というのは誰もが認めるところではないかと思います。しかし、この希望も何に信頼を置くかで大きく変わってくると思います。もし、不確かな、移り変わりやすいものに信頼を置いているなら、その希望もいつか失望に変わる可能性があるでしょう。私たちは、確かなもの、永遠に変わることのないものに信頼を置き、希望を見出す必要があると思います。

 

 皆さんは、「夜と霧」という本をご存知かと思います。この本は、ユダヤ人で精神科医であったビクトール・フランクルという方が、第二次世界大戦中にナチスの強制収容所で収容されていた時のことを書いたものです。彼が、強制収容所に収容されていた時、こんなことがあったそうです。それは、1944年12月のことです。クリスマスから新年に掛けての期間、収容所内で未だかつてないほどに大勢の死者が出たそうです。なぜ、そんなに大勢の人が亡くなったのでしょうか。その理由は、過酷な労働でも、飢餓でも、伝染病でもなかったそうです。ある時、どこからともなく「クリスマスには休暇が出て、家に帰ることができる。私たちは解放される。」といううわさが収容所内に拡がったのです。そのうわさを信じた人たちは、期待を胸にクリスマスを待ち望んでいたのです。しかし、その期待は見事に裏切られてしまいました。クリスマスに何も起きなかったのです。そして、うわさを信じていた人々は失望落胆し、力尽き、多くの死者を生むことになったのです。この話は人が生きるために希望がいかに必要であるかということを教えてくれます。それと同時に、不確かなものに信頼を置くなら、失望落胆する時がやって来るということも教えていると思います。

 

 私たちは、確かな変わることのないものに信頼を置き、希望を見出す必要あるのです。それでは、確かな希望を与えてくれるものとは何でしょうか。聖書は、こう言っています。

 

「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」(Ⅰコリント4:18) 

 

この見えないものというのは、神様のことです。神様は目には見えませんが、確かにおられて変わることなく、私たちを助け、励まし、最善の道へと導いて下さる方なのです。この神様に信頼を置く人は、決して希望が失望に終わることはないのです。

 フランクルの話にもどりますが、あの過酷な収容所で生き残った人たちがいます。その人たちの特徴は、感受性豊かな人たちであり、神様を信じ、神様に祈る人たちだったそうです。彼らは、収容所に入っても、その心の自由は奪われてはいませんでした。彼らは、神様に祈り、神様を礼拝する時に自由が与えられ、生きる力、希望が与えられていたというのです。

 

 どうが、皆さんも目には見えませんが、確かに生きて働いておられる神様を信じ、神様にある希望を受け取ってください。あなたの上に神様の限りない愛と恵みがありますよう祝福をお祈りしています。

2020年6月「新しいこと 」

御影神愛キリスト教会 伝道師   瀬古博子

 

  見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。(イザヤ43:19)
 
 この教会だよりが皆さんの手元に届くころには緊急事態宣言が解除されているでしょうか。そう願いますが、ここ数か月、私たちは今まで経験したことのないようなことを経験させられました。

 私自身は病気のためにあまり外に出かけず、家にこもりっきりの生活をしていました。3月位からコンスタントに礼拝に出席し、4月位からは日曜日の午後の集まりに出て、等と計画を立てていましたが、3月の上旬には「リスクのある方は礼拝に来ないように」との教会方針となり、4月イースターからは「教会での礼拝はなくなりました、インターネットでどうぞ」という状態になりました。元気な方も家に居るようにという政府からのお達しの中で、生活が一変したのです。こんなことになるとは今年のお正月に誰が思っていたでしょうか。冒頭に挙げさせていただいた聖書の言葉は紀元前8世紀頃に書かれたイザヤ書からの抜粋であります。これは将来バビロン帝国が滅びることを預言して書かれているものではありますが、実はこれからの私たちが経験するであろうこととしても書かれているといわれているのです。

 ここに新しい事を神様がなされると書いてあります。新しい事とは心わくわくさせるものであり、期待感を生じさせます。内容は荒野に道を設け、さばくに川を流れさせるというのです。それでは荒野に道を設けるとはどういうことでしょうか。荒野とは砂漠と同じで岩や砂しかない不毛の地です。その不毛の地に道を設けるということはどういうことでしょうか。徐々に人の手で道を作っていくというより、一気に道が出来上がるという状況に思えます。その為に、今まで起こったことのないことが起こり、道が出来上がるのです。またさばくに川を流れさせるということもどういうことでしょうか。砂しかない場所にどこからか水の流れがやってきて、砂に吸収されることなく水が溜まり、流れとなっていくのです。この業は紅海を真っ二つに割って人を通らせるより、大きな奇跡でなければできることではないと、ある先生が言っておられたようですが、どちらも人の考えでは、また今までの常識ではありえないことが起こるというのです。

 そんなことが起こるはずがないと今までの私たちなら思っていたかも知れません。でも昨今、当たり前と思っていたことが当たり前でなくなり、起こってはおかしいことが起こることを経験している私たちにとってはあり得ると考えられるのではないでしょうか。

 これから神様が私たちに何をされようとしているのかは私にも皆さんにもわからないでしょう。でも、大きな御手をもって祝福を与えようとする時に、それを神様からの祝福と認識して、受け取りたいと思いませんか。ぜひ、心のチャンネルを神様に合わせて、新しい事がいつ来ても良いように準備しましょう。

2020年5月「いつまでも残るもの 」

御影神愛キリスト教会 牧師  瀬古 慎二

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。」

コリント人への第一の手紙13:4~8

 

  新型コロナウイルスの感染の拡大が始まって、2か月ほどになるでしょうか。多くの方々が不安や恐れの中にあることと思います。こういった状況になると、それぞれ人の持っているものが如実に露わになって来るものかと思わされます。先日、ある町で、家族の中でコロナに感染した人がいるというのが分かったため、その家族は町中の人から白い目で見られ、誹謗中傷を受けたそうです。確かに誰もが見えない恐怖に恐れを抱くのはわかります。しかし、コロナ以上に恐ろしいのは、そのような人の思いではないかと思わされます。

  しかし、また反対に良い心を持って生きる人もいます。このような状況の中にあっても、人への感謝、人への親切を忘れずに、人を励まし、支え合う人たちもいます。ある国での出来事ですが、病院で清掃のお仕事をされている方が、仕事を終えて帰宅すると、アパートの住人たちが、その方がフロアを一階上がるごとに、その方を拍手で迎えてくれたというのです。なんと心温まるお話でしょうか。

  私たちが、問題や恐れを乗り越える力、それは、互いに思いやる愛の力ではないでしょうか。私たちは自分のことばかりではなく、他の人のことを思いやる心、大切に思う心を忘れずに生きていきたいものです。そして、その愛の力を与えて下さる方こそ、神様なのです。なぜなら、「神は愛である。」(聖書)からです。私たちが、愛の源である神様を信じ、神様と共に生きるとき、神様からいただく愛によって、人々にも愛を分かち合うことができる人に変えられていくのです。神様を信じて歩んでいきましょう。そして、この困難を共に乗り越えていきましょう。

  皆様の上に神様の限りない愛と恵みがありますよう祝福をお祈りしています。

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